第24話 神人不在(アキラコ)

 量り知れぬほど遠い何処かに知識と御業に満ちた素晴らしい世界があるのだと聞き知ってはおりました。その神世から三〇年程前に、祖父であるこの国の王が童の時分に現れた神人は長くこちらに滞在されていたので、多くの事をもたらし人々の暮らしを変えていったのだそうです。話には聞きますが、私は実際に神人にお会いしたことはありません。便利なものや美しい品々は有り難い物ですが、物語や古の貴人の事のようで想像するには何とも難しいと思っていたものです。そうであるのに、その御方が私の身に、この身体に降臨りていたなどとは。

「ま、マツカゼ…その髪は一体…」

 マツカゼの前の髪が額と頬から段差になってふわりと顔に掛かっています。横の髪は複雑に編み込まれて優雅に纏められているではないですか。マツカゼが気にしていた頬骨の高さが目立たぬばかりか豊かな胸元に目が行きます。いつの間にそのような装いをするようになったのでしょう。それにここは一体どこなのかしら?館の内ではなさそうです。

「この髪形でございますか?これはイツキ様が…あ!」


 その神人の名はイツキ様というのだそうです。マツカゼばかりではなく私の姿も随分と変わっておりました。額の痘痕は前髪で、横髪で耳を隠し、手指のそれは単衣代わりのシャツの「ふりる」で。華やかに装った上でこの痘痕が目立たぬようにが出来るとは。イツキ様は痘痕のある私の身体に降臨りた事を厭わなかったそうです。不満を口にしない慎ましいお方というだけではなく、

「かーわーいーいー!若いし!チョーラッキー!」

 痘痕を隠してくれたのも、神人として宮城へ赴く事を私が苦にするだろうからという理由でありました。

 他にも変わったことはあります。荒れていた庭の一画に畑が出来ていて甘藷という異国の芋が植えられていました。その芋で作った菓子を私も頂きましたが大層甘く美味しい物でございます。フジノエとマツカゼは鳥の羽を使った繕い物に勤しんでおりますが、これもイツキ様の御提案で始めたものだとか。

 そして、この痘痕がひとたび快癒すれば伝染るものではないと教えてくださったのもイツキ様なのです。お兄様に、また他の方にも伝染してはならないと人とは会わずに過ごしてきましたが、イツキ様のお蔭でお兄様にお目通りすることも叶いました。そうしてお兄様はお役目からも無事に戻っていらっしゃったのです。

 イツキ様がいらっしゃる少し前の話です。壱皇子様がお役目に赴いた先でお怪我をされたと聞いた時は恐ろしゅうございました。似たような状況で同じような事が繰り返されることはままございます。大御神の機です。弐皇子様の次はお兄様がお役目で地方に行かれる番で、お兄様の身に何が起こるのか、取り返しのつかぬような大怪我をしてしまうのではないかと震えたものです。大切なお兄様だからこそ会わぬようにしてきたのに。たった一人の頼るべき兄様なのに。その不安さえイツキ様が兄様に同行することで打ち消してくださった。綾なす織の目を飛ばしてくださった。大御神の杼を打ち折ってくださったのです。

(有難い事です)

 幾ら手を合わせても足りません。

 そのイツキ様が去ってしまわれました。来た時と同じく唐突に去ってしまわれたのです。


 神人は来て去るものでございます。いずれ去る御方であったとしてもこれ程急だとは思わなかったとフジノエもマツカゼも申しておりました。次期立太子の件もございます。お兄様が立太子される事はありませんけれども、妹の身に神人が降臨りたとあれば所領や職務の配分に影響はあるのです。お兄様等を含めて相談し、イツキ様が神世に戻られたことは

「今しばらく伏せておくべきではないか」

 という事になりました。イツキ様が伝えてくれた神世の事共が幾らか形になるまで。幸い宮城は遠いのです。万が一宮城から使者が来たり、逆に呼び出されるようなことがあるのならば、もはや神人はおらぬのだとは口にせず、

「神人のように振舞うのだ」

(イツキ様の振りをして時を稼ぐ)

 と決めました。見た目は同じ。神人風の装いで黙っていれば分かりません。話す必要があれば少しだけ。神人風の変わった話し方はイツキ様に影響されたマツカゼやお兄様のそれを真似ればいい。その程度ならば私にもできそうです。あと少し、もう少しの間。その筈だったのに。


「カブラギ様がお見えになっておりまする」

 入って来たマツカゼが慌てたまま告げました。文も先触れすらなかった筈です。応対にはフジノエが出ておりますが、供も無く単騎、自ら轡をとっているそうです。カブラギ様が何故?婚約をしていたのは二年も前の話。今やただの叔父と姪の関係に過ぎないのです。しかもカブラギ様は父である人とは不仲を噂されているではありませんか。それが何故今私に会いに来るのでしょう。

(違う)

 気付きました。カブラギ様は私に、アキラコに会いに来たのではないのです。イツキ様に、神人に会いに来たに違いありません。そう言えばイツキ様はカブラギ様と宮城で顔をあわせ、やり取りもあったと聞いています。マツカゼと目があいました。

「…イツキ様が神世に戻られたのを知られてはならないのですね」

 マツカゼは青ざめた顔でかすかに顎を引く。先触れもなく無礼だと断ることは出来るのでしょう。けれども一般に神人はこちらの作法には疎いと知られております。イツキ様が居たとしてもカブラギ様に会いたいも会いたくないも無い筈。

(会わぬ方が不自然)

「カブラギ様は神人に伝手を得たいのかもしれませんね…」

 神人の、イツキ様のふりをする。私に出来るでしょうか…。違います。そう振舞わねばならないのです。

「お会いしましょう」


 カブラギ様は馬を曳いたまま姿を現しました。上がる気はないのでしょう。近づきすぎると神人ではないと悟られそうなので好都合ではあります。

「突然に相すみませぬ」

「私に何の御用が?」

 口元を扇で隠しても目を逸らしたくなります。ですが、醜い痘痕を気にして俯いてはなりません。イツキ様はこの姿のまま宮城へも市までも足を運ばれたそうです。

「お役目にてナナツギに向けて立つことになりました。ご挨拶に伺ったのです」

「ナナツギと申されますと?」

 イツキ様に挨拶?神人に関わりのある事なのでしょうか。ナナツギの先は隣国です。

「国境を視察に参ります。ああ、イツキ様は国と国の関わりまでは聞かされておらぬのでしょう。隣国と我がヒは然程良い関係にはないのです」

 知っています。あの流行病で私が臥せっていた頃には戦をしていた相手なのです。カブラギ様がふっと目を逸らしました。

「戻ってくることが叶わぬかもしれない」

「…危ないところなのでしょうか」

「私はかつて隣国を攻めた身なのですよ。恨みに思っている者もおりましょうが、寧ろ供の方が」

 カブラギ様は不穏なことを仰いました。確かにかカブラギ様の御立場は少々難しい物でございます。かつて王太子であるお父様とカブラギ様は年が違い過ぎて立太子を争うような事はなかったが故に、異母兄弟ながら仲のいい兄弟でした。私達兄妹とも交流があり、私を娶わせようと考える程に。ところがカブラギ様は若くして多くの功をあげました。特に先の戦役でのご活躍は他の者の功が霞むほどであったと言います。一方でお父様の正妃である一宮様にも二宮様にも皇子が居ります。そちらにしてみればカブラギ様の存在は煩わしい物でしょう。

「お聞きかもしれませぬが、私はアキラコの叔父にあたりかつては婚姻の約束があったのです」

 私が痘痕を負い、このような見目になってしまったことを理由にカブラギ様との婚姻の話は無くなりましたが、お父様の娘である私と婚姻を結べば壱皇子様弐皇子様らと立場がより近しくなることを避ける意味もありました。もはやそれでは足らずに後背を案ずるような事態になっているとは。

「そのお姿をもう一度この目に、と」

 耳を疑いました。この姿を?カブラギ様はイツキ様に会いに来たのではなかったでしょうか?その御つもりでないのなら…カブラギ様は私に会いに来たのではないですか。何のために…それは先程カブラギ様が仰いました。別れの挨拶。そんな…婚姻の話がなくなった時は何も仰らなかったではないですか。それなのに、何故今になって。ですが私は今、イツキ様のふりをしなければなりません。カブラギ様が向かわれた先で何事かがあれば二度と会うことが叶わないのに。

「も、戻っては来られぬのでしょうか」

 言葉を交わす事も出来ぬのに…。そんな、そんな…。


 馬はいいよね。目が優しい。2メートル先に馬。黒々とつぶらな瞳でこちらを見ている。こちらの馬って競馬のサラブレッドより随分小さめで可愛いんだよね…

「って!夢じゃない!」

 休日前に遅くまで借りていた本を読んでいて寝落ちしたから夢だとばかり思っていた。記憶通りのアキラコの館ではないか。手にしていたのは扇。目を落とせば左の袖から痘痕が覗く。これは、アキラコの身体だ。

「再チャレ?」

 顔を上げれば馬、じゃなくて元婚約者?カブラギが居る。何で?

「「イツキ様!」」

 フジノエとマツカゼが声をあげる。非難の声ではない。涙ぐんでいないか?私がこちらを離れてからいくらか時間が経っているようだ。急に帰っちゃったから心配されてたのかもしれない。というより心配なのはこの状況だよ。

「アキラコと彼、何か揉めてた?」

「カブラギ様は別れの御挨拶にいらっしゃっていたのです」

「は?別れ?もう破談になったんじゃなかったの?」

 違った。今生の別れという奴だ。ちょっと留守にしてる間に何があったのよ。

「こちらがイツキ様という事は、先ほどは…」

 そのカブラギは轡も手放さんばかりに狼狽えている。

「あれはアキラコであったのか…いや、会う事はかなったのだから…」

 何この状況?えーっと?カブラギはアキラコに最後になるかもしれない面会にきた。アキラコは神人が降臨りたままの私/イツキのふりをしてカブラギと話をしていた。カブラギもカブラギでアキラコ本人だとは思わずに向かい合っていた、って事よね?あれ?でも

「カブラギってアキラコが病気して痘痕ができたから婚約破棄したクソヤロウじゃなかったっけ?」

 何故そいつが最後だからって会いに来るんだ?手短に教えられた所によるとアキラコ程になると婚姻もその破棄も政治的な意味で行われるそうだ。そもそも嫁は何人居てもいいのだから好き嫌いで別れる必要などないのである。これまで婚約破棄された相手なんかどうでもいい筈と思っていたが、側にいたマツカゼに耳打ちする。

「そもそもアキラコって、カブラギの事どう思ってるの?」

「もともと仲はよろしかったのですよ」

「今は?」

「…おそらくまだ」

 という事はですよ?ちょっと、やだ!これときめきイベント発生中じゃない?

「無理やり引き裂かれた二人にさらに追い打ちをかけるように試練が訪れるッ!もはや二度と会う事ないかもしれない!だぁがしかし、愛する姫君は今やその身に神人を降臨させ言葉を交わすこともできないッ!ならばせめて真実の想いを胸にその姿だけでも目に焼き付けて…くぅっ!きゅんきゅん通り越してぎゅんっぎゅんいってるぅううう!」

「…イツキ様、漏れております」

 おっと失礼。フジノエが「只今とりこんでおりまして」カブラギに退去を促している。扇を捨てて待ったをかけた。

「カブラギ様!カブラギ様はアキラコに会いに来たのよね?」

 カブラギは狼狽えながらもその場にいる者の顔を順繰りに見て、ゆっくりと頷いた。

「それさ、もう一回会ってちゃんと話をしないと後悔する奴でしょうよ」

 あれ?それを邪魔してるの私かーい!


 これまでの経緯を聞く。次期立太子候補に国内視察の任がくだり、兄様と同じくカブラギにも割り振られた。カブラギが向かうのは数年前まで戦をしていた国境付近。警備状況等の視察で有益な結果など出せそうにないうえに危険が伴う。更には護衛随行員に一宮、二宮の下にある者が含まれているらしい。道中不安どころか寧ろそちらの方が危ない匂いがするそうだ。有能で次期立太子に邪魔なカブラギは危地に捨てられそうになっているのだ。邪魔なら森に置いてきちゃえばいいって話よ。

「ひどい話だよね。戻って来るなら目印が必要なやつね。パンくずとかはだめよ。白い石ならオッケー」

 ヘンゼルとグレーテルね。貧しいなら口を減らす。目立つ功がなければなければある奴を消す。

「目印?白い石?」

「それは喩の話だけど」

 冗談はさておき

「戻ってくるのが難しいなら、突っ切った方が良くない?」

 アキラコとカブラギにもう一度会って話をさせるには、カブラギに無事に戻ってきてもらわねばならない。

「隣国には伝手はないの?終戦協定を結んだときに話し合いをした相手とか」

まずは背中から刺されない状況を作るべきだ。国内が不安なら外に手駒を増やすよりない。

「いない事もない」

「そいつと国境会談をする算段をつける。名目は今後の友好とかでもいい。戻ってくるつもりならその護衛付きで」

 国内の対立派にしても隣国に内政不安を抱えている所を見せたい筈がない。話し合いの相手が消えたなんて言い訳が効くものではないだろう。少なくとも暗殺はない。

「味方につけるのか?」

 味方とまで言えるかどうかだけどね。が、手土産くらいは必要だろう。んー、急ぎで用意できるもの…そうだこの間のアレはあるかしら?持ってこさせたのは自転車の構造を説明した紙。この国には神人の技術があり、繋がりを持つことは利益になると思わせよう。

「これは…隣国に戦力を与えてしまうのではないか?」

「そんなに簡単にできる物じゃないから大丈夫」

 マウンテンバイクではないのだ。自転車に乗ろうと思ったら先に道路の整備が必要になる。

「同時にこちらでも開発を開始する。こっちにはアレが居るからね」

 神祇寮のカンムロに渡せば嬉々として取り組むに違いない。

「帰ってきなさい」

 二ッと笑う。アキラコのためにお姉さんが一肌脱ごうじゃないの。

「隣国にゴムとかあれば都合がいいし、新素材や作物を持ち帰って来ること。よろしくねー」

 そんでベタ甘な話を聞かせて頂戴…あ、あれ?私の恋バナではない…だと?

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