第44話 乙女妄想は世界を救う(イツキ)

 壁板を打ち抜くか、鳶口で素早く引っぺがすと柱がむき出しになる。閉じた扇子を指揮棒に指示を飛ばす。

「縄を掛けろ!」

被衣は飛び散る火の粉であちこちに焦げができ、火が付きかけてはキヨカが慌てて消しにかかること数度。傾いた柱に縄がかかると、

「引き倒せ!」

人馬力を合わせて倒壊させる。竈も水瓶も残された物ごと瓦礫の山にしてしまうのだ。炎は空に上がる。打ち壊して燃えている所から離せば飛び火する可能性が格段に減るのだ。男等が斧に掛矢、鋤鍬で力任せに打ちかかって傾いだ小屋である。そもそも平民が住まう小屋、柱と梁がぴたりと組み合わされた貴族の館とは違う。梁と柱を結ぶ縄を槍鉋で突き、切り込みを入れて揺さぶれば、嵌めこみが吹っ飛ぶ程度のものなのだ。ややしぶとい物は

「鉞持って来い!」

柱そのものを切り倒してしまう。これが破壊消防。

 元の世界でミカミを取り巻く「型式」が『大国主神の物語』である事に気付いてから調べた。物語中、大国主神は野火に囲まれる。物語では野火は自然に収まるが、宮都の市中でこれが起こったら大変なことになるんじゃないの?と考えて準備してきたのだ。火消しが制度化されたのは元の世界でも江戸時代。案の定、火消しの概念がこちらとは違っていて下準備は役に立った訳だが、惨事の最中嬉しさはあまりない。

 当初は燃えていない建物をぶっ壊し始めた私達に驚愕した衛士らもその効果が明らかになってくると「皇女様、南側に火の手が」「鍬ともっこの者をこちらにも!」進んで従うようになっていた。小屋を幾つかぶっ壊し、保の中心になる中庭に踏み込めばこちらのものである。中庭は大概井戸と畑になっている。宮都の市中での畑作は一応禁じられているが、あまり守られてはいない。

「鍬のやつ!こっちだ!」

 畑の土を攫っては作物ごとまだ燃えている箇所に投げ込む。火が及んでいなければ井戸も使える。


 どれほどこうしているのだろう。傾いた月に雲がかかるのに気づく。男等は火災を押さえ込むために打ち壊し、暴れ続けているが、アキラコの身体には火事場に居るだけで過重な労働であるから疲労を感じる。

(もう少し)

火勢はややも衰え始めていた。燃えている範囲を囲むように壊し続けているが、燃え移る先が無くなりつつあるのだ。

 一度、宮城から伝令が来た。新都のほかの場所でも火災が起こりかけたらしい。夜半でも今夜は人が多く出ているから、それは近隣のもので消し止められたそうだ。あちこちで不審火、いや放火が行われているのだ。宮城は軍を市中に出して警戒に当たらせているというが、こちらには最も大きな火災を何としても押さえ込めと言ってきた。だったら人手寄こせよ!と思わなくもない。

 宮都は日の出と共に朝一番の風が吹く。陽の光で温められた空気が一気に駆けるのだ。

(その前に)

それまでに火勢を押さえ込まねば、せっかく壊して遠ざけた燃料をまたも炎に曝す羽目になる。

(もう少し、あと少し)

火の手の先を睨む。ミカミはまだか、と思ったとき

「ぃイーツキさぁーん!」

間の抜けた叫び声と走ってくる影。

「げっ!」

ミカミ?人影は一つではない。カブラギを確保できたのだろうか。『トロイアの木馬』の展開による市中の混乱は去りつつあるのか?人影が大きくなる。

「だぁ阿呆っ!カブラギは確保だけって言ったよね!」

ミカミに怒鳴り返すとキヨカが狼狽えた。ほほ、私としたことが。それはさておき、カブラギの確保がミカミの任務だが、私の元へは連れて来ないように、可能なら安否も伝えるなと言ってあった。私をこちらに召喚したアキラコの願い、カブラギの無事が確認されてしまえば私は元の世界に戻ってしまうのである。こんな火事場にお姫様のアキラコを放り出して帰るなんて非道はできない。が、ミカミの連れはカブラギではなかった。

 走ってきたミカミが私の馬の前でゼイゼイと息をつく。連れは鼠でミカミの護衛に付けた男等だった。全員すぐに喋れないのでは走ってきた意味ないだろう。伝令失格だわ。

「守備は?」

「えっと、カブラギ確保できませんでした!」

失敗をキリッと報告してるんじゃねえ。

「はぁ?だ阿呆っ!何やってんのよ!」

それでは『大国主神の物語』が進まない。物語、「型式」を乗っ取ることで宮都の災厄を回避する計画が滞ってしまう。主役のくせに何をやってる。

「え?連れて来たらダメで、連れて来なくても怒られるって、そんな理不尽…」

ミカミはぶう垂れながらもカブラギが市中に身を潜めるに至った迎賓館の騒動と宮城の現状を報告した。

「あちこちの不審火はそういう事ね」

(マズいわね)

 火災と宮都の混乱、『トロイアの木馬』的展開はまだ続いているのだ。ここに隣国の軍勢が到着してしまったら…。そしてカブラギに関しても状況は良くなかった。さらにはもう少しで夜が明ける。

(間に合わないかも…)

弱気になった。これまで結構頑張った。アキラコや兄様、こちらの人達のために何とかと知恵も絞ったし、労力も費やした。それでも上手く行かない時もあるのは、二五年も生きてれば知っている。大御神の意思だと言う「型式」やはりそれを覆すのは難しいのだろうか。異世界転移した神人なんて言っても大御神の意思の一部にすぎないのだから…。

「らしくないっスよ、イツキさん」

もう一人の神人が言った。顔を上げる。月が沈もうとしている。火事場に居ながらも気温が下がっているのを感じた。夜明け前が最も暗く、最も寒い。

「エンディングにはまだ早いです」


 ミカミが言った。

「手ぶらで帰ってきた訳じゃないですよ。プランがあります」

黙ってミカミを見つめ返す。カブラギを回収して再び物語、「型式」を『大国主神の物語』のレールに戻すプラン。一方で陽が昇り次第都大門の改修工事を応急で終わらせ、『トロイアの木馬』の要素を削る。そちらは兄様が「必ず」と請け負ったと言う。だから、カブラギさえ回収できればまだ…。だけど、この広い新旧宮都に潜んだカブラギをどうやって…。

「河原の人達、鼠を使ってこちらも噂を流すんです。アキラコちゃんがカブラギを保護したがっていると分かる噂。カブラギ謀反の疑惑を払拭するような噂話を」

噂には噂で。よりセンセーショナルなもので目を逸らすと言う。政治的にも良くある話だ。デカい花火を打ち上げている間に面倒事を議会通過、とか。でも…。

「そんな器用な事出来る?噂話でしょ?」

また一つ小屋が音を立てて倒れ、土埃が立ち込め炎がぐわりと膨らんでは萎む。怒声を上げながら破壊と消火に勤しむ男等を背にミカミがニヤリと笑った。

「イツキさんの乙女妄想を使います」

 刮目。

「ゔぇ?なっ、何で知ってるの?」

と言うより、今それ関係ある?ミカミは「バレてないと思ってる方が不思議だわ~」と遠い目をしながら言った。

「アキラコちゃんとカブラギの超絶ラブストーリーを流布する」

「ぶほっ!」

吹いた。アキラコとカブラギを主役に、アキラコが居る宮都を危険に曝すはずがないという内容で、カブラギ謀反の噂を払拭するような…。

「え、えーっと…」

 例えばですよ…。幼い頃からの許嫁で穏やかな愛を育んでいた二人。政治権力の鍔迫り合いの中、若くして功を上げ過ぎたカブラギは婚姻でさらに地位を強化するのを恐れた勢力に狙われる。一方アキラコは流行病でその容貌を失ってしまう。婚約は解消となったが、そうなって初めてお互いの大切さに気付く二人…。(二秒)

「その斜め上を見ながらちょっと身を捩っている所、色々設定を考えてますね?」

どきり。何故それを?ああ、このような姿になってしまっては…。いや、あの方にはもっと相応しい相手が居られるのでは…。お互いを想うばかりに葛藤し!すれ違う二人っ!くうっ!(二秒)

「…スゲぇ嬉しそうなんですけど」

「この火災と言う緊急事態に皆さん尽力していらっしゃるところ、そんな不適切な…ほほほ」

私の取り繕いをスルーして

「…書き止めてくれるような人って…あ」

ミカミは非力ながらも消火活動に加わっていたカンムロを呼びつける。木簡に筆、墨壺は常時携帯の男である。ここには速記係までいたりするのだ。

「宮都の現状をシンクロさせてリアルタイム感だして」

 ああ、想い合っている筈の二人にさらなる試練が襲う!友好使節に身を窶し迎賓館に滞在していた隣国の兵が正体を現して宮都を火災と混乱に陥れるのです。

「カブラギが悪い奴らにハメられそうになるって王道の展開で聴衆を味方につける。あ、事実かどうかは別にいいので」

 宮都の混乱にカブラギの身を案じるアキラコ。伝わってきたのはカブラギ謀反の噂。そんな筈はない。あのお方はそのようなお人ではない。誰が信じなくても、この私は信じますっ!かつて交わした細やかな交流を思い浮かべながら、アキラコはその無事を祈るのです。一方、辛くも隣国の兵の手を逃れたカブラギは味方からも裏切られ、市中を転々としています。誰を頼ればいい、誰を信じればいい、その時脳裏に浮かんだのは愛しいあの方。ああ、あの方ならば…。

「アキラコちゃんがカブラギを匿ったというのをストーリー上の既成事実にして、こちらの意図を示す」

 アキラコの元を目指したカブラギに幾多の苦難が立ちふさがる。誰何の声に身を隠し、警邏の衛士をやり過ごし、炎を避け人を避け愛するあの人の元へ!ひしと抱擁を交わす二人!ご無事であってくれただけでいいのです。いや、私はあなた無くしては…。

「カブラギをハメようとした悪役はテキトーに処理。その辺フィクションなんで」

 それでもアキラコは葛藤するのです。今や私はこの姿。いや目に見えるものばかりが全てではない。人の心根が見えましょうや!

「で、カブラギは祖国を護る英雄に仕立てる。実際問題として隣国の勢力が宮都に迫ったら出陣してもらわなきゃなりませんしね」

 お互いの想いを確認し合うもつかの間、宮都の炎上の災禍を機と見た隣国の軍が迫るっ!この愛する姫と故郷を護るためにカブラギは信頼できる僅かばかりの手勢を率いて立ち上がる。アキラコは涙を流して追い縋り、どうかご無事でと…(五分四〇秒)。

「えーっと、どこから話せばいいかしら?」

 顔を上げるとカンムロはすでに長大な文章を書き止め、さらに続きを書いていた。

「…ダダ洩れっスよ」

あら、イヤだ。ほほほ。


 夜が白みかけている。雲が厚いので夜明けが遅れていたのだ。この物語級妄想の噂を流す。

「琵琶もつければよかろう」

 収まりつつある火災に、後の始末を任せて戻った無王が言う。無王はこれから自分の館に戻り、謡、楽器の者を集めて市中に放つのだ。カンムロをつけて無王を送り出す。

「ちゃんと伝達してくれたら、スマホで写真撮ってあげる」

「!」

速記料も払う約束だ。

「でもこれ主役二人の了解は取れてないのよね」

二人ともこの場にいない。噂が広まったらほかの相手とは結婚できない事になるだろう。

「イイんじゃね?どうせ政略結婚する身分だし。相手が居るだけでリア充よ」

うむ。それは爆発していい。その時、頬に何かが触れた。

「あ!」

一人、また一人と手を止めて天を仰ぐ。

 雨が降り始めていた。

 駆け抜けるような風ではなく湿度を含んだ重たい風がゆっくりと頬を撫でてゆく。ああ、これでまだ燃え続けているところも何とかなる。そして隣国の勢力はまだ現れていない。トロイアが滅ぶあの物語は途切れようとしているのだろうか。私達は「型式」を物語を選ぶことが出来たのだろうか。夜が、明けた。


 カブラギがアキラコの館へ連絡をよこすか否か、寄こすとしてそれが何時になるのかは分からないが、館にはウサが戻っているから問題ない。再出火しないように火事場の後始末は衛士らに任せる。私は一度宮城へ顔を出そう。異国の動向を確認すると言った兄様と会い、『トロイアの木馬』の物語は途切れたのかを確認したい。カブラギ確保の手は打ったから『大国主神の物語』がが展開してゆくように、この先を検討しなくては…。

「イツキ様ーっ」

 大路の先から声。

(ウサ?)

何故か下だけ着替えたらしく水干に狩袴のウサが駆けてくる。

「え?ウサ?」

ミカミも目を向ける。駆けてきたウサは煤まみれ焦げだらけの私の姿に目を見張り

「皇女様でありますのに、このような…おいたわしや」

とひとしきり嘆いたが、

「本当にご無事でようございました」

目を潤ませた。そしてミカミに向かってはふふんと胸を張り、言った。

「カブラギ様もご無事でございますよ」

え???

 まだ噂流れてないよね?何で市中に身を潜めたはずのカブラギの無事をウサが知ってるの?ウサって館に戻ったんじゃなかったっけ?ミカミと二人疑問符でいっぱいになりながら、

「「!」」

 カブラギの無事が確認できたという事は、安否確認はこれで三分の三であることに思い至る。私を呼び出したアキラコの願いは全て叶えられたことになる。そこで初めて、私はウサには神人の役割や帰還条件に付いて話をしたことがない事に気付いた。そもそも「型式」云々についてウサに理解できているのか確認すらしていない。

「ミ、ミカミ、この後任せたわよっ!」

青くなったミカミががくがくと首を振る。私は今回も結末が見れないの?そんなのあんまりだわ!それが最後の記憶になる。


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