幕間

12話:ある少女の記憶

 青い空に積乱雲がもくもくと連なっている。

 七月中旬の気温はかなり暑く、プール日和には最適だった。

 私の通う荒津小学校も例外でなく夏の体育ではプールの授業がある。

 我がクラス、三年三組の四時間目の体育の授業はプールで行われた。


 小学三年生ともなると、泳げる者は多数になり、泳げない者が少数となる。

 私は少数派の一人……というより、このクラスで唯一泳げない一人だった。

「よりによって、私だけクラスで泳げないなんて……」

 ちなみに他のクラスには泳げない生徒がちらほら存在する。

 基本的に三年生から泳げるグループと泳げないグループとコース分けをする。泳げるグループはイルカ組、泳げないグループをラッコ組と呼んだ。

 ラッコと呼ばれていても、浮くだけではなく、最終目標は泳げるようになることだ。

 三年三組でたった一人のラッコ組である私は体育教師にビートバンを渡され、ばた足を繰り返す練習を申し付けられた。

 私以外の泳げる連中……イルカ組は自由時間で皆楽しそうに遊んでいる。それがなんだか癪に触る。

「あー! もうやめっ」

 すぽっと身体を持ち上げ重い水中から脱却。

 私はビートバンをプールサイドの脇におき、自分も隣に腰かけた。

 足だけを水に浸け、涼を楽しむ。


 七月の陽光が容赦なく肌を焦がす。

 目を閉じて耳を澄ませば、大合唱するセミの声と生徒たちのはしゃぐ声。

 こうして座っているだけでも、全身から夏を感じた。


「あー、影美ちゃんサボってる」

 目を開けると正面にプールに半身浸かったハルちゃんがいた。

 ハルちゃんは一番仲の良い友達だ。

「いけないんだぁ」

「ハルちゃんこそ、ラッコ組に何か用?」

 腕を組み、膨れっ面をして注意するハルちゃん。身長が小さい為、プールの水が胸まで浸かっている。これでよく溺れないな、と感心する。

「先生に影美ちゃんがちゃんとばた足練習してるか見てくるようにって言われたんだよ」

「あっそ」

「当然にサボってるし」

「だって皆遊んでるじゃん。私だけ真面目に練習するの、不公平じゃない?」

 座りながら浸かっている足を上下に動かす。プールの水が小さく波打った。

「泳げる者の特権だからね~。ほれ、ラッコさんはばた足ばた足」

 得意気に先輩ぶる同級生に向けて、私は手元の水を掬いパシャリとかけた。

「うわっぷ!」ハルは二、三歩よろける。

 しかしその次には私に向けて手のひらいっぱいに水を掬って私にぶつけてきた。

「やったなー!」

「そっちこそ!」

 二人で水をかけあう。

 結局その日の授業は水のかけあいで終了し、体育教師に、私はサボりで、ハルちゃんは監督不行き届きで怒られた。


 学校は楽しい。

 まだ入学して三年しか経ってないけれど、休みたいほど嫌なこともなかった。

 一人っ子のため、両親の期待は大きい。勉強や成績のことをうるさく言われたが、それもあって授業も真面目に受けていたし、勉強については困ることはなかった。

 運動神経には恵まれなかったが、身体を動かすことは好きだったし苦ではない。

 何より、学校に行けば友達に会える。ハルちゃんたちと一緒に笑っている時が一番楽しい。

 今度皆で夏祭りにも行く約束もしている。今から楽しみでしょうがなかった。


「へぇ、ハルちゃん夏祭り浴衣着てくるんだー」

「いいでしょ? 新しいのおねだりしたら買って貰えちゃった!」

 休み時間。

 ハルちゃん、カホ、ミナ、私の仲良しグループ四人で夏祭りの話をする。

「私も買って貰おっかな」

「私も私も!」

 カホとミナが手をあげて宣言する。

 私も続きたかったが、上げようとする右手をもう片方の手で押さえた。

 それを見て、ハルちゃんが私に耳打ちをする。

「影美ママ厳しいもんね。浴衣私も止めてもいいよ?」

「気ぃ使わないの! 大丈夫っ。私もはりきって一帳羅着てくるから!」

 私はニッと歯を見せて笑った。


 自宅に帰り、クローゼットからお気に入りのワンピースを出して身に纏う。

 パステルカラーの花柄のワンピース。私の一番のお気に入り。


 明るい色が好きだった。

 パステルもビビッドも、鮮やかで見ているだけで心が軽やかになる。

 女子たちの間ではモノトーンが流行っていたけれど、私は断然カラフルな色が好きだった。

「遊んでばっかいないで勉強しなさい」

 玄関を出る時、母に嫌味を言われるのが少し嫌だったけれど、私には理解してくれる友達がいる。

 私、御園影美は、どこにでもいる、いたって普通の小学生だった。




「好きです。付き合ってください」

 三年生の三学期。突然告白された私は戸惑ってしまった。

 告白してきたのは隣のクラスの山之内順平と名乗る男子だった。

 山之内くんのことは知っていた。明るく勉強も出来て人当たりも良く、クラスの垣根を越えて人気者だったから。

 そんな人気者の男の子がクラスでも目立たない普通の女子の私に告白してくる。

 何かの罰ゲームかと思ったが、本人はいたって真面目であり、告白がいたずらではないことを悟る。

 私は返事に迷ってしまった。

 付き合うって、まだ小学生だしわからない。

 それに、私はハルちゃんたち友達と遊んでいたい気持ちの方が強い。私の優先事項は友達だった。

 だから私は真摯に交際を申し込む彼に頭を下げるしかなかった。


 それからのこと、私に対してのハルちゃんの態度が少し変わり始めた。ハルちゃんほどではないが、カホとミナも心なしかいつもと態度が違う。

 私と話している時も、どこかギクシャクしていて笑顔もぎこちない。会話もそんなに盛り上がらなく、ちぐはぐしたものになってしまう。

 もっとすると、廊下ですれ違ってもハルちゃんは私と視線を合わせない。

 私から声をかけたとしても返事を返してくれないし、避けられている感じがした。


「ハルちゃん、私何かした? それとも、何かあった?」


 ハルちゃんたちの様子に違和感を感じ、私は三人に避ける理由を聞き出した。

 その時も、私を除いた三人で集まっていて、私だけのけ者状態だった。

「ねぇ、どうして避けるの?」

 もう一度、今度はハルちゃんを見て言う。

 一番私に対しての態度が変化したのはハルちゃんだ。

 ハルちゃんは私に問われると、うつむいて何も言わず、かわりに涙を流して泣き出してしまった。

「え、え……?」

 予想外の反応に、私は面食らってしまう。

 クラスがしんと静まりかえる。

 友人の啜り泣く嗚咽だけが教室内に響いた。


「ハルちゃん、山之内くんのこと好きだったんだよ」

 放課後、カホたちからハルちゃんが私を避けている理由を聞いた。

 直接的な原因が私にあるわけではなかった。

 それでも私がハルちゃんを傷つけたことにかわりはない。

「もう、今までみたいに戻るのは難しいかもな」

 ケンカでもないし、謝って仲直りってのも違う。

「私、グループ抜けるね」

 私が言うとカホもミナも止めなかった。

「……わかった」

「ハルちゃんのことは私らに任せて」

 グループ内だって、私とハルちゃんがギクシャクしていたら居心地が悪いだろう。

 結局は私がグループを抜けるのが一番おさまりが良い。


 帰り道、いつもは四人で歩く通学路を一人で歩く。夕日が嫌になるくらい眩しい。

「くそ、山之内くんめ」

 たかが恋、されど恋。

 小学生の恋愛模様は人間関係を簡単に壊してしまうものなのだ。それがどんなに仲の良い友達同士でも。

「明日からどのグループに入れてもらおう?」

 幸いなことに、別のグループでも仲の良い子はいる。

 そのことに関しては何も心配はなかった。

 それでも、一番の親友とこんな形で仲違いしてしまうのは私にとってショックな出来事だった。

 それ以降、私とハルちゃんが話すことはなかった。

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