第30話 邂合(イツキ)

 旧都の西端の大川は船運のための荷上場になっている。貴族街と平民街を区切る堀切が大川にぶつかる辺りがそうだ。荷を積んで喫水を下げた船でも付けられるようにそれなりの深さと幅がある。石を積んだ護岸の所々に階段状の雁木があり、そこへ船をつける。荷上場は貴族街と平民街側の双方にあるが、平民街を下るにつれて川は遠のき護岸が消えて河原となり、河原の者が住まう地域となる。荷上場は神人による旧都建設の当初から計画され増改築を重ねて使用されている由緒ある場なのだ。

 私が足を運んだのは平民街側の荷上場に近い大きな商家の一室である。勧進主の厄除け聖との面談のためだ。由緒ある地を見物に来て休憩させていただいている。そこへ近隣で説法をしていた聖の話に感じ入った商家の主が施しをする為に彼らを館に招いた、という設定になっている。設定を考えてお膳立てしてくれたのは無王だ。件の坊様は市で見かけた事はあるものの、本来そうでもしなければ口もきけない身分差がある。僧は知識階層であり貴族に庇護される者もいるのだが、厄除け聖の場合は出自も経歴も定かではなく、河原に住まう。扱いとしては浮浪逃散民なのだ。無王が貴族街に来るのを固辞したように常識的には呼びつけるのさえ難しい。かと言って再びの白拍子姿は「そうそうそのような事をさせられるか!」兄様と無王の双方から怒られた。


「アキラコ様、こちらが無量坊、厄除け聖と呼ばれる者でございます」

 目の前に襤褸としか言いようのない布を纏った男が二人。弟子と共にその僧は私達を待っていた。弟子が額ずき、一歩遅れて無量坊が平伏す。

「面を」

師の方は壮年であろうに老爺のように疲れた雰囲気で弟子はまだ若い。市で説法などしているのだから、朗々と法を説く覇気の塊をイメージしていたのに意外。生気に乏しいというか…陰キャ?穏やかに笑みを浮かべる弟子の方がよほど好感が持てる。

(…いや、嘘はつくまい)

遠目では気付かなかったが、この弟子、イケてる。襤褸を着ていてもカッコいいのだ。僧のくせにそこそこ筋肉質な身体つき、異国の血が入っているのか柔らかな髪は茶がかかった色あいだ。涼やかな目元も意志の強さを感じさせるものでなよなよとしたそれではない。

(…ヤバい)

ちょっとこれ、外見だけなら私的異世界史上最高イケてない?勝手に笑みが浮かぶのを堪えると口がニヨニヨするぅ!

「この場ではそのような礼は必要ありません。一度話を聞いてみたいと思うておりました」

商家の主の紹介に内心のホクホクを隠しながら、自分も痘瘡を患った事もあり、同じく疫病に苦しむ人々を救って回った聖の活躍を直に聞きたいのだと告げる。

「何と恐れ多い」

 ええ、恐れ多いです。キタよ~キタキタ!


 今日はフジノエ、マツカゼとウサを連れている。護衛がミカミなのは然程危険がないからだ。実のところ平民街では無王から遣わされた護衛が距離をとって付いてきているのである。この商家の主も無王と繋がりがあるのだそう。

「師からの申付けによりこちらをアキラコ様にと持参いたしました」

シオニと名乗った弟子が小さめの木箱を差し出す。

「茶でございます」

ほぅとかおぅという感嘆が漏れる。

「お茶とは珍しい」

 アキラコの暮らしに茶はなかった。没落貴族だからではない。私にとってありきたりな茶は、ここでは日用ではなく薬の一種なのだ。シオニが言う。

「私は先の戦でこの国に流れてまいりました。茶はその時にいくらか持ち出した物の一つでございます」

ん?という事は、元はお茶を飲めるような身分だったという事ね。手土産にとの「師からの申付け」も本当は弟子の発案だったのではないかとも考えられる。何時か身分のある人に献上して便宜を図ってもらうつもりだったとか。何故ならこのお師匠さんの方はそんな事に気が利くタイプにとても思えない。厄除け聖どころか災厄で消えてなくなりそうな雰囲気。ふと思いついた。

「折角です。この場の皆で頂くことは出来ましょうか?」

 手土産をその場でお出しするのは元の世界の私に普通の事で、良いものなら尚更なのだが、マツカゼは驚いたようだ。侍女はともかく平民の商人と河原住まいの襤褸僧である。扇の陰で「ど・く・み」と口の形を見せると納得する。いずれにせよ貰ったものをそのまま口に入れる事はない。

「畏まりました」

 シオニは快諾し席を立つ。予め準備はしてあったらしい。如何にもそつがない。


 ウサを手伝いに行かせると青磁の器を運んできたが、沸かした湯を運んできたのはミカミで、屋外に護衛として配置しておいたのに何をやってるんだかと呆れる。護衛のミカミもそのまま座に加わってのお茶会となった。お茶の葉は摘んで蒸した後、煎って乾燥させたものだ。小壺の竹の葉の蓋を取ると細かく砕かれたそれが入っている。茶をいただく器は家主御自慢の舶来の品。小さな匙で二匙ずつ人数分の茶碗に茶を投じる。抹茶に近い。

「沸き立つような湯が良いのです」

 そうそう、お茶は八〇度ね。柄杓で湯を注ぐ。茶筌はないのかそのまま匙で混ぜた。一つ一つの動作が美しい。そして、

(これは推せる)

いいわぁ、眼福眼福。これは後でマツカゼと話し合ったのだが、シオニ様は(シオニ様、もう様付でイイっ!)身分が感じられるのだ。

「茶でございます」

どれを取ってもいいということだ。つまりは毒など入れていないという事を示したのだ。やはりそのような環境に居たことがあるという証左に思えてならない。マツカゼがそれを配って回り、最初に手を付けた。毒見は本来ウサの役目だが、薬としてでも飲んだことがなければ判別がつかぬのでマツカゼが先だ。家主、そして私の順。ああ、お茶の味だ。私としては煎茶の方が嬉しいが、落ち着く味に気も綻んだ。

 茶を喫しながら話を伺う。まずは流行病の折にこの聖が人々を救って回った話を聞かせてもらう。「病が人々の間に広がった時、どのようにしたのですか?」「戸口に厄除けの印を書いて回りました」なんじゃ、それ。衛生環境の改善や感染防止策を講じたのかと思いきや、呪いの類でビックリ。聖の有難味は私には解らないが、勧進相撲の口実ができればいいだけなので良しとしましょう。

 ほかにも商家の主が気を利かせてあれこれ尋ねてくれるのに耳を傾ける。「極楽とはどういう所なのでしょう?」「極楽には罪深い女人も行けるのでしょうか?」「極楽には男も女もありません」「女人はおらぬのでしょうか?」「天女は居るとされています」この聖、受け答えは上手くない。問いに対して答えが一つ、ぽつりとしか返ってこないのである。聖以外の者が焦れているのが伝わる。コミュ障か?あ、ひょっとしなくても、この弟子のプロデュースが上手いのかも。彼らのやり取りをBGMに

(シオニ様、洋装も似合いそう…)

とか考えているとイメージが浮かぶ。

 特別に仕立てたドレスを纏って一番綺麗な私で出向く。豪華に飾り立てられた広間には心地よい調が流れ、同じく美しく装った人々が燦ざめく。煌びやかな空間にうっとりと溜息をつけば「一曲お相手を願えますでしょうか」(シオニ様)優雅に差し出された手に胸が高鳴る…と脇からこそっとミカミの声が

「…そろそろ相撲の話を」

 ああ、そうそう…差し出された手は化粧廻しに、両手を挙げーの膝に下して添えて四股を踏む…違っがーう!せっかくイイトコだったのに何想像させるんじゃ!相撲?白手袋どころか褌の世界だよ!舞踏会じゃなくて武闘会じゃん!

「…民を救って回った聖の徳に感服いたしました。のちの極楽往生のためにお堂を寄進したいと思いますが如何でしょう」

 私の力だけでは心許ないので勧進の相撲興行を行ってはどうかとご助言いただきましたとも付け加える。

「有難き、有難き御言葉」

資金調達以上の成果ですわ。おほほほほ。

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