第四話


 あのあとヴィルジールが天幕に戻ってきて、インターン開始の知らせを運んできたためレイビスとは別れた。

 インターンの最中は、アリーチェを含む護衛隊は森の入り口で待機することになっている。なぜなら、インターンでは生徒たちが自力で魔物と戦うことに意義があるからというのと、細かな問題は基本的に教師が対応することになっているからだ。

 そのため、警護計画はそれ以外の時間を対象に練られている。

(殿下、大丈夫かな……。ランベルジュ先輩たちも一緒みたいだけど)

 先ほど天幕にアランはいなかったが、彼も同じグループらしいということは共に出発する姿を見て知った。

 アリーチェは、服の中にしまっていたネックレスを取り出す。自分にはもったいないほど高度な魔術が付加された代物だ。レイビスがくれたもの。それを手の中に握る。

(初級の魔物しかいないって聞いてるし、だから、きっと大丈夫)

 ちなみにアリーチェは、侯爵家で散々扱き使われたおかげで実戦経験は豊富である。それを踏まえると、レイビスに言われたとおり、黒の魔導書も使える自分は実力としては強いのかもしれない。

 けれど強いからといって何ができるわけでもないことを、アリーチェは知っている。強さが万能ではないことを、トーマスおじさんが教えてくれたから。

(早く、無事に戻ってきますように)

 ネックレスに心からの祈りを捧げた。


 祈りの甲斐があったわけではないだろうけれど、初日の魔物狩りは恙なく終了したようだ。

 全員大きな怪我もなく戻ったという報告を端で聞き、アリーチェは胸を撫で下ろした。

 生徒会チームも、遠目から見た感じではあるが、軽傷すら負っていないのはさすがだと感心する。

 ここから朝までは各自天幕の中で野宿することになるが、今年は王族と隣国の王家の血を引く高貴な人間が二人もいるので、アリーチェの仕事はこれからが本番だ。

 騎士たちも交代で寝ずの番をすることになるので、各自計画どおりの配置につく。

 魔術師であるアリーチェの仕事は、まず森の様子を確かめることだ。昼の魔物狩りによって興奮した魔物が残っていないかを確認し、もし襲ってきそうな雰囲気があれば攻撃魔術の使用許可を受けている。

 一人夜の森の中に足を踏み入れ、躊躇うことなく進んでいく。

 アリーチェは魔物に対しての恐怖心はない。本当に怖いのは人間だと知っているから。

(? なんだろ。なんか、森が……)

 歩を止める。

 そのとき、後ろに感じていた気配もほぼ同時に止まった。

 ずっと自分の気のせいだと言い聞かせて仕事に集中していたけれど、さすがにここまでわかりやすくアピールされれば放置もできない。

 森に感じた違和感をいったん思考の外に置いて、くるりと振り返った。

「あ、あの、何を、してるんでしょうか。レヒナー様」

 闇に紛れ込んでいたブルクハルトが、月明かりの下に一歩出てくる。

 雄々しい美丈夫の姿が露わになるけれど、アリーチェの心は昼のときのことを思い出して恐怖に揺れた。

「そう警戒しないでくれ。いつ声を掛けてくれるかと待っていただけなんだ。あなたを勧誘するには、まずレイビス殿下の目を盗む必要があったから」

「か、勧誘……?」

「それにしても、あなたは噂の武勇伝が嘘のように怖がりだな? 本当に十三番目の魔女なのか?」

「え、ええっと……」

 実は偽者なんですー! と明るく言ったら、向こうも軽く「やっぱりそうだったかー!」と諦めてくれないだろうか。そしてそのまま早く天幕に戻ってほしい。

(なんだか嫌な感じもするし……)

 やけに月が青白く、こんな夜は布団にこもって早く眠るのがいいとトーマスおじさんに教えられて育ったアリーチェだ。満月が近いからか、余計にその白さが際立っている。

 そのとき、近くの茂みから葉の擦れる音がして、ブルクハルトと同時にそちらを警戒するように身構えた。

 すると。

「えっ!? レヒナー公子様!?」

「十三番目の魔女様まで!?」

 一組の男女が木陰から現れる。その奥は獣道すらないような場所だが、なぜそんなところから生徒が出てきたのかと、アリーチェなんかは頭上に疑問符をたくさん浮かべた。

「「す、すみませんでしたぁ! 見逃してください~!」」

 二人はアリーチェたちが何かを言う前に脱兎のごとく逃げていき、アリーチェはぽかんとそれを見送る。

 二人が向かったのが森の奥ならば追いかけたが、入り口に向かっていったのでまあいいかという思いもあった。

「ふむ。名高い魔術師を多く輩出する学園とはいえ、そこに通うのは多感な時期の子どもというわけだな」

「? ど、どういう……?」

「どこの学校にも火遊びをしたがる奴がいるってことさ。特に貴族ともなると、結婚相手は親に決められることが多いからな。親の目が届かないこういうときこそ緩くなるのも必然なのかもしれない」

 一人納得したように腕を組んで頷くブルクハルトに、アリーチェはますます訳がわからなくなった。

 というか、とても同じ年代の子どもとは思えない発言が聞こえたのだが。彼だってレイビスと同い年だった記憶がある。

(確かに見た目は、ちょっとだけ、上に見えなくもないけど)

 なんだか人生経験が豊富な老人のような風格だ。

「そういえば、あなたはいくつなんだ?」

「えっ」

 脈絡なく始まった世間話に驚く。

 それはこの雰囲気でする話なのだろうか。なんなら魔物のいる森でする話では絶対にない。

「あ、あの、それより、早く、天幕に」

「いくつなんだ?」

(頑固……!)

 どうやら答えないと見逃してくれないようだ。

「じゃ、じゃあ、答える、ので、あっ、歩きましょう!」

 特に興奮した状態の魔物が残っているわけではなさそうだと判断し、アリーチェはブルクハルトに戻ってもらうことを優先することにした。

 これで万が一にも彼を危険な目に遭わせてしまったら、サンテール王国側の責任になってしまう。それがレイビスにとって良くないことだとはわかるので、アリーチェは必死に説得した。

「しょうがないな。ならばゆっくり歩こう」

 そこで質問攻めにされながら、アリーチェは答えられる範囲で適当に答える。

 帰る途中にも、また別の男女が木陰で抱き合っているのを見つけてしまい、動揺したアリーチェは叫びそうになった。

 しかも、その男のほうがアランだと判明したときには、顎が外れそうになるくらい口を開けて言葉を失った。

 女子生徒のほうは見られた羞恥心で走り去っていったのに、アランは逆になぜか堂々とした態度でアリーチェたちに近づいてきて、結局一緒に森の入り口に向かっている。

「いやなに、サンテール王国第一王子の側近であるランベルジュ殿の色男ぶりは、我が国にも轟いているのでな。私はそこまで驚いていないぞ」

「あはは、十三番目の魔女様には嫌われちゃったかなぁ」

「…………」

 アリーチェは横に並んで歩く二人から距離を置いて歩いている。

 抱き合う男女二人を見て、ようやく先ほどのブルクハルトの言葉が理解できたアリーチェだ。

「ランベルジュ殿は、婚約者は? 先ほどの女性ではないようだが」

「どうしてわかるんです?」

「一人で帰らせたからだ」

「ああ、なるほど。まあ、それは正解です。婚約者もいませんよ。いたらさすがに逢引なんてしませんからね。俺は女の子が大好きなので、今のうちに楽しんでいるだけです」

「そうだったのか。だが、一人に絞るのもいいものだぞ。特に最愛はな」

「お? その様子ですと、最愛の方がいらっしゃるようですね? レヒナー殿には」

「いや、私の両親がそうでな。互いに好き合って結婚している」

「へぇ、それはまた珍しい。羨ましいくらいです、愛した人と結婚できるなんて」

「ああ、その気持ちはわかる。それだけに、遊びたくなる気持ちもな」

「ま、真面目な女性には不評のようですけど」

 二人が同時にアリーチェを振り返ってくる。そこはもう二人で会話して自分のことなんて忘れててくれればいいのにと思ってしまう。

「ところで、レヒナー殿の言う〝遊び〟相手ですけど、まさかそちらの小さな魔術師殿ではないですよね?」

 それまで普通だったアランの目が途端に鋭く光ったような気がして、アリーチェは肩をびくつかせた。

「ははっ。ランベルジュ殿ほど熱い夜を過ごしていたわけではないが、口説いていたのは間違いないな」

「あらら。じゃあうちの王子様は、出遅れちゃった感じかなぁ」

「レイビス殿下か? 確かに彼は十三番目の魔女に執着していたように見えたが、あれは恋愛とは別だろう」

「それはそうですけど、もし公子の手を取られたら振られることに変わりはないですからね。俺としては、見過ごせないかなと」

「ほう?」

 だんだん二人の間に漂う空気が悪くなってきて、アリーチェはお腹を押さえた。胃が痛い。

「お気をつけください、レヒナー殿。我が国の第一王子殿下は、自分のものを奪われることを何より嫌います。たとえ、

 にっこりと微笑むアランとは対照的に、アランの言葉の裏に隠された意味を読み取ったらしいレヒナーは奥歯を噛み締めた。

「あなたの逢引相手、どこかで見た顔だと思ったが……そういうことか。うちの国でも手広くやってる商人の娘だ」

「らしいですね」

「はっ、さすがは第一王子の側近。逢引まで仕事熱心だな」

 やっと森の入り口に辿り着いて、アリーチェはこれ以上二人の険悪な雰囲気が深まらないうちにレヒナーの背中を押した。天幕まで連れて行こうとしたら、なぜかアランに手を取られる。

「では、天幕はもう目の前なので、こちらの小さな魔術師殿は返してもらいますね。良い夢を」

 アリーチェは困惑しながらも、特に抵抗せずアランに手を引かれる。

 背中にはしばらくブルクハルトからの視線が突き刺さっていた。


 ブルクハルトの姿が見えなくなった頃、アランがぱっと手を放す。

 柔和な微笑みは学園で見るものと変わらないはずなのに、その情熱的な赤い瞳は、いつもの穏やかさが抜け落ちたように冷たい炎を宿していた。

「順番が逆になったけど、初めまして、十三番目の魔女殿。俺はアラン・ド・ランベルジュ。さっきはごめんね? 変なところを見せてしまって」

 生徒会の中では一番優しそうな雰囲気を持っていたのに、今はどこか怖くて、アリーチェは戸惑いながら後ずさりした。

「話を聞いていたからわかると思うけど、他国の貴族なんかと二人きりになった悪い魔女殿に、一つだけ忠告しておこうかな」

 悪い魔女、と言われて余計に頭の中が混乱する。

 彼の前でも正体バレ回避のために声は出せないので、黙って続きを待った。

「裏切りを疑われたくなかったら、あまり彼と軽率に二人きりにならないほうがいいよ。君も王宮で働いているなら知っているんじゃない? 今、王宮では後継争いが激化しているって。第二王子殿下の母君はね、元を辿るとレヒナー公爵家の血筋なんだ。だからこそ彼のためにこんな大層な護衛隊が組まれているわけだけど、君がもしあちら側につくというのなら、俺は容赦しないよ。たとえ君が、守るべき女性でもね」

 ぐっと距離を詰めてきたアランが、フード越しの耳元で囁く。

 それから離れていった彼の顔には、これまで見たことがないくらい酷薄な笑みが浮かんでいた。

 もしかして大変なことに巻き込まれているのではないかと、アリーチェはしばらく呆然として動けなかったのだった。



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