「役者には給料を」

 陛下に謹慎を命じられた私は王都を離れ、父の領地フォールコンロイ領に戻り、今はゲイルズマーチの別邸に滞在していた。

 ゲイルズマーチはフォールコンロイ領の南部最大の都市で、フォールコンロイ領全体では三番目に大きな街だ。フォールコンロイ領の南の玄関口とも言われている。

 フォールコンロイ家の領地は広いことは広いが、大半は、冬には凍り付く山や森だ。厳しい冬が明ける頃、野山のあちこちに可愛いフルラの花が咲き始め、人里では花祭りフルラフィエの話題でもちきりになる。

 フルラの花は小さな一年草で、春の早い時期に可憐な薄桃色の花を咲かせる。創世神話に登場する十二の花の精のうちで最も小さく、若いのがフルラの精だ。フルラは春の訪れを告げ、十二の姉妹の先頭を歩くとされる。

 花祭りフルラフィエは、フルラの開花を祝い、春の訪れを喜び、女神ハンナビスへの感謝を献げるフォールコンロイ領のお祭りだ。フルラの花が町中に飾られ、朝から晩までさまざまな催しで賑わう。どの街や村でも祝われているが、最も盛大な祭りで知られているのはここゲイルズマーチの花祭りフルラフィエだ。

 この街の花祭りフルラフィエには長い歴史があり、ローディアス王国建国期の事件を記した叙事詩『ローディエナ』でも、ゲイルズマーチの花祭りフルラフィエに関して書かれた箇所がある。

 また、この祭りは婚礼の祭りでもある。フォールコンロイ領では、寒い冬の間は婚礼を控える習わしがあるのだ。この禁忌の解禁日となる花祭りフルラフィエでは、大勢の新郎新婦が婚礼衣装に身を包み、街の人々はフルラの花びらを降らせて祝福する。もともとは貧しい農民たちが、倹約のため、共同で挙式をするための方便だったようだ。今日では富裕層も含め、多くの若者が花祭りでの結婚フルラフィエ・コンレに憧れを持ち、他領からわざわざゲイルズマーチまでやってきて挙式をする人もいるほどだ。誰が言い出したものか、花祭りフルラフィエで結婚した夫婦は生涯幸せになるという噂まである。「二人はいつまでも幸せに暮らしました」とさ。

 他領から来るのは新婚だけではない。多くの旅芸人がゲイルズマーチに集まり、街道沿いのあちらこちらに芝居小屋を建てて興行を打つ。春を祝う神話がらみの演目が多いが、婚礼の雰囲気にあてた恋愛ものも人気があるし、奇をてらって戦記物や歴史劇をやる小屋もある。祭りの雰囲気の中なので悲劇は少なめ、喜劇の方が多い。大女優バルロティータの「幸福な結末とは結婚式で終わるものだ」という言葉は、花祭りフルラフィエのことだという説もある。花祭りフルラフィエは結婚に包まれるのだ。舞台の上でも、街の中でも。

 私にとっても花祭りフルラフィエは特別な思い入れがある。子供の頃から私はこの季節をゲイルズマーチの別邸で過ごした。祭りの日にこっそり屋敷を抜けだしては、お芝居をはしごして歩くのだ。私が毎年、屋敷の厳重な警戒をかいくぐって、あんまり巧妙に抜け出すので、父公爵も執事のブレアも弱り果て(あきれ果て、かもしれない)、しまいには祭りのうち一日だけ、親友のジュリエッタ・ダニア男爵令嬢と一緒に、護衛付きで観劇が許されるようになった。護衛もなしに抜け出されるよりはまし、というわけだ。

 毎年私たちがいくつも演劇を観て回るおかげで、芝居芸人たちからは「二人のお芝居姫」とあだ名されるようになり、時には座長が私たちのところまで挨拶に来たし、終演後の楽屋で役者たちと談笑することさえあった。

 ある時など、公演後の楽屋で、酔っ払った座長が上機嫌でこんなことを言った。

「いずれ、二人のお芝居姫の戯曲を書きましょう! 見目麗しい二人の姫君が、お芝居に夢中になるお話です。これは国中で人気の演目になりますぞ。さっそく、うちのかみさんに脚本に取りかからせましょう」

「あら、まさか」と私。「私を戯曲にするなんて、お父様が許さないでしょうね、絶対」

「公爵閣下なら許すわよ」とジュリエッタ。「もしもあなたが『このお芝居気に入ったわ。お父様、どうぞ公開をお許しください』ってお願いすればね」

「許してくれるわけないでしょ」と私。「『極北の氷壁』と異名を取るお父様が私にどんなに厳しいか、あなたはわかってないのよ」

「護衛付きで芝居を三つはしごして、言う台詞?」とジュリエッタが言い返す。「フォールコンロイ公爵閣下がどんなに娘を甘やかしているか、あなたはわかってないのよ」

 もちろん私も譲りはしない。

「賭けてもいいけど、お父様はフォールコンロイ領での上演を禁止するでしょうね」

「その賭け、乗るわ。もしも上演が許されたら、一つ言うことを聞いてもらうわよ」

「ええいいわ。絶対許すはずないもの。それどころか、お父様なら罰則もつけるでしょうね。上演したら、座長にむち打ち、二十回といったところかしら」

「甘んじて!」と座長が喜ぶ。「大傑作で名を残してむち打たれるのなら一座の名誉、悪くありませんぞ」

 看板役者の優男、アーシタが立ち上がって杯を掲げ叫んだ。

「ザスーラ座長にはむちを! 役者にはきゅうり、きうり……」

「噛んでるわよ!」

 私とジュリエッタが野次ると、みんなはどっと笑った。アーシタは大事な台詞をいつも噛む。彼は慎重に言い直した。

「こんな美男子にそんな冷たい言葉を返すなんて――さあザスーラ座長にはむちを! 役者には給料を」

 今度は皆も、笑いながら唱和した。

「座長にはむちを! 役者には給料を!」

 これは役者たちの決まり文句で、何に乾杯を献げる時も、続けて「役者には給料を!」と続けるのがお決まりだった。

 ああ、今年もザスーラの一座は、西の街道沿いにある大きなウズメの木のふもとに、あのボロボロの芝居小屋を据えただろうか。ザスーラはまた売上を使い込んで酒を飲んでいるかしら。皆の演技が見たい。今年の演目は『覚えの悪い伯爵夫人』か、それとも『天雷の勇者』辺りか。受け狙いの『薔薇をひさぐ花嫁』かも。どうせザスーラのおかみさんの新作は間に合わなかっただろうし。アーシタはまた決め台詞を噛んだりしてないだろうか。ミムジィとクララはまたケンカをしていないかしら。こんなに近くにいるのに、観に行くことはできない。国王陛下に謹慎を言い渡された私が祭りの日に外出を許可されるわけがないし、それに。

 それに、カイン様と国を出るには、このお祭りの混乱を利用しなければならない。

 私とカイン様は、この国では幸せになれない。カイン様が婚約者の私のために観劇に誘って下さり、その感想を語り合っていた時に、私たちは真にお互いを理解しあった。私たちはどちらも、家の責務に縛られている。幸せになるためには、二人で出奔するしかない。私たちがその日見た悲恋『アムスタジア姫の十四番目の朝』に影響を受けたことは認めよう。

 親友のジュリエッタを加え、私たちは三人で計画を練った。ジュリエッタが脚本を書いた。ジュリエッタが階段落ちを披露して噂を流す。私は舞踏会で不祥事を起こし、父によりフォールコンロイ領へ戻され、ゲイルズマーチの別邸に留まる。その後、冤罪が発覚したカイン様も処分を受け、王都を離れる。ジュリエッタも「心労からの療養」と銘打って王都を離れ、こっそりゲイルズマーチ入りする。そういう段取りだった。

 実際には、舞踏会の場面でアベル殿下と国王陛下に乱入されてめちゃくちゃになったけど、それは私のせいではないし、最後はゲイルズマーチに戻って来れたからよしとしよう。終わり良ければすべてよし。あとは私が別邸を抜けだして合流地点まで行けばすべてうまくいく。

 三ヶ月前の冬の始まりに、三人で計画を練っていた時、ジュリエッタは私に何度も念押しをした。

「ほんっとに大丈夫でしょうね?」

「大丈夫だってば。何回言わせるのよ」

「まあまあ。ジュリエッタも案じてのことだから……」

 カイン様がとりなそうとするが、ジュリエッタはなおも口うるさい。

「あなたが一番心配なの。あなたが屋敷を抜け出せなかったらこの計画はおしまいなのよ。祭りの日、あなたの脱走は屋敷中からめっちゃ警戒されてるし」

「もう警戒なんてされてないよ。ここ数年、こっそり屋敷を抜け出すなんてやってないもの。みんなすっかり忘れてる。使用人もだいぶ入れ替わってるし」

「一番手強い、お付きの侍女と執事はそのまんまでしょうが」

「そりゃナンナとブレアは私が生まれる前からそのまんまだし」

「だーかーら。あなたの手の内を知り尽くしてる相手ってことよ」

「まあまあ、私の腕前をみてなさいって」

 今日、祭りの最後の日、私は別邸を抜けだして、ジュリエッタが保有する小屋でカイン様と落ち合うことになっている。私たちが「芝居小屋」「ジュリの一座」と呼んでいた小屋だ。それは市門の外側、庶民向けの宅地にある。ジュリエッタがそこに、馬車を用意してくれているはず。私とカイン様はその馬車でゲイルズマーチを離れ、そのまま隣国アルムブラッキアへ逃れる。何があっても舞台を止めてはならない、と三人で固く誓った。

 別邸を抜け出すことについては、うまくいく自信があった。屋敷の中は祭りのために普段とは違う段取りが多く、使用人たちも浮き足立っている。抜け出すコツは荷物を減らすこと。「まさかあんな軽装で家を出ないだろう」と思われるくらいの軽装で家を出て、それからなんとかするのだ。もちろん旅荷物を持って出ることはできない。お金に換えやすい宝飾品を少しだけ。

 私が最後の確認をしていると、侍女のナンナが扉を叩いた。

「お入り」

 公爵家の侍女としていつも落ち着いているナンナだけれど、今日は何やら動揺しているように見えた。

「あの、お嬢様、たった今、急使が手紙を持って参りまして、お返事を頂きたいと」

「急使? どなたから?」

「それが、アベル王太子殿下のお使いだと」

 ぴき、と自分の表情筋が凍り付くのを感じる。嫌な予感しかしない。

「見せてちょうだい」

 王太子殿下の手紙には、今日の午後、ゲイルズマーチに到着するので、別邸を訪問したい、という旨のことが書かれていた。「そんな馬鹿な」と言いたくなるのをこらえる。顔を上げると、心配そうなナンナと目が合った。こちらの領地の使用人たちは、舞踏会での詳細までは聞いていないはず。元婚約者のカイン王子ならまだしも、アベル王太子が来るとなると意味がわからないだろう。私は素速く頭を働かせた。

 突然アベル殿下が来るなんて不吉だけれど、でもこれは好機。「逆境の中にも好機あり」とは歌劇『シュトラインの破滅』の台詞よ。

「王太子殿下がこちらにお越しになるそうよ。用件は書いてないけれど」

「まあ」ナンナは驚きに目を見開いて「お祭りをご覧になるのでしょうか?」

「……とは思えないわね。それなら初日からいらっしゃるでしょう」

「ともかく、すぐお迎えのご用意をしませんと」

「そうね、急使の方には、街の東門へお迎えに上がると回答を。それからこの手紙をブレアに見せて、すぐ客間の用意を手配させて。ナンナもみんなを手伝ってちょうだい」

「かしこまりました」

「あ、ナンナ」

「なんでしょう?」

 思わず呼び止めてしまった。もうこれで、ナンナとお別れなのだ。生まれた時から一緒にいてくれたナンナ。お父様より長い時間、一緒にいたかもしれない。涙がにじみそうになって、私はあわてて言った。

「あ、えーと、ナンナはお祭りに行かないの? その、私は行けないけど気にしないでって意味」

「まあまあ」

 ナンナは目を細めて私を見ると、急に涙ぐんだ。

「お嬢様は本当に大きくおなりになって、ご立派に……私は本当に嬉しうございます」

「な、何よ突然」

 予想以上の反応にびっくりした。私もなんだか切なくなってしまう。

「はい、はい、私も後ほど、少し祭りへ行かせて頂こうかと思っております。お嬢様の……ええ、お嬢様に何かお土産でも」

「いいわ、要らないわよ。楽しんできて。でもその前に、アベル王太子殿下ね」

「はい、かしこまりました」

 ナンナは涙をぬぐうと、アベル殿下からの手紙を手に、執事のブレアを探しに行った。私は部屋で一人、少し心を落ち着かせた。貴族らしいドレスを脱いで、隠してあった平民服に着替える。

 平民らしく扮装し、事前にこっそり手に入れておいた通用門の鍵を使って、私は難なく屋敷を抜けだした。

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