第9話 ヤギ無双
今夜はお館様の家の夕餉にお邪魔してご相伴にあずかる。お館様の家はやはり竪穴住居なのだが、サジのところよりもずいぶん広い。方丈の脇にあるそれだ。他の住居が角の丸い正方形なのにここは長方形で、葺いてある屋根の草臥れ方から何度か建て増したんじゃないかと思う。人が集まる都合なのだろう。
サジのマフラーを作った残りの毛糸がそこそこあったので、手土産にしたところコレチカの奥様に非常に喜ばれる。こういうの大事よ。急にもう一品なんか用意し始めたりしてね。コレチカの奥様もいるが女衆の代表という事でハト婆も座に就き、サジを連れたコレトウにコレチカも炉端に揃う。僕がここ暫く考えていたことをまずコレトウに聞かせてみた所、即座にこのような運びになったのだ。コレトウはコレチカの甥なんだって。名前で気付けよってな。コレチカには娘しかいないからコレトウが後を継ぐことになるそうで、都で過ごした経験があるというのもその立場によるものらしい。で、ですよ。コレチカの娘というのが皆の分を給仕して回っているウサさんだった訳なのです。クソガキはコレチカの娘でお館様の孫だったわけで、偉そうな感じに納得。という事はですよ、世が世ならクソガキはお貴族様のお姫様だったわけで、これには納得がいかない。おい、ウサ!汁ばっか掬ってんじゃねえぞ。
火影が揺れる中皆で粥をすする。
「ヤギの毛が利用できそうなのは分かったかと思います」
それにはハト婆が頷いた。
「織物の出来は素晴らしいが、ヤギ一頭分で一反というところじゃな」
価値がどれほどになるのか不明であるし足りないという事だろうな。また毛を刈ることができるまでに月日がかかるのもある。だけどね、ヤギはそれだけじゃないんだよ。
「ヤギの乳を利用して作ってみようと思うものがあります」
「乳とな」
乳製品は最初から念頭にあった。やってみなきゃわからないけどね。
「……幾分か暮らし向きが良くなろうか?」
お館様が暖かな湯気と共に嘆息する。いや、もっと欲張ってもいいんじゃねって思うのだ。ウサと奥様も座に就いたところで僕は口を開いた。
「ヤギ子達は役に立ちます。もっとずっと先まで見通した計画を立てましょう」
「妙策でも?」
僕にはここの社会情勢が分からないから、皆がこのままでいることは出来ないというのなら、そうなんだろうと思う。ならばだ、
「どこかに帰属して税を払ってゆかねばならないというのなら、税を払ってもやってゆける村になればいい」
ウサがこれ見よがしに溜息をついて見せ、無作法だとその母から膝をつねられる。わはは、毛糸の付届け畏れ入ったか。が、コレチカも苦虫を噛み潰したような顔だ。そんな事はこれまでだって検討したというのだろう。元々水稲も難しい場所で、収量も年々減っている。手を尽くしてこれなのだ。神人とは言え、ぽっと現れた者が口をはさむなと言うところだ。が、お館様は火影の向こうからじっと僕を見つめて言った。
「ヤギか?」
「主にヤギです」
僕の考えはそういう事になる。
「まずは食糧の増産。収量の増加を目指すのが第一です」
コレチカが何か言いかけるのを、コレトウが
「まずはミカミ殿の話を」
と遮る。勢いよくすすり込んでいるサジの横でコレトウは椀で手を温めるばかりで箸を手に取っていない。僕の提案が実現可能かどうか、彼は考え続けているのだ。
「そのために土地を肥やしましょう」
これについてはトイレに立つたびに思っていた。江戸時代なら下肥だ。日本史でやった。ここではクールに水洗式のトイレだが、ならば耕作地にどんな肥料を使っているのだろうと。ところが使っている様子が見られないのだ。そこを聞くと確かに何もしていないという。収穫量が減っていることについても、同じものを作り続ける事でおこる連作障害が起こっているんじゃない?と思う。
「ここは焼き畑もしてないんですよね?」
「畑を焼くのか!」
流石にここじゃ山火事が怖いからお勧めは出来ない。
「灰を撒くのも手ですが」
中世なら草木灰でしょうが、ここは僕がいるから一足飛びにね。
「ヤギか?」
「ヤギです」
僕の提案に皆半信半疑でいる。そんな事は聞いたことがないが、神世から来た神人の言う事ではある。やってみる価値はあるのかどうか。黙り込んだ皆をそのままに続ける。
「その上で寒冷地に適した作物を増やしましょう。小麦は良いですよね。ジャガイモとか玉ねぎとか甜菜とか」
収量の増加を目指しつつ、作付け作物をより風土に適したものに変えて行く。僕が挙げたのは乳製品を含め全部北海道の特産品だ。知っているのはその位だがもっと寒い地域での暮らしを参考にしてもいい。
「どうやって種や苗を手に入れる?」
そう、これが二つ目だ。
「交易です。交易で現銀収入を増やしましょう」
金じゃなくて銀よ~。流通貨幣として金はデカすぎるのだ。これには即座に反論が返ってくる。
「此処には木しかないわ」
「まず道がないわい」
交易を増やすには問題がある。現状ここの交易品はコレトウが作っていたような木工品、竹細工、毛皮、鷹の羽(矢羽根や飾りに使うんだって)と言ったものだ。手工業では生産量に限りがあるし、狩猟も生態系を壊すような真似はできない。そして道がないのだ。いくら木が沢山あっても切り出して運ぶことは出来ない。道を作るほどの人手もなく、生活に手いっぱいで労力はかけられない。だから交易の品は人が担いで運ぶことができる物に限る。
「小さく嵩張らなくても高値で取引できるなら収益を上げることは出来ると思います」
「ヤギ織物か」
「それも一つですよね」
まずは毛織物だあのヤギが山岳地域のものであるならば、ヤギ毛の毛織物は都にはまだ出回っていない。少なくともコレトウが都に居た一年前まではなかった筈だと保証した。天然ウールで作り手は織姫なのだから物は折り紙付き。買い手は必ずあると見た。が、コレチカは首を振る。
「ヤギを増やすと言っても、幾らにもならん」
いやいや、それだけじゃないんですよ。
「一般に使われている物でも価値を付加してやると高値で取引してもらえますよ」
カードは同じなのにレアカードは高値で取引される。ブランドのロゴでTシャツは値段が違う。どんな手があるのか挙げて見せるとコレチカも唸った。交易品目を高級路線に切り替えて現銀収入を増やす。新しい作物を導入してもいいし、足りない食料を買っても、税を払ってもいい。
「ヤギか?」
「ヤギです」
交易については問題がまだある。都の伝手という者がどんな人かと聞いてみた。これが本来商人ではないのだ。元々は都に居た頃にお館様と親しかった人が、深山に落ちたのを憐れんで塩や手紙をもって訪ねてきていたものだという。その人はもう亡くなって、今は代替わりした者が地方領での仕事のついでに立ち寄っている。これさ、ホントにフェアな取引?と僕は思ってしまうのだ。文化祭の出店でさえ三社見積もりを取るのにそれって良いようにされてない?(とは言わなかったが)、取引交渉そのものも要検討ね。そしてその彼はそろそろこの付き合いを辞めたいと匂わせているのだそうだ。これはまずい。交易の相手が来てくれないのでは、こちらから売買に出てゆかねばならなくなる。こんな辺境で暮らしているのだから伝手もなくそもそも物の相場も知らない。うーん、今後取引の相手を増やすことも考えなくちゃいかんよね。この辺りはもう少し対策を練った方がよさそう。
パチッと音を立てて木が爆ぜた。
「そしてもう一つ」
一度に沢山のことを聞かされて許容量を超えそうになっている皆には悪いが追加させていただこう。
「税を払わなければならないのなら、税額そのものを下げるのも手だと思います」
これには皆あっけにとられた。税を下げる。その発想がないのだ。ふふふ。神人の面目躍如よ。定められた通りに払うのではなく、従う事が可能なルールをよりお得な方を選択する。軽減税率、ふるさと納税、時事問題にも目を通してきましたわ。
「……ヤギか」
「ヤギです」
そして僕らは短期、中期、長期そして長長期にわたる計画をまとめた。
「ヤギとは有り難い物じゃの…」
あれ?有難いのは僕じゃなくて?
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