第六話
レイビスは、これから魔物狩りに出るというのに、先ほどから別のことばかりが頭に浮かんでは、イラついたように腕を組んだまま指先で自分の二の腕を小刻みに叩いていた。
もともと訳あって他者にはわざと睨みを利かせることが多いが、今ばかりは意識的に睨まなくても漂う不機嫌オーラに誰も近寄ってはこないだろう。
「アラン」
「いや、言いたいことはなんとなくわかるよ。でも俺も心配だったからさぁ。そんなに怒らないでよ」
「十三番目の魔女に何を言った?」
「あー……まあ、あれだよ、第一王子派以外は認めないよ、みたいな?」
「おまえは馬鹿か」
「あっ、酷い! 俺はレイビスのためを思って警告したのに。だってレイビスってさ、十三番目の魔女に惚れ込んでたでしょ? あ、彼女の魔術にって意味でね。君が何かに打ち込める数少ないことが魔術なのに……嫌でしょ、せっかく憧れた魔術師が、敵になるなんて」
アランが眉尻を垂れ下げて言う。
だから「馬鹿」なのだと、レイビスはアランの足を踏んづけた。
「いった! ちょっと、レイビス!」
「俺がなぜ怒っているかわかるか」
「え? 君のお気に入りにちょっかいかけたから?」
違う。その意味を込めてアランの頬を引っ張った。
「いひゃい!」
「おまえ、自分も魔術師見習いのくせに、宮廷魔術師がどういう存在か理解してなさすぎだ。たとえばおまえが啖呵を切った相手が十二番目の魔女だった場合を考えてみろ」
十二番目の魔女は、宮廷魔術師の中でも恋多き男で有名だ。ある意味アランとは同族で、とにかく女性が大好きなのである。
しかしアランと違うところは、彼はとにかく男が嫌いだった。少しでも彼の気に障ることをした男は、もれなく全員火炙りだ。
「俺、死んでるね」
「今はわかりやすく十二番目の魔女を例に出したが、宮廷魔術師は魔術師の中でも変わり者が多いと言われてる。あいつらは政治になんか興味はない。研究費のために王族を守っているような奴や、特権のためにその地位にいるだけのような奴らばかりだ」
「……つまり、余計なお世話ってこと……かな?」
「そういうことだ」
二度と勝手なことをするなと睨む。
「おまえが喧嘩を売ったのが十三番目でなければ、今頃何かしらの報復を受けていたと思え。俺に新しい側近をつくらせる気か?」
「うわ、何その文句。惚れちゃう。ごめん、レイビス。俺を心配して怒ってくれてたってこと? 相変わらず優しさがわかりにくいな~、も~」
「黙れ。たった今別の怒りに変わったから近づくな」
「え~」
まあでも、とアランがご機嫌に続ける。
「俺の杞憂だったっていうのは、本当にそうみたいだけどね。まさかあんな熱烈な返事をもらえるとは思ってなかったよ」
アランが嬉しそうに目を細めた。少し前の出来事を思い出しているのだろう。
アランに喧嘩を売られたはずの十三番目の魔女は、それに憤るでもなく、自分の一番がレイビスだと言い切ったのだ。それも他の人間がいる前で。彼女がそこまで意図していたのかはわからないが、あそこに野次馬的にいた貴族の中には第二王子派の家門もいた。
「それで? あんな熱烈な告白を受けたレイビス殿下のお気持ちは、どうなのかな?」
「おまえ、近寄るなって言ったよな?」
肩を組んできたアランの手を思いきり叩き落とす。
「面白がるな。そもそも彼女のあれは護衛対象としてだろ」
「いいじゃん! それでも! 俺だってあんなまっすぐに言われてみたいよ。だってさ~、女の子みんな『俺のことも』好きだって言うんだよ? 誰かに『俺が』って言ってほしいよね~」
「自業自得だろ」
まだたらたらと不満を垂れているアランを放置して、レイビスはヴィルジールとロドリグの待つスタート位置へと歩を進める。
進めながら、十三番目の魔女のことを無意識に考えていた。
(まっすぐ、か)
まるで誰かさんのようだ。そう思う。
友人をつくるために本を読み漁り、クラスメイトから無視をされてもめげずに前を向いていた、アリーチェ・フラン。
悪く言えば愚直だが、そのまっすぐさは嫌いじゃない。
自分ではレイビスに相応しくないとネガティブなことを言うくせに、だから相応しくなるために頑張るのだとポジティブな一面もある。
(……いや、違うな。似ているからって、なんで今あいつのことを考えた? ここにいない人間のことを)
今はそれよりも、もっと考えるべきことがある。
これから始まる魔物狩りのことだ。
ヴィルジールとロドリグの二人と合流したレイビスとアランは、開始時刻と同時に森の中へと再び足を踏み入れた。
他の生徒と同様に森の中で魔物を狩っていると、レイビスは昨日から感じていた違和感に確信を持ち始める。やけに魔物が少ないのだ。
「会長もそう思います? 僕も同じなんですよね~。少ないっていうか、大人しいんですよ。手応えがなさすぎてつまんないっていうか」
どさっと、ヴィルジールが自分より巨体の魔物を道の端に放り投げた。
「ヴィルジールってさぁ、かわいい顔して怪力なの、ほんと詐欺だよね」
「うるさいですよ、アラン副会長。僕がかわいいって言われるの嫌いなこと、知ってますよね? 魔物ぶん投げられたいんですか?」
「絶対やめてね?」
「ねー! ヴィルと先輩方ー! あっちって立入禁止区域ですよねー!?」
すると、四人の中で一番体格のいいロドリグが、自分の獲物である大剣を振り回しながら左手側の奥を差した。
「ねぇ、ヴィルジール。いい加減あの子に剣を振り回すのやめてって注意してくれない? 俺が前に言ったの忘れてるよね、絶対。もしあれがすっぽ抜けてレイビスに当たったらさすがの俺も怒るよ」
「了解でーす。ロドリグ! 差すなら指で差せって何回も言ってるだろ! 副会長に殺されたいの?」
「あっ。すみません……あはは」
「で? 立入禁止区域がどうしたって?」
「そう、あそこ見てよヴィル。あれって生徒だよな?」
「うわ、何やってんのあいつら。文字も読めない馬鹿なの?」
「あらら~、本当だね。レイビス、どうする?」
すでに三人と同じ場所に視線を移していたレイビスは、見覚えのある二人組が入っていったところを確かに目撃した。
二人は後継争いで第二王子派を謳う家門の子息だ。
ちなみに立入禁止区域というのは、今回のインターン用に設定されているものだ。
トロロンの森は広く、魔物を狩る範囲は生徒の安全性を考慮してあらかじめ決められており、例年同じ範囲が設定されている。
「放っておけ。命知らずな敵を助けてやるほど、俺は優しくない。それより魔物のほうが気になる」
「そうだね。じゃあ先に進もうか」
このインターンは、特に勝負事のイベントではないけれど、やはり一番強い魔物を狩ってきた生徒はそれなりに注目を浴び、視察に来ている大人にアピールしやすいところがある。
先ほど立入禁止区域に入っていった二人は、もしかすると今年の魔物の少なさに焦りを感じて、より大物を求めに行ったのかもしれない。
けれど、レイビスはそれを愚かだと判断する。将来宮廷で勤める気があるのなら、特に。組織はいわば団体行動だ。団体行動における禁止事項を守れない人間など、たとえ大物を狩ってきても評価が高くなることはない。
「おお、これはこれはレイビス殿下。奇遇だな」
森の中を探索していると、ブルクハルトのグループと出会う。
他にいる三人の従者は、自国から連れて来た魔術師と騎士だとは聞いている。ブルクハルト自身は、さすが隣国の北方の守護神と呼ばれる家門の息子だけあって、魔術も剣術も扱うようだ。ただ本人はどちらかというと剣術のほうが得意そうではあるが。
「その様子だと、そちらも良い獲物には巡り会えてなさそうだな」
「あはは、そうなんですよ~。まあお互い最後まで頑張りましょう、レヒナー殿」
アランが人当たりのいい笑みで応えて、レイビスの背中を押すように先へ促す。
お世辞にも仲の良い相手ではないので、レイビスは押されるまま足を進めた。
が、なんと、向こうから喧嘩を売ってきた。
「そういえば今朝、十三番目の魔女があなたに告白したらしいと聞いたんだが、本当かな、レイビス殿下? いやはや、羨ましいものだ。今最も注目を集めている魔術師に求愛されるとは」
これは安い挑発だ。レイビスは白けた顔で黙って通り過ぎようとした。
なのに、こういうとき喧嘩を喧嘩だと思わない――ようは人の悪意に鈍感なロドリグが、主人を褒められた犬のように嬉しそうに応えてしまう。
「そうでしょう、そうでしょう! うちの殿下はとってもモテるんですよ! 噂の十三番目の魔女だって虜にしちゃうんですから。それに最近は、他にも良い感じの子が――」
「ロドリグ」
いつもなら面倒で放っておくロドリグの自慢話を、自分でも無意識に止めたときは続く言葉を見失った。
この場にいる全員の視線が自分に集まっているのはわかっているのに、なんと続ければいいのかが浮かばない。何を言ってもブルクハルトの興味を引いてしまいそうで、そこではたと気づく。
もしかして自分は、ブルクハルトに興味を持ってほしくないのかと。彼女まで十三番目の魔女のように狙われるのはごめんだと、そう思っているのかと。
自分で自分の気持ちに衝撃を受けていたとき、その咆哮は轟いた。
――ォオオオオー!!
ビリビリと空気が震える。
これまでインターンで相手にしていた魔物とはまるで格が違う。それを一瞬で思い知らせるほどの圧力が頭上にのしかかってきた。
近くにいた他の生徒たちもすぐに気づき、全員が咆哮の主を見上げる。
「あれって、ワ、ワイバーン!?」
誰かが叫ぶと、生徒の間にどよめきが広がった。
どのグループよりも早く攻撃を仕掛けたのは、ブルクハルトのところだ。遠距離攻撃が可能らしい魔術師が
飛行タイプの魔物は、人間にとって最悪なのだ。まず空中にいられると騎士では対応できない。
魔術師だって、空を飛ぶためには緑の魔導書の魔術式が必要だが、それはその魔導書の中でも最難易度を誇る複雑な式なので、読み解いた上で行使できる者は数少ない。
生徒たちがパニックを起こすなか、レイビスは冷静に状況を分析し始めた。
ブルクハルトの連れは攻撃が届かなかったくらいでは戦意喪失することはなく、手法を変えて攻撃を続けている。ブルクハルトも共に攻撃魔術を放っているが、その厳しい表情から、有効な手段を持ち合わせているわけではなさそうだと推測する。
空を飛ぶワイバーンが二体、三体と増えていくのを見て、レイビスは舌打ちした。だから魔物が少なかったのかと、ようやく答え合わせをする。初級の魔物は、おそらくワイバーンに喰われでもしたか、もしくはワイバーンを恐れて大人しかったかのどちらかだろう。
一体のワイバーンが大きく翼をはためかせたのが視界に映って、レイビスは声を張り上げた。
「全員結界を展開しろ! 来るぞ!」
レイビスの指示に咄嗟に反応した生徒たちが結界魔術を展開するのと、ワイバーンの蛇のような尾が迫ってきたのはほぼ同時だった。尾の先は矢尻のように尖っており、それがある生徒の結界に突き刺さる。パリンと薄ガラスが割れるような音が響き、魔術を破られた生徒が恐怖で尻餅をついた。
しかしその生徒を助ける前に、他のワイバーンも次々と自身の尾を矢のようにして突撃してくる。
ワイバーンの尾の先端には、毒がある。正直、身体にその尖った先端を受けるだけでも死ぬ可能性は高いのに、運良く助かっても毒が回って死んでしまう。
(時間との勝負だな)
ワイバーンが次の攻撃のための予備動作に入った隙を狙って、レイビスはこの辺り一帯を囲む結界を展開した。ワイバーンがその結界目がけて突撃してくるが、これは簡単には破られない。
「さすがレイビス。でもこれ、どれくらい保ちそう?」
「数が多い。長くは無理だな。おい、ブルクハルト殿。攻撃が届く奴は一人もいないのか」
「無理だ。外にいる俺の護衛ならまだしも、インターン中にプロを入れるわけがないだろう」
それもそうだ。となると、やはり外の護衛隊が非常事態に気づいて来てくれるのを待つしかない。
「アラン、俺の結界の後ろに二重で結界を張れ」
「了解」
「他の奴らはなるべく結界の中から出るなと伝えろ! 出た奴は守らないとな!」
「「は、はいっ」」
一か所に集まるのは時に愚策ではあるものの、今回ばかりは致し方ないと奥歯を嚙む。
「会長、倒した魔物を投げてぶつけてみるのはどうです?」
ヴィルジールがこそっと提案してきた。思わず呆れた眼差しをやってしまう。
「おまえ、化け物か」
「僕だけじゃさすがに無理ですよ。でもロドリグとタイミングを合わせればいけるかもしれません」
「だがそのために結界を解くのは躊躇う。確実に当てられるか?」
「う~ん……微妙です」
「なら待とう。外には十三番目の魔女もいる」
しかしそう言ったとき、ブルクハルトが疑わしい視線を寄越してきた。
ワイバーンは諦めずに結界への攻撃を続けている。
「その十三番目の魔女だが、本当に大丈夫なのか?」
「あ?」
「確かに噂はすごいものだが、私はまだ実際に彼女の魔術を見ていない。本人と話してみたが、とても噂どおりの魔術師には見えなくてな」
「はっ。だったらそう思っておけ」
そのほうが好都合だとも思う。あの鮮烈な体験をさせてくれた魔術師を奪われるのは、当然だが癪だ。
何体ものワイバーンの攻撃を受けた結界は、次第に削られ始めている。
ワイバーンは知能がない分ひたすら敵に向かって攻撃してくるので、いつまでも耐えられるものではなさそうだ。
「ああっ、だめだ、殿下の結界が……このままじゃ護衛隊が間に合わないっ」
「狼煙は上げてるのか!?」
「上げてるけど、ここは森の奥だぞ! 時間がかかるのは当たり前だよ!」
一度は結界のおかげで戻った冷静さだったが、護衛隊の到着が遅いことで再び生徒の間に動揺が広がっていく。
――オオォー!
何度目かの咆哮が空から落ちてきたとき、何体ものワイバーンが一斉に結界に突撃してきた。バリバリと結界にヒビが入る。まずいと冷や汗を流した次の瞬間、トドメの一撃でレイビスの結界も破られてしまった。
「あ、ああっ、殿下の結界が……!」
素早く森の入り口方面へ視線を走らせるが、護衛隊の気配すら感じられない。魔物が少ないからと奥に入りすぎたのだ。
ワイバーンが大きな翼をはためかせて、今度こそ殺しにかかろうとしたとき。
――空に、大きな陣が展開された。
ほぼ同時に夜のような暗闇がドーム状に広がる。それは三番目の魔女によって施された森の結界の内側を沿うように展開されていた。
あっという間に昼と夜が逆転した。空には星々の輝きまで浮かんでいる。
その幻想的な光景に目を奪われていたとき、星がワイバーンに向かって流れ落ちていくではないか。それも、流れ星のように次々と。容赦なく。硬いワイバーンの身体を貫いていく。
圧巻の光景だった。
あまりにも美しかった。
展開された緻密かつ壮大な魔術式も、煌めく夜空も。
そして、自分の魔術で堕ちていくワイバーンを宙に浮かんだまま静かに見下ろす、白いローブの存在も。
非情にも見えるその落ち着きぶりは、レイビスにあの日のことを思い出させる。
初めて黒の魔導書の魔術が発動され、身勝手に心臓を蹂躙されたあの日のことを。
圧倒的な力の差を、手加減なしにぶつけられたあの衝撃を。
誰もが唖然としている。自分たちでは全く歯が立たなかった飛竜を、こうも簡単に倒していく小さな存在に。
「これが、黒の魔導書……」
ごくりと、ブルクハルトが息を呑んだ。
「あれが、十三番目の魔女……!」
そう、レイビスがただ一人、心を動かされた魔術師だ。
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