第31話 勧進相撲(ミカミ)

 旧市街の西南端に近い辺りは市も顔負けの人出になっている。その区画はつい最近まで荒れ地になっていた場所だ。家屋に使われていた木材は運び出され、または粗方盗まれて形もない。賎民街に近く物騒なことから近付く者もいなかったのだ。その中央に一段高く設けられているのは贅沢にも塩を混ぜて突き固められた土俵である。土俵の周りには縄で仕切られた筵席。後ろの者にも見えるよう座ることが求められている。

 驚いたことに後方には車列が出来ており、平民の催し物ながら、物見高い貴族もちらほら来ているらしい。貴族にも相撲観覧はあり、楽しみにしている者の多い行事だそう。そのためだけの部署が宮城にあるというから驚きだ。スカウトマンが各地に飛んで強力の男を集めて相撲を催すんだって。相撲人になれば褒章も出るというからプロアスリートだよね。その相撲を勧進のために宮都に住まう平民でやる。それも王太子の皇女が、だ。貴族のスカウトマンならずとも見てみたくなるだろう。筵席はすでに満席で、想定人数よりも遥かに多くがひしめき、あちこちで揉め事が起こっている。もとよりある庭木に上る者もあれば、ややも離れた隣家の屋根に上がっているものまである。

「一番人気は五番のキントキじゃな。オッズは切り捨てで一,二五」

 イツキの車の横に立つ無王が囁く。イツキは侍女と共に土俵が良く見える位置に停められた牛車に収まっている。御簾を少しだけ上げて重ねた着物の広がりと緋袴を覗かせる。中に高貴な女性がいる事を知らしめるためだ。車の脇には男装のウサが立つ。皇女の観覧試合である事を知ろしめるための牛車だが、興奮した民衆が何事かをおこせば車ごと逃げる算段でもある。アキラコ杯みたいなものだよね。会場の熱気もあって蒸すが御簾を全て巻き上げることは出来ない。高貴な女性は姿を見せてはならないのだ。当人はそのことをどう認識しているのか、

「無王も車にすればよかったのに。高い所の方が見えるよ」

勝手な事を言っている。

「…貴族様と同じ高さに座れましょうか」

反社の親玉の無王でもイツキの従者然として振舞うのがギリギリなのだ。いやね、僕だって元の世界には身分制度なんかなかったですよ。異世界なんですよ?身分制度があるならその上の方、そうでなければスキルによって上の立場を手に入れていくもんじゃないの?その僕は

「お芋、お芋、お芋~、お芋だよ~。クリより美味い十三里~」

焼き芋を売っている。運営席の後ろで石で組んだ臨時の竈の脇に台を設えての焼き芋売り。要するにテキヤです。リアルでも末端。ここでも下働きって、なんで?物珍しさか人出の雰囲気にのまれたか、お値段高め設定のわりに売れ行きは好調である。他にもこの人出を商機と見た瓜売りや水売り(井戸から汲んでくるだけだからボロい)までいる始末。

「芋売り、こちらに三つ」

「こちらには五つじゃ」

「はいはい、お待ちどう、お熱いですから、お気をつけて。後はまだ焼いておりますからお待ちください」

 売り切れに腹を立てた者の罵倒に笑顔で応え、って、何で芋売ってんじゃ。設営にも運営にも役に立ちそうにないと踏んだイツキからの申し付けである。「ミカミじゃ護衛にもならん」(ウサ談)その通りだけどな。折った腰を伸ばして悪態をついて行った男の背を見れば並んだ車の一つに向かう。車についた車引きだろう男を避けて御簾越しに二言三言。あれあれ、お貴族様の使いだったか。と、

(あれ?)

 使いの脇、車引きかと思った男に見覚えがあったのだ。ややましな物を着ていたからすぐに判らなかった。平民にしては綺麗すぎるその姿。

(イケメンはキライだからね)

何とか聖の弟子の方だ。ならば車引きではないのだろう。イツキとマツカゼさんの二人で目がハートマークになっていたアイツだ。当の聖は今日のこの催しには来ていない。席を用意すると言ったのだが興味はないらしい。今日もどこかで説法しているのかもしれない。が、弟子は来ているようだ。

(ふうん)


 うぉ!入場が始まる。東西の花道から八人ずつ、褌に狩衣だけ付けた相撲人が入ってきてイツキの車をむいて並ぶ。一礼。それが終わると相撲人は土俵に向かう。「先導、旧六条、モリヤ」声が掛かって一人目が土俵に上がると喧噪のあまりもはやどのような音も届かなくなった。脂肪は少なめで筋骨隆々の男達だ。一般男性よりも随分大きな男が多く、小兵は一人二人。力士というよりプロレスラーに近い体格だ。最後の十六人目が土俵に上がると全員で内側を向き、柏手。一瞬で群衆が静まり返った。笛が奏でられていた事に初めて気づく。右手を挙げて、下す。力強く四股を踏む。次いで左。また右。邪気を払う大御神への祈念だとか。

 取り組みが始まるともはやどんな声も聞こえなくなった。ヤバいって、これ暴動とか起きるレベル。怖いっ!試合が決まると喚くもの泣き伏すもの飛び上がっている奴もいる。銭掛かってるから真剣よ。払い戻しの役にならなくて本当によかったよぅ…。イツキの車の辺り、貴族席の側では観客も遠慮があるのかやや控えめなので、そちらへ移動を始める。

(あれ?)

まだいるじゃん。あのイケ男。お貴族様とよろしくやってる訳?別にイツキじゃなくてもパトロン居るんじゃね?ってかさ、あいつ、何かヤなんだよね。


 イツキが厄除け聖と面談しに行ったあの商家での話だ。僕は護衛として庭先に置かれていたが気は安い。何故なら無王のところの人が居道中の見守りだけではなくこの商家にも配されているからだ。目に見える護衛として河原の者はマズいので近づかないだけで、僕も見知った顔があちこちでちらちらとしている。無王はこの事業を万が一にも失敗させないように、アキラコ姫であるイツキの身辺には殊更気を使っているのである。そんなわけで、仰々しいやり取りはイツキに任せて僕はぶらぶらと建物を回り込んでみる。厨らしいものが見えたので覗いてみた。

「こんちわー」

厨には台所師らしい小女と僕同様さぼりに来た下男が一人いた。

「何じゃ、お前?」「お客様の家人ではないの?」

気安いものである。

「そうそう、姫様のお供。水でも貰おうかと思って」

家来じゃないぞ。パシリだけどなー。小女が噴き出す。

「お貴族様の家人なら主の身分をかさに着るもんだけど」

そういうの多いらしいよね。家人同士で揉めるのよ。乗馬のまま門前を通ったのが失礼だとかで石礫を投げ合う喧嘩したとか聞く。ここは俺らのシマだとかのノリよね。水貰って一息。最近の市の野菜が値上がりしたとか、新都の大門の修理に時間がかかっているとか、旧都では国の創建時の宝物が鎮守の杜から盗まれたらしい等々駄弁っていると、館の方から男が現れた。ボロボロの衣。すぐに判った。イツキの面談相手の弟子の方だ。小汚い格好だが

(…)

体格のせいか堂々とした態度のせいかみすぼらしく無いのである。

「湯は沸いているな」

「ぅ、器はこちらでございます」

小女が木箱を指し示す。男は怒った。

「沸かしておくように言ってあったではないか!」

 予め申付けてあったらしいが、そんな無茶なと思った。ガスレンジじゃないのだ。竈に火を入れれば途中で消すことは出来ない。沸かし続けるには薪が要る。水も足さねばならぬだろう。薪は無料ではないし、水は井戸から汲んでこねばならないのだ。それが分かっていて「沸かしておけ」と言ったのか。

「いっ、今すぐに!」

小女は飛び上がって竈にとりついた。湯を沸かすのに薬缶や鉄瓶はない。鍋だ。とばっちりを恐れたのか下男はいつの間にか姿を消している。

「高貴な方に茶を出すのだぞ!」

男は形のいい眉を歪めて唾を飛ばす。小女に苛立つ男を見ながら思った。

(…臭ぇ)

人を下に見る臭い。下町などよりよほど臭い。僕には酷く馴染みのあるそれだ。

(…)


 そうするうちにウサまで現れた。手伝いに来たらしい。男はハッとして恭しさを顕にする。ウサにだよ?こいつバカじゃね?

「あ!ミカミ、そのような所で…」

僕がいるのを見つけたらしい。「あ!」はダメだろ、お前。行儀見習い中なのよ。ここは一つお兄さんがお手本を見せてあげよう。

「私も手をお貸ししましょう。茶ならば、湯ごと運んであちらで煎れては?姫もお喜びになりましょう」

「茶の心得がおありですか?」

おやと男は初めて僕の存在に気付いたように眉を挙げた。

 その男が車の側に。

 勿論、イツキでも参皇子でもない車の側にだ。お貴族様はおいそれと近づける相手でもない。

(じゃあ、何してた訳?)

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