第12話 神人劇場(前編)

「まずはゆるりと」

 二人を方丈の縁に座らせると、女達が桶を持って現れ「手や顔をお洗いくださいましよ」「お御足をあらいましょう」と甲斐甲斐しく動く。と、大男の踝に新しい傷を認めた女が声をあげた。

「まあ!お怪我をされているではありませんか」

「ああ、岩場で難儀した時にか」中背の男、名はゴジョウと聞いている。ちらと目をやるが傷自体はさほどのものではないと気にも留めない。本人も

「いや、大した怪我ではございません」というのを

「それはいかん。あれを」

 お館様が声をかけた。この台詞はシナリオ通り。コレチカが持って戻ったのは三センチ程の厚みの竹の節を利用した容器。ハンドクリームの缶のイメージを伝えて作ってもらったものだ。蓋には「山」の一文字が墨色も鮮やかに記されている。ふふ、何の「山」だと思う?山羊の「山」ではないのだよ。さりげなく異世界で君への感謝を示してみたよ、山本君。

「これは…」

 容器そのものも珍しいのかゴジョウ坊がしげしげと眺める。

「脂薬でございますよ」

 蓋を開けると中には紫がかった膏薬が満ちていて、大男が

「この程度の傷に勿体のうございます」

 と遠慮するのを女が指ですくって洗った傷に塗り付けた。この膏薬の正体、何を隠そうバターなのです!脂薬はここにもある。獣脂だから獣を仕留め皮を剥ぐときに取れる。戦ともなれば刀傷も負うわけで、ろくな医療もないこの場所では、この程度の薬でも持っているのといないのでは雲泥の差だ。が、狩猟を行う地域では調達しやすくとも、気軽に使うものではない。

「いやしかし、この色は…?」

 ゴジョウ坊が戸惑うのはその色だ。そう、ポイントはそこよ。脂薬は獣脂だから通常白い。が、これは薄紫がかっているのだ。バターは水分を飛ばすために一度火を入れるのだが、その際に紫の根を煎じたものを加えてみたのだ。紫はその名の通り紫色の染料でもあるのだが、傷薬としても使われている(村の経験則だから科学的根拠はないけどな)。薬効成分も加えてみたという訳。他所の商品との差別化を図るのよ。「山」ブランドの脂薬はよく効くってね。

「血止めとサッキンの色でございます」

 サッキンは殺菌だが、ここでは馴染みのない言葉だろう。横文字が入ると急に有難味が増すのと同じよと教えておいた。彼らは道なき山を来るのだ。かすり傷の一つくらいは必ずあると踏んでこの試供品タイムを設けてみたが、イイ感じ。さらに

「この程度の傷にとおっしゃいますが、私共は水仕事の手荒れにも使いますのよ」

 自らの手指を見せる。女の手は野良仕事、水仕事に節くれだっているものの、その肌は滑らかで血色も良い。その女の顔もまたつやつやと張りがあり、他の辺境の村々では見る事のない美しさがあるのだ。こちらの女性、村で一番若くて美人を配しておきました。ハト婆じゃしげしげと顔を眺めないからな。ふふふ、これは薬として使っているが、美容品展開も検討中なのよ。今なら2個セットでこのお値段とやるならばこの位は仕込みます。ゴジョウ坊がはっとお館様を振り返る。

「さあ、中へ」

 感触は上々。


 方丈に大の男が詰めると家具など殆どなくとも手狭になる。ここはもう少し詰めていただきましょう。

「わが村の客人を紹介しとうございます」

 ここで僕の登場になる。お館様の目配せで縁に近寄る。僕の後ろにコレチカが続くが、彼は一礼だけの縁までで上りはしない。コレチカが付き人にみえる演出付きです。

「ミカミです」

 穏やかに微笑んで見せるが頭は下げない。これが庶民の僕には結構難しくて何度も練習させられた。腰の低さだけは自信があったんだけどいらんスキルでした。どうよ。大丈夫か?臭くないか僕。僕の心中をよそにゴジョウ坊はハッと威儀を正し、深々と頭を下げる。

「私は古くは神人に連なりますオオトモジロウ、ゴジョウと呼ばるる者にございます。先ほどお見かけした時より気になっておりました。そのお姿は…神人であられましょうか……」

「僕には分からないのですが、皆さんそう言います」

 そこでアルカイックスマイル。この村で暮らすことになった経緯を簡単に語る。簡単も何も、滞在期間の八割が役立たずだから端折ってよい。ここで久しぶりに携帯の電源を入れて皆で写真を撮って見せる。動画にしなかったのは先々充電の予定がたたないからだ。ぬう。もう少し頑張れよケイタイ。僕の筋書き通 り、二人には恐れ入っていただいた。

「…このようなところで神人にお会いできましょうとは。光栄にございます」

 交渉事は相手より上の立場になるところから始めるとスムーズにいくのでござるよ。


 このゴジョウ坊という男、地方領の動向・文物を見聞し報告することがヒという国における職掌だと聞いている。古来よりの峰を渡るやり方で国の内を行き来することで鉱床を見つけたりもするらしい。俗には王の耳、王の目と呼ばれる直属組織の一人であるという。要するに内閣の諮問機関である内閣調査室って感じよね。元々お館様と親しかったのは、ゴジョウ坊の叔父にあたる人物で、お館様一派が落ち延びる地を選んだ経緯にも関わっていたそうだ。ちょっと疑問に思ったのは、ゴジョウ坊にしろその先代にしろ国の方針に抗ったお館様一派と懇意にしていること。ならばこの村の存在をこの国の王も認知しているのかと問えばお館様はそれを否定した。「耳目といえど人であるからには」黙っておいてくれているという訳よね。僕的にはそれって王への忠誠心が足りないんじゃない?思うけどね。交易を取りやめたいと考えているのはその辺りの事情もありそうだけど、「それだけではなかろう」とお館様は言っていた。はてさて。だが、この辺りに僕らの勝機がありそうじゃない?と、交渉相手についていろいろと情報を仕入れた上でのこの舞台な訳ですよ。シナリオ兼監督で助演男優賞も頂くつもりでおります。


「鄙にてもてなしもできませんが」

 まずと勧めた酒にゴジョウ坊らが目を見張る。珍しかろう?乳酒です。タイミングよく昨日仕込んだ分が出来ていた。搾乳してる姿を見せるとヤギの小便とか言われかねんけどな。大男などは一気に飲み干してお代わりが欲しそうだ。

「これはぜひとも都へ持ち帰りたい」

 都でも牛は飼っているが(そう言えば学校の先生が平安時代にもチーズがあるとか言ってたな)、酒はないらしい。

「残念ながら、すぐに酢になってしまいますので」

 ゴジョウ坊らから道中の苦難やあちこちの地方領の話などを聞かせてもらう。隣領クキが発展著しい事や都の賎民街で不穏な動きがある事など多岐にわたる。その間もゴジョウ坊は僕をちらちらと伺う。そう、本来の耳目の役割は地方に降りた神人を都へ招くことなのだ。武力だけでなく神人の持つ神世の知識を上から下へ下すことでこのヒという国は権威を保っている。

 ところがですよ、神人はいつどこに降臨するのか分からない(本人にもな)。もしもですよ、銃だとか爆薬だとか電気だとかを一から作ることができるノーベルやエジソンのような奴が神人として現れれば勢力は一変するだろう。国を簒奪することも可能なのだ。税金とる方と払う方とどっちがいいかといえば答えは明らかで、だから国は耳目を使って地方の動向を探るのだ。神人は数十年前、お館様が成人する位の頃に降りたきりという事になっている。或いは他にも居たのかもしれないが、耳目の耳に届かなかったか、隣領クキが噂されるようにどこかへ囲い込まれているか、はたま神人であることに口を噤んでスローライフを謳歌していたかもしれない。野垂れ死んだ可能性もありますね、はい。大猪に遭遇したとかね。そこへですよ、僕です。これは彼の立場にとっては千載一遇のチャンスな訳。問題は僕がノーベルでもエジソンでもない無能って事で、これは厳重に秘されねばなりません。


 まずは前回に約束した分の取引を行う。広場に広げられたのはゴジョウ坊らが持ち込んだ塩に米、鉄鍋、鍬にかぶせて使う鉄製品。刃物が数丁。これをお館様の住居から運び出された毛皮、木工細工、竹細工などと交換する。双方の荷を確認した後、運び込まれた物はお館様の住居へ片付けられ、村からの物は背負えるように纏められてゆく。村の衆に采配し終えたコレチカも座に加わった。その胸元にはマフラーが差し込まれている。コレチカの奥様に渡した毛糸はこれになりました。嫁の手編みマフラーだと?と思うなかれ、季節的には暑すぎるのだがここは敢えて身に着けている。もちろんゴジョウ坊らに見せびらかすためだ。

「……この村は随分様変わりしたようでございますな」

 案の定気付く。

「ミカミ殿がいらしてから新しき物が様々に増えましてございますよ」

 良く効く(口コミ)脂薬、乳酒、マフラー、まだ何かあるのではないかとこちらの出方を窺っている。そこへタイミングよく(もちろんタイミングを計っていた)乳酒の追加と肴(味噌って肴なの?せめてキュウリとか一緒にして欲しいものだわ)を運んできた女性に「例の物を」と言いつける。お館様が持ってこさせたのは

「これは!」

 ヤギ毛の毛織物。こちらが本日の目玉商品になります。

「このような織物は初めて目にいたします」

 そうだろうそうだろう。肉厚で光沢がありしっかりとして柔らかい。絹や麻は薄く重ね着して使うのだろうが、これは生地がしっかりしていて一枚で仕立てても透けず形が崩れない。三反ばかりを出してきたが、うち一つは織りにも工夫を凝らし、綾が入った小洒落た仕上がりだ。

「何とまあ……」

 ゴジョウ坊らは言葉を失って反物を撫で、その背後に僕の存在がある事を確信して顔を上げた。僕は微笑んで頷いて見せる。うんうん、有難いのはヤギじゃねえぞ、僕たぞ。織り上げた女衆じゃねえぞ、僕だぞ。

「商いを増やし村を富ませようと思うところでありますよ」

 毛織物だけじゃない。大島を手本にここの山椿から椿油を、寒冷地である山形名産紅花も、休耕地で菜種、花があるならとついでに養蜂も検討中。食べる事に困っていない人が集まる都では、欲しくなるのはより良いもの、目新しいもの、便利なものになる。やっぱ儲けを出すなら高級路線よね。あとは元祖とか本家と銘打ってブランド化と観光地化ですわ。ゴジョウ坊らはこの村が富む様を思い描いたのか、ゴクリと唾をのんで言った。

「ミカミ殿、これら神世の文物を是非に都にも知らしめとうございます」

 よし、来ましたよ。にやり。餌を撒いてきたのは相手に自分から交渉の舞台へ上がってもらうためだ。

「お館様は交易を増やすそうですから、おいおい都にも出回ると思いますよ」

 ね、とお館様と頷きあう。あら、違う!とでも言いたそうな顔ですね。ふふふ。ゴジョウ坊が欲しいのは新奇な商品だけじゃない。それを生み出し広げる大本、神人だ。

 これが地方領衛であるならば話は簡単なのだ。国の権威を嵩にきて神人を差し出せと命ずるだけでいい。勿論ここの存在を国へ知らせて攻めるぞと脅すこともできるが、これまでの付き合いもあるだろうし、現状二対四〇。旅中の死などありふれていて誰も気に留めないところだ。事を荒立てれば肝心の神人がへそを曲げる可能性もあるから、これは最終手段にしたい筈。

「ミカミ殿、都にお越しくださいませよ」

 婉曲な表現では伝わらないと思ったのかダイレクトに来た。

「都、ですか……」

 僕は初めてその選択肢に気付いたかのように呟く。

「都も良いところでございますよ。これまでも多くの神人がおわされまして。珍しき物もよほど便利なものも…ああ、神人にはさほど珍しくはございませんでしょうが懐かしきものでございましょう」

 神人は都へ送ることになっているだろうとお館様に目で押すが、そこは爺の年の功、悠然と構えている。

「この村の人たちには僕が困っている時に助けてもらいました。僕はまだ恩返しできていないのです」

 そうそう、いい子アピールもしておくわ。都に連れ帰ってもいらん揉め事を熾すようじゃ使い勝手が悪いからな。

「そこは」

 さらに説得にかかろうとする所を

「食事の支度が出来たようでございます」

 お館様が遮った。もうちょっと引っ張らせてもらいましょうね、と。



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