「祈るのは後」

 私が「私たちの芝居小屋」にたどり着いた時には、カイン様は既に小屋に到着して、私のことを待っていた。ちょっと見には王子とはわからないだろう。それどころか貴族にも見えない。平民の若者の服を着ている。

「カイン様!」

「コーデリア、よかった、無事に抜け出せたんだね」

「ジュリエッタは?」

「彼女は先ほど外に出た。何か準備があるとかで。彼女が戻らなくても、出発してくれとのことだった。彼女は街道の先で見送るからそちらで待っていると」

「では、参りましょう」

 ジュリエッタが用意した馬車は、貴人用の馬車ではなく、少し高級な荷馬車といった感じのものだった。割に造りがしっかりしているのは、いい馬車大工に頼んでくれたのだろう。載せる荷物は多くない。身の回りのものだけだ。

 カイン様が御者台に上り、私はその隣に座った。ここから新しい生活が始まる。カイン様が馬に鞭をあてると、馬車は走り出した。

 フォールコンロイ領の「南の玄関口」とも言われるゲイルズマーチからはいくつかの街道が延びている。私達が目指す隣国アルムブラッキアは、ゲイルズマーチから西へ街道を進んだ先にある。私たちの馬車は路地を出て、西へ向かう街道に入った。広めの街道筋に入った瞬間、貴人用の馬車とすれ違った。そんなつもりもなかったのに、何気なく馬車の窓の中の人物を見て身体が固まった。

 ……アベル王太子殿下だ。しかも、目が合ってしまった。

 パシパシッ、とカイン様が素速く馬に鞭を当てて、馬車の速度を上げた。カイン様も気付いたようだ。

「カイン様」

「速度を上げる。つかまっていてくれ」

 石畳の街道を馬車が走り出す。振り返ると、貴人用馬車の窓から顔を出したアベル殿下が、馬車に付き添っている近衛の騎士たちに指示を出しているのが見えた。馬車の向きを変えるには少し先の広場まで行かなければならない。アベル殿下は馬車を降りると、近衛の馬を借りてまたがろうとしている。馬だけならすぐ向きを変えられるから、追ってくるつもりだろう。私は頭の中で、馬車を引っ張る二頭の速さと、鍛え上げられた近衛の軍馬が走る速度を比較した。答えは、子供でも分かる。

 この馬車で近衛の馬を引き離すのは到底不可能だ。

「まずい」

 カイン様の困ったような声を耳にして私は振り向いた。

「どうしました?」

「この先で婚礼があるようだ。たぶん馬車では通れないだろう」

 街道の先を見ると、道の左右に花かごを持った人々が控えているのが見えた。花かごの中にはフルラの花びらが入っている。おそらくこの先から来る新婚夫婦を待っているのだ。このまま馬車で婚礼に突っ込んだとしても、通り抜けるのには時間がかかる。すぐにアベル殿下に追いつかれてしまう。

「馬車で行けるところまで行って、馬車を降りよう。人混みに紛れるんだ」

 カイン様の言葉に私は頷いた。人混みに紛れたところで、私たちが馬に乗ったアベル殿下たちを巧くまけるかどうかはわからない。でも、ここは私の親しんだゲイルズマーチだ。裏道に入れば、地の利はこちらにあるし、希望もまだある。『舞台に降る雨』の台詞が脳裏をよぎる。「祈るのは後、まずは最善を尽くすのだ! 奇跡が舞い降りるのは、常に最善を尽くした後のことだ!」

 ところが――次の瞬間に、予想もつかないことが起きた。私たちの馬車が最善を尽くして婚礼待ちの列に走り込んだ時、奇跡が舞い降りたのだ。

 正確には、フルラの花びらが舞い降りてきた。

 居並ぶ人々がフルラの花びらをまいていた。私たちに向かって。

「来たぞ!」

「コーデリア様、万歳!」

「おめでとうございます!」

「お幸せに!」

「カイン様、どうぞコーデリア様をよろしくお願いいたします!」

 口々に声をかけながら、馬車に向かってフルラの花びらを降らせる。

「これは、いったい……」

 私はあっけにとられながら振り返った。人々は、私たちの馬車が通り過ぎると街道の真ん中に飛び出してきて、私たちを追いかけながら花びらを投げ続けた。おかげで街道はすぐ人でいっぱいになり、騎乗したアベル殿下たちはその向こうに隠れてまるで見えなくなってしまった。いくら近衛の馬が精強で、乗り手が優秀だったとしても、フルラの花びらが降りしきる中、あの群衆を通り抜けるのには時間がかかるだろう。

「助かった」

 カイン様がほっとしたように言う。

「これは僕らの婚礼なのか? 彼らは僕らを祝福してくれている。君が?」

「私? いいえ! いいえ! まさか!」

 私は慌ててかぶりをふった。

「そんなわけが……こんなはずが……だって、誰にも絶対知られないように秘密にしてきたのに」

 そうだ。誰にも知られなかったはずだ。知っているのは、私と、カイン様と、あと一人だけ、そう……

 私が答えにたどり着く前に、答えの方からこちらに近づいてきた。道の先に、大きな大きな、ウズメの大木が見えてきたのだ。ああ、やっぱり、今年もウズメの木の下に、あのボロの冴えない芝居小屋を建てたのだ、あの連中は。

 芝居小屋の前で待っていたザスーラの一座が歓声を上げてフルラの花びらを降らせ、私たちを追いかけて併走してきた。カイン様が馬車の速度を落とす。

「お嬢様!」

 酒ででっぷり太った腹をゆすりながら、ザスーラ座長が走っている。滅多にないことだ。私は馬車の上から声をかけた。

「この騒ぎはあなたが一枚噛んでるわね、ザスーラ」

「いかにも」

 はあはあと息も荒く走りながら、ザスーラが満足げに髭をこする。

「今年のかみさんの新作が好評でしてな。題して『婚約破棄されたお芝居姫は国境を目指す』。お芝居の終わりに少々、本物のお芝居姫の婚礼について宣伝をいたしましたが、まさかこんなに人が集まるとは、まことお嬢様の人徳ですな」

「こんな戯曲を書いて、お父様に叱られるわよ。牢屋の中に手紙を書くわ」

「さあどうでしょう。それは――とにかくお幸せに!」

 息が切れたザスーラは最後の力を振り絞って挨拶すると、後ろに遠ざかっていった。まだ走り続けているアーシタが声をかけてくれる。

「お芝居姫、どうぞ幸せな結婚しぇい活を!」

「役者には給料を!」私は半ば笑い泣きながら野次を返した。「また噛んでるわよ! この大根役者!」

「こんな美男子にそんな冷たい言葉を返すのは、世間広しといえども姫様くら――」

 何か言い返そうとするアーシタの声は、ミムジィの声にかき消された。

「姫様!」

「ミムジィ! あなたが私なの?」

 ミムジィらしくない長い髪のかつらは、たぶん私に似せようとしたのだろう。だけど全然似合っていない。ミムジィの方が姿勢が良くて小顔で、短髪の似合う美人だもの。

「ええそうよお芝居姫! 私がコーディ役で、クララがジュリ役。今年は私が主演を勝ち取ったの!」

「こら! あたしは譲ってやったのよ!」

 背後から追いついたクララがミムジィの足を引っかけたので、ミムジィは危うく転びかけた。

「何すんの!」

「あんたがいい加減なこと言うからよ」

「いい加減てことないわ。私は座内審査でちゃんと……」

「まあ仲良くやってちょうだい!」私は遠ざかる二人に手を振った。「手紙を書くわ!」

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