第11話「セックスしても気持ちよくない」

 学校の帰り、スーパーに寄った。一人暮らしだから晩ご飯も朝ご飯も自分で用意しなきゃいけない。家に帰ったら勝手に暖かいご飯が出てくることはとても幸せなことだったんだ。そんな自覚をするにはまだちょっと早くて、ボクは少しだけワクワクしていた。スーパーに並ぶさまざまな食材が輝いて見えた。子供の頃は母と一緒に買い物に来たこともあったけど、中学生になった頃からスーパーに来ることなんて、ほとんどなかったから新鮮に見えるんだ。

「晩ご飯は何を作ろうかな」

 思わず独り言が出てしまうくらいに、ボクはちょっと浮かれていた。

「冴、料理なんてできないでしょ?」

 図星だ。これまでほとんど台所に立ったことすらない。調理実習でカレーや豚汁を作ったことはあるけど、作り方なんてほとんど覚えてない。そもそも、食事はお惣菜や冷凍食品とかミールキット、最悪カップ麺でもいいかな、なんて思っていた。でも、初登校を無事に終えて、スーパーに入ったらワクワクして何か作りたくなってしまったんだ。

「ユミだってどうせできないでしょ?」

「私を見くびらないで欲しいわね。料理、得意なんだけど?」

 意外ではあるけど、ユミはすでに何周かの人生を送ってきたことを考えると料理くらいできたっておかしくはない。

「何?教えてくれるの?」

「いや、私が作ってあげてもいいよ?」

「は?どうやって?」

「冴の身体を使って私が料理をする。で、冴が食べればいいじゃん」

 そう言えば、これから悪霊と戦うことになるんだからスムーズにユミと交代できるようになる必要性を感じていた。もし、すぐに代われてたら、リカだってあんなことにならなかったかもしれない。

「それはちょっと申し訳ないかな。作ったら自分で食べたいでしょ?」

「私は食べるのはパス。大体、私は味覚ないんだよね。なんでか知らないけど、美味しいとか気持ちいいとか、快楽系に関する感覚は遮断されるんだよね。だから何食べても味がしないし、セックスしても気持ちよくない」

「ボクの身体で変なことしないでよね」

「まあ、そういうわけだから安心しなよ。それに、料理するのは結構好きなんだ。そして、誰かに食べて貰うのも好き」

 案外家庭的な悪霊だ。

「そういうことなら、お願いしようかな」

「じゃ、決まりだね。食材買わなきゃ。とりあえず、今日の夕飯と明日の朝食、そしてお弁当だね」

 お弁当まで作ってくれる気らしい。でも、正直ありがたい。どんなに美味しくても毎日コロッケパンじゃ飽きてしまうし、多分健康にも悪い。惣菜パンや菓子パンはたまに食べるから美味しいんだ。

 ボクはユミに言われるままに薄切りの豚ロース肉、タマネギ、キャベツや鶏卵に各種調味料、塩鯖やら塩鮭やらを買い込んだ。リクエストには応えてくれる気はないらしい。ボクは好き嫌いなんてないからいいんだけど。


 家に帰ったら、とりあえずシャワーを浴びて部屋着に着替えた。制服、特にスカートにはまだ慣れなくて落ち着かない。だから一刻も早く着替えたかった。

「さて、夕飯の仕込みをしたいから身体代わってよ」

「それなんだけど、どうしたらいいんだろ?ユミがボクに代わる時ってどうしてるの?」

 ユミは比較的自由にボクに代われているように思えた。

「言葉で説明するのは難しいんだよね。なんか、すっと抜けるイメージ。力を抜くんじゃなくて意識を抜くって感じかな。考えるのを全部放棄して意識を委ねる、みたいな?」

「うん。わからん」

「冴ってアホだもんなあ。無理かもなあ」

 ムッとする。最近、この悪霊は急に優しくなったり、意地悪になったりする。

「できるし。やってやんよ」

 考えることを止めてみた。投げ遣りに全部を投げてしまうイメージ。自分の力ではどうしようもないって気付いて、全部委ねてしまう。そうだ。ボクは自分で悪霊とは戦えない。だからユミに委ねる。料理できないから、ユミに委ねる。

 すると、身体の感覚をすぐに失った。うまく代われたみたいだ。

「お。できたじゃん」

 やってみたら、案外簡単だった。もっと早く練習しておけばよかった。そしたら、リカは助かったかもしれない。

「そんなこと考えるな」

 ユミはボクの意識を読める。ボクはユミの意識を読めないのに不公平だ。

「じゃ、ご飯作るから寝てていいよ」

「寝るって?」

「いや、意識だけでも眠れるでしょ?今日だって、私、昼間はほとんど寝てたし」

 だから静かだったのか。

「いや、そんなの知らなかった。あ、でも意識が途切れてることはあるけど」

「それが寝てるってことじゃん。魂の睡眠って健康に良いらしいよ」

「そんなの聞いたことないんだけど」

「悪霊界の常識なんだけど」

「そんな業界あるんだ……」

「あるわけないでしょ。あっさり信じないでよ」

 出た。悪霊ジョークだ。

「ま、久しぶりのお料理に集中したいからさ、できたら起こしてあげる」

 ボクはユミに従って、眠るイメージをした。ゆっくりと意識が沈んでいく。そういえば、ユミに身体を預けている間は意識的に眠ることはなかった。ユミがベッドに入って眠るタイミングでなんとなく同じ様に意識を眠らせていた。新しい発見だ。この発見が何の役に立つのかはわからないけど、ユミとこの身体に「同居」する上では知っていた方がいいことなのかもしれない。そんなことを考えていると、意識が遠くなる。すぐに眠りにつく。女子高生として初めて過ごした日。ボクの魂も結構疲れていたのかもしれない。


「できたよ。起きな」

 まだ眠ってるのに無理矢理身体を戻されて、派手に転んでしまうところだった。

「ちゃんと起こしてから代わってよ」

「そんなにぐっすり寝てたのか。でも、ご飯冷めちゃうし」

 テーブルの上で生姜焼きと千切りキャベツ、卵焼き、そして味噌汁が湯気をあげていた。

「凄い。おいしそう」

「味見はできないけど、多分おいしいよ」

 お昼はコロッケパンひとつだけだったし、お腹が減っていた。ボクは心の中でいただきます、と言って卵焼きに箸を伸ばした。

「卵焼きから行くのか」

「大好物だし」

 ボクは好きなものから先に食べる主義だ。

「普通はお味噌汁からでしょ」

「何それ?マナー的なヤツ?」

 言いながら一口サイズに切られた卵焼きを口に放り込む。甘いヤツだ。母さんの卵焼きはだし巻きで甘くないやつだったから新鮮だ。

「お味噌汁で箸濡らしといたら、ご飯粒が箸にくっつきにくくなるでしょ」

 そういえばそうだ。昔、ばあちゃんから同じこと言われたような気がする。そういえば、ばあちゃんの卵焼きも甘かった。

「ユミって時々ばあちゃんみたいだよね」

「誰がババアだよ」

「悪口じゃないよ。ボクはおばあちゃん子だったからね」

「そう言われても微妙な気持ちになるんだけど」

 味噌汁の具はワカメとお麩と大根。出汁が利いてて、ちょっとしょっぱいけど優しい味だ。すごく暖かい。

「感想は?」

「すごくおいしい!」

「素直でよろしい」

 生姜焼きは濃いめの味付けでご飯が欲しくなる味付けだ。みんな大好きな味。多分、この味が嫌いな人なんていないんじゃないだろうか。

「褒め過ぎだよ」

「悪霊も照れるんだ?」

「あんまり揶揄うならもう作ってあげないよ」

「ごめん。なんか、素直にうれしい。ありがと」

 ボクの身体を乗っ取って、勝手に女の子にした悪霊に感謝することになるなんて、思ってもみなかった。複雑だけど、これはこれで良かったのかもしれない、なんて思ってしまう自分がいた。

 千切りキャベツはパサパサしてて、緑の画用紙を食べてるみたいな気分になるから嫌いだ。仕方なく口に押し込んでみると、瑞々しくて、甘くて驚いた。

「キャベツはパサパサにならないように一番最後に切るのがポイントなんだ」

 たったそれだけの工夫でこんなに変わるものなんだ。料理の奥深さ、そしてユミの料理の上手さに驚いた。

 こうして、一日が過ぎていく。なんだかんだで平和だ。やらなきゃいけないことは沢山あるはずなんだけど、今日くらいは忘れてもいいか。

「そうだね」

 語りかけてないのにユミが返事をする。

 なんか、子供の頃、暗闇が怖くて泣いていたボクを撫でてくれたばあちゃんの掌みたいな暖かさを感じた。

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悪霊に乗っ取られてる間に女の子になってました ヨシモトミキ @miki_yoshimoto

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