第五話


 ちゅんちゅん、と爽やかな鳥の鳴き声がする。

 生徒たちの天幕にあるような簡易的なベッドではなく、問題が起きたらすぐに対応できるよう毛布にくるまって寝ていたアリーチェは、ズンと重たい瞼を上げた。

 正直、ほとんど眠れていない。目を閉じても脳内でアランの言葉が蘇り、モヤモヤして眠れなかったのだ。

(起き、なきゃ)

 アリーチェはこれまで色んな人と出会ってきた。けれど、昨夜のアランほど人が変わったように態度が違う人を見たのは初めてだった。

 レイビスもアンヌ=マリーも、確かに最初の印象とは違う印象を抱くことはあったけれど、アランほどの豹変ではない。

 しかもアランの場合は、優しい人だと思っていたら実は怖い人だった、というレイビスたちとは逆パターンだ。ショックも大きい。

(でも、なんで急に、あんな……?)

 魔術で生み出した水を使って顔を洗い、アリーチェはいそいそと準備を整えていく。

 インターンは、今日を含めて残り四日。

(後継争いが激化してるって言ってたけど、全然知らなかった……そうなんだ)

 後継争いということは、まさにレイビスが関係しているはずだ。

 サンテール王国には、三人の王子と二人の王女がいる。このうち次期国王に選ばれる可能性が高いのは、王子三人。

 ただ、第三王子がまた幼いことを考えるなら、有力候補は第一王子と第二王子だろう。

 王宮の事情に詳しくないアリーチェなんかは、第一王子であるレイビスが自動的に次の国王になるものだと思っていたが。

(そんな簡単なことじゃ、ないんだ)

 だから、アランは忠告してきたのだ。彼はレイビスの味方だから。

 レイビスの敵になるなら容赦はしないと、わざわざ警告してきた。

「…………」

 学園で見るレイビスも、アランも、こう言っては失礼かもしれないけれど、年相応の男の子にしか見えない。

 なのに二人の背負うものはアリーチェが思うよりずっと重く、大きく、きっと想像の何倍も何十倍も大変なのだろう。

(国を……この国に住む人みんなのことを、考えなきゃいけないんだよね……)

 アリーチェは自分のことだけでもいっぱいいっぱいだというのに。

 そんな二人の敵になんて、なりたくない。

 そんな二人を傷つける人がいるなら、守りたい。

「レヒナーさんは守る。でも、一番は、決めた」

 白いローブを羽織って、アリーチェは自分の天幕から出た。


 外に出ると、すでに生徒たちが今日の狩りのための準備に取り掛かっていた。

 生徒が行き交う中を、アリーチェはしっかりとした足取りで歩いていく。


「昨日は楽勝だったなぁ」

「な。今日もそうだといいけど」


「昨日魔物少なくなかった? このままじゃやばくない?」

「いいとこ見せられねぇよな」


「ちょっとあんた、昨日の夜どこ行ってたの?」

「えー? えへへ」

「なんでもいいけど、狩りのときはちゃんとしてよ。女だからって舐められたくないんだから」

「はーい」


 アリーチェは目的の人物アランを見つけて、フードの先をきゅっと引っ張りながら小走りした。昨夜の冷たい態度を微塵も見せない、アリーチェのよく知る柔和な笑みを浮かべている。

 その近くにレイビスはもちろん、ヴィルジールとロドリグもいた。生徒たちは天幕ごとで行動しているようだ。

 もう少しでアランに気づいてもらえそうなところまで来たのに、気を逸らせた罰なのか、アリーチェは石に躓いて盛大に転けてしまった。

 ドサァア! という大きな音は、周辺の生徒たちの視線を一身に集める。

 まさかこんな大事な場面でやらかす自分の鈍臭さに、アリーチェは起き上がれない。

 自他共に認める女性に優しい紳士であるはずのアランでさえ、突然のことに驚いて固まっているようだ。

 すると、そばで誰かがしゃがみ込んだ気配がした。

「おい、大丈夫か? 今何で転けたんだ、おまえは」

 その呆れたような声で、すぐに誰なのかわかった。最近よくアリーチェの心を翻弄する、耳触りの良い低い声。レイビスの声。

『平気です』

 水を駆使して宙に文字を描く。

 恥ずかしすぎるので、もうこのまま伝えたかったことを伝えてしまおうと、アリーチェは続きを描いた。

『昨夜の返事を、ランベルジュ様にしに来ました。わたしの一番は、レイビス殿下です』

 少しだけ顔を上げると、正面にいるアランの表情がよく見える。彼は目を丸くして宙に浮かぶ文字を見ていた。

 これで自分の意思は伝わっただろうと満足したアリーチェは、ささっと立ち上がり、逃げるようにまた走る。何度か転けそうになったけれど、なんとか耐えて自分の持ち場へと向かった。

 だから、アリーチェは気づかなかった。

 その文字をアラン以外も見てしまったことに。

 そのせいで、十三番目の魔女はレイビス殿下に惚れていて、アランは振られたという噂がしばらく貴族たちのネタにされることを、アリーチェも、そしてアラン同様固まってしまっていたレイビスも、このときは想像もしていなかったのである。


 魔物狩りのために森の奥へ向かった生徒たちを見送ったアリーチェは、見送ってからじっとその場を動かない。

 なんだか心臓が変にドキドキしているのだ。何か大切なことを見落としているような、そんな気がしてならない。

 こんなことは初めてで、そわそわする心を慰めるように森の奥を見つめていた。

 そのとき、いきなり肩を組まれて、隣を見上げたら見知った大男がいた。

「やるなぁ、十三番目の嬢ちゃん。殿下に告ったんだって?」

 彼はこの警護計画の責任者で、第三騎士団長である。

 作戦会議で何度か顔を合わせたが、端っこにいたアリーチェはそこまでの絡みはないはずだ。

 彼が部下とも気安い関係を築いているのは見ていればわかったけれど、いざ自分にやられると戸惑いしかない。

 こういうとき、どう反応するのが正解なのだろうと思いながらアリーチェは応えた。

「あ、あの、こく、告った? とは、なんのこと、で、しょうかっ?」

「あん? 隠すなって。しかも魔術で告白したんだろ? 殿下が魔術好きなの知っててやったんだったら、意外と策士じゃねえか。俺は好きだぜ、そういうしたたかな女」

 本気で意味がわからなかったアリーチェは、頭から疑問符を出しすぎてだんだん疲れてくる。

 そんなことより、アリーチェにはちょうど彼に相談したいことがあったのだ。

「だだっ、団長さん」

「ん? つかおまえ、いい加減俺に慣れろよ」

「すすすみませんっ。きょ、距離が近すぎて、ちょっと、あの、無理っていうか……」

「無理!?」

「あっ、あっ、ちがっ、えっと、難しい! みたいな!」

「チッ。じゃあ離れてやるよ。ほら、これでいいか?」

「あ、ありがとう、ございます」

 それで、と気を取り直して続ける。

「なんか、変、ですよね?」

 アリーチェがそう訊ねた瞬間、第三騎士団長の顔つきが鋭いものに変わった。

「へぇ。どんだけ鈍臭くても、やっぱ宮廷魔術師だな。気づいてたか」

 褒められたのか貶されたのかわからなくて、アリーチェは苦笑する。

「俺も同意見だ。なーんか静かすぎるんだよなぁ。インターンとは別で俺もここには定期的に討伐に来るんだが、いつもはもっと魔物がいんのにな。まあ、単に大人しいだけならいいんだけどよぉ」

 アリーチェもこくりと頷く。

 魔物の数が減ってきたおかげで静かだというのなら、それは良いことだ。

 けれど、だとしたら、この胸騒ぎはなんなのだろう。心臓がさっきから忙しない。昨夜の静かな森も、平穏からではなく嵐の前の静けさのような気がして、今にも森の中へ入っていきたくなる衝動に苛まれている。

 だって森には、インターンのために先ほどレイビスが入っていった。

(何もないなら、それでいいんだけど……)

 彼と、そして彼の友人たちの無事を祈ろうとしたとき。


 ――ォオオオオー!!


 天を裂くような咆哮が森中に轟いた。

 心臓にまで響くような轟音だ。

 空気が圧力となって頭上にのしかかってくる。

 ――オオォォー!!

 二度目の咆哮。これはもう間違いない。

「クソッたれ! そういうことかよ!」

 第三騎士団長も咆哮の主の正体を把握したらしい。彼は自分の部下に向けて急ぎ森の中へ入る指示を出し始めた。

 一気に護衛隊の緊張が高まる中、アリーチェは見た。

 空を飛ぶ緑色の竜。頭はドラゴンだが、コウモリの翼を持ち、ワシの脚、蛇の尾が特徴的な魔物。

「――ワイバーン!」

 それが何頭も空を旋回し、地上へ突進し、それを撃退しようとする魔術の光まで見える。

 ああ、そういうことかと、やっと騎士団長の悪態の意味を理解する。

 森が静かだったのも。魔物が少なかったのも。そして自分の胸騒ぎも。

 全ては、あの飛竜のせいだ。

 初級の魔物しか棲息していないはずのトロロンの森で、中級の魔物が現れた。

 時間をかけずに準備を整えた護衛隊が、続々と森の中へ進行していく。

 しかしアリーチェだけは、その場で敵を見据えてすうっと目を細めた。



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