14話:皐月蒼汰

 これ以上は無理。

 心に限界がきた。

 心は悲鳴をあげて、目の前がチカチカと点滅した。まるで警報だった。


 そして、私はついに阿久津さんに反撃した。


 私は近くにあったイスを阿久津さんに向けて投げた。

 これまで一方的に痛めつけていた阿久津さんは私が歯向かうなんて思いもしなかったのだろう、投げられたイスは阿久津さんの頬をかすった。

 阿久津さんは怪我こそしなかったけれど、この一件は四年一組どころか学校中に広まった。

 もちろん担任の耳にも入ったし、すぐ学級会議が開かれた。


 その学級会議の議題がちゃんちゃらおかしかった。


『壊してしまったイスの持ち主に謝って許してもらうかどうか』


 イスの持ち主の生徒が登校拒否のためそのまま黙って新調するか、それとも私が器物破損と認めた上で本人に謝ってイスを新調するか、というなんともふざけた議題だった。


 話されたテーマはイスに関しての問題だった。

 絶対、阿久津さんとクラスメイトたちの私へのいじめの話だと思っていたのに。

 この担任にはもう何も求めない。

 私が滝里先生を見放した瞬間だった。


 私が投げたイスは登校拒否の生徒、皐月蒼汰という生徒のイスだったらしい。

 皐月蒼汰くん。

 話したことはないけれど、大人しい印象の子だった。

 表情も乏しく、彼が笑ったところも誰かと話すところも見たことがなかった。

 冷めた目をしていて、クラスメイトとも距離をおいていて、孤高な感じが格好いいと思う反面羨ましかった。

 蒼汰くんは四月頃はまだ学校に来ていたけれど、五月終わり頃には学校へ来なくなっていた。

 学校に来なくなったのも、きっとこの学級に通うのが馬鹿らしいと感じたんだろうな。

 自分の思う通りに生きている彼が、私は格好いいと思った。


 だから、彼が取り乱して教室を出ていくのを見て驚いた。

 久々に登校した蒼汰くんは、なぜ自分が呼び出されたのかを先生やクラスメイトから聞いた後、顔色を青くしたり赤くしたりして叫びながら教室を飛び出していった。

 ざわつくクラスの中、私は気がつけば彼の後を追っていた。


 蒼汰くんは運動場の隅、二宮金次郎像の前で膝を抱え丸まっていた。

どうやら歓迎される理由が自分の思っていたものと違っていたらしくショックを受けていた。

 取り乱す蒼汰くんを目撃して意外に感じた。

 いつもクラスの皆と距離を置いている彼だから、説明を聞いても淡々とした反応をすると思っていたのだ。


(もしかしたら、普通に寂しがりの子なのかも)


 皐月蒼汰は自分がイメージするほど孤高で格好いい存在じゃない。

 自分と同じ、繊細で脆くて等身大の小学生なんだ。

 憧れからは遠く離れたけど、親近感がわいた。

 私はうずくまる彼に話しかけた。

「え、えまちゃん……?」

「惜しい、えみ」

 名前を覚えられてないことにショックを覚えた。


 蒼汰くんと話す。

 いじめのこと、何で私がイケニエに立候補してるかってこと。


 ……それが辛いこと。


 蒼汰くんは静かに聞いてくれた。


「ダメな奴は四年一組の奴らに決まってるだろ」

 そう言ってくれるのが嬉しかった。

 だから、彼から放たれた言葉に、私の身体に衝撃が走った。

「お前も俺みたいに学校やめちゃえば?」

 私だって休むことくらいは考えた。それでも、そんなこと出来なかった。

 だって、私が学校に行かなければ他の子がイケニエにされてしまう。私のせいで。それは絶対に嫌だった。

 なのに、蒼汰くんはあっけからんとそれを言ってのける。

 どうして簡単にそんなことが言えるの?

 彼には人を思いやる気持ちがないんだ。だから簡単に学校をやめるなんて言えるんだ。

 しかし、私の憤りも次の言葉で沈められた。


「誰かをイケニエにさせないために通うのも偉いけどさ、それって自分を大事にしてないじゃん」


 蒼汰くんの言葉に心をはっとさせる。

「あんただって、自分を守るために、自分のために逃げてもいいんだよ」


 彼の言葉が波紋を打つように心にじくじくと響く。

 たった五分。

 彼と会った僅かの時間の中で、私がどれだけ救われただろう。


「でもやっぱここからは出られないや! 私ひとりの問題じゃないし!」


 私の気持ちが救われたとしても、現実は変わらない。

 空元気を装ってみたら、私を見て蒼汰くんは言った。

「もっと早くクラスメイトになりたかったな、俺たち」

 目を見開く。

 そんなことを言われるのは初めてだった。

「お前ならすぐ良い友人になってたかも」

 もしかしたら、私がずっと求めていた言葉なのかもしれない。

 私にはどんな時も味方でいてくれる友達が欲しかった。

 私だって思う。蒼汰くんが友達だったらよかったのに。

 四年一組の教室に入っても、蒼汰くんがいてくれたら楽しく過ごせる。

 蒼汰くんともっと早くから友達になりたかった。

 思わず目が潤んでしまう。

 蒼汰くんはそんな私を見て焦るような表情を浮かべていた。

 そこは抱き締めてくれてもいいんだよ?


 その後すぐに彼を探していた生徒や教師たちが近くに現れ、彼は自分から連中に突っ込んでいった。

「机イスなんてくれてやる! 武器にでもして投げてそのまま処分しちゃってくれええぇッ!!」

 そう言いながら教師に捕まる蒼汰くんは格好悪かったけれど、たった五分の彼との会合は私に莫大な影響を与えた。

 今日のことを心の糧にしよう。

 蒼汰くんのことを思いすだけで頑張れる気がする。


 運動場にひとり取り残される。

 誰もいなくなった運動場で私は「よしっ」と笑った。

 蒼汰くん。私戦うよ。だって、私には君という理解者がいるから!


 唯一無二の心の支えを得て、私は

 ひとり教室へ向かった。

 大丈夫、ひとりだけど、孤独じゃない。

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