第十五話 山奥暮らしその後


マンレオタから逃亡して一年経った。あたしシャニは六才になった。

あれ以来、あたしシャニはタオ兄ちゃんの膝で、ゾラの狩りに付き合うのが日課となってる。


ハミ達の奔走にもかかわらず、父様やカーサ母様との連絡は取れていない。

帝国はあの後すぐに軍を編成し、王国へ攻め入った。マンレオタを攻められているので、大義名分は立つ。

その中にサラダン父様とカーサ母様が加わってて、あたし達を探しているそうだ。王国方面に逃げたか、捕虜になっていると考えたらしい。

王国も黙ってない。別の帝国領に攻め込んだ。大陸中央部は戦乱入り乱れ、てんやわんや。


マンレオタは魔物が徘徊するようになって、隣領で何とか食い止めている。それでも帝国のかなり内部まで入り込む魔物も居るらしい。帝国のギヌアード付近の領はかなり危険だという。

王国も魔物に侵入され、マンレオタを攻めたヨルド家の領地は壊滅状態だそうな。ざまあ見ろ。


サラダン父様とカーサ母様はあたし達を取り戻す事が優先で、マンレオタ領への復帰は後に回しているという事だった。特にカーサ母様が強硬で、ケッテニー宰相を随分困らせたんだって。

カーサ母様とは連絡を取ろうとしたんだけど、戦争と魔物が入り乱れているせいで、ハミ達も追いかけるのに手間取ってる。軍隊の行き先なんて機密事項だし、大陸、広いからなー。

おまけに前世二十一世紀に比べ、移動手段が致命的に遅い。人の足か走竜。飛竜は早いけど絶望的なほど数が足りない。


そんな中、『工房の里』の暮らしはとても穏やかに過ぎていった。

魔工技師達は豊富な魔鉱石を使ってタークを作り続け、もう二十台も完成している。格納庫は拡張に次ぐ拡張。いずれマンレオタに戻った時は、という意気込みが凄い。

その辺はイワーニャ母様の煽りが効いてる。いつも笑顔を絶やさず、落ち着いた采配を振るう彼女は『工房の里』の皆の心の支えだ。人たらしとはよく言ったもんだ。


厳しい冬も、断崖をくり抜いた部屋のおかげで快適に過ごせた。

春が過ぎ、川岸に植えた麦の穂も膨らんで、順調に収穫が終わった。

心配した増水は初夏から夏にかけてゆっくりと川岸を覆った。

夏の間は何も作付けできないけど、川が運ぶ土砂のおかげで連作が出来るかも知れない。もうすぐ種まきの時期なので試してみよう。


あたしシャニとニニはこの一年、魔法通信端末の完成に取り組んだ。

半年くらいでトランシーバーみたいな端末を特定しない通信に成功した。

それから一対一の固定接続端末を完成。今は携帯電話みたいに一対多で接続できる方法を探っている。相手端末を特定するには、それに応じた術式が別個に必要になる。携帯用の小型端末では十くらいが限界で、もっと多く繋ごうとすると持ち運びには適さない大きさになる。今のところ、大型の中継機を通して多数の端末と接続する方法に傾いている。


あたしシャニは通信端末だけに関わって居たわけじゃない。

森で繭を見つけて以来、シンハンニルの里から人を出して貰って、抜け殻の繭をせっせと集めた。

それから真綿を作り、糸を紡ぎ出す方法を根気よく訓練した。

魔法コンロのおかげで薪集めしなくて済むので、ある程度の人手は確保できた。

冬の間、何度も失敗しながら絹糸を紡ぎ、機織りを続けて反物をいくつか完成させた。

絹らしい光沢はあまりないが、風合いが柔らかく、麻や木綿とは段違いの肌触りだ。


春になって、森で新しい繭を見つけた。どうやら年二回羽化する種類らしい。

あたしリーアは森を結界領域で囲み、天敵や気候から蚕たちを守る事にする。これはマンレオタに設置されているのを一つ拝借してきた。ごめんね、父様。

繭の半分は採取し、残りは羽化させる。この割合は試行錯誤して調整しよう。

羽化していない繭は糸を引き出すようにして紡いでいく。この糸で織った布はいかにも絹らしい光沢とすべすべした感触になった。

森で残りが羽化した頃を見計らって、空っぽの繭で真綿を作る。

ローテーションは決まったな。

糸を紡ぐにも、機を織るにも凄く手間がかかるので、根気よく在庫を積み上げていこう。

あとはこれをどう売っていくか。カーサ母様と合流してから相談してみよう。


あたしシャニも時々、シンハンニルの里に顔を出すようにしている。

やっぱり魔人として、親しくなっておきたいじゃない?

里に着くと、子供達がわらわら寄ってくる。

「ごめーん、今日はお土産無いのー」

「えー……」ハモった。少年少女合唱隊か。

ま、いつも来る時はクッキーなんか焼いてくるからね。今日はちょっと急だったから。

「シャニ、来いよ、今日は勝つ!」あたしと同じくらいの男の子が拳を突き出す。

「なーに、返り討ちよ」そう言って、あたしも拳を突き出す。

シンハンニルの里では、子供の頃から厳しい訓練を続ける。その一人と木剣を持って向かい合う。いつもの事だ。

「行くよっ!」かけ声と共に向かってくる。

ミトラ兄様よりずっと小さいのに動きが段違いに正確で早い。

けど、あたしは軽く躱し、背中合わせですり抜け、剣を持った腕を掴む。引き倒す。

「もらいー」木剣を首に当てる。

六才のあたしシャニには随分体力が付いた。魔人としての。それに剣士ロデリックの技がある。魔人でも同年代に負けるもんか。カーサ母様には全然及ばないけどね。

「何でだよー、シャニは遊んでるのにー」ふふ、悔しがってる。

だよねー、あたしシャニのはチートだ。頑張れ、少年。それがいつか報われる。


目的は親睦だけじゃ無い。あたしシャニは少しずつ魔法を教えて貰っている。

ホムンクルスの魔法はその個体の潜在意識下に焼き付けてあるので、幼女のあたしシャニには使えない。きちんと学んで身につける必要がある。

と言って、『工房の里』には簡単な魔法しか使える人が居ない。

シンハンニルの里では小さな子供から魔法の訓練をしているし、教える方も経験豊富だ。

こういう機会を逃すなんて、無いわよね?


それで、残念な事が一つ分かった。

あたしシャニには、詠唱が長くなる魔法が使えないらしい。

短く、簡単な物なら問題ない。魔素は疑似空間にたっぷりあるので、威力や持続時間も問題ない。

例えば、単に水を生成するだけなら短くて済む。ただ、量を調整したり、水球を指定したり、飛ばしたりしようとすると、その分詠唱が長くなる。

そうなると今のあたしシャニには出来ないんだ。ただじょろじょろと流れ落ちるだけ。量も調整できない。


ハミ達によると、複雑で長い空間魔法が魔法演算領域を占めているため、領域に余裕が無いのでは無いか、という事だった。魔法演算領域というのは潜在意識の中で特に魔法術式を保持、処理する部分らしい。

とりわけ、無詠唱で発動するには魔法演算領域に常駐しなければならないので、常に領域を圧迫しているそうだ。空間魔法を詠唱するには一日かかってしまうので実用にならないし、そもそも魔法演算領域をクリアする方法が分からない。

また、魔法演算領域という概念はあくまでも仮説なので、それが本当の理由なのかもはっきりしない。この問題はどうやら解決できそうも無いので、あたしシャニとしては魔道具製作の方向しかなさそうだった。


それから、工房の里で新しく始めたのは料理。

館に居た頃は厨房に立ち入りを許されなかった。

でも、工房の里では通路側にコンロが据え付けられているので、誰でも料理をしようと思えばできる。実際、工房の子供達は良く母親の食事の支度を手伝っていた(つまみ食い目当てってのもあったり)。

そんな子供達に混じってお手伝いに参加したのがきっかけ。


前世の陽子やイアンナはちゃんと料理をしていたので、そのスキルは残っている。

少し慣れてくると、固いものは手こずるが、それ以外はすぐ包丁を使えるようになった。

その手つきを見て、マイレ・スクジラシュ料理長が目を見張る。

「シャニナリーア様は才能ありますな」

「うふふん。良かったらお手伝いするよ?」

「それじゃ、お願いしますかな」

料理長以外の料理人は別の結界に逃げさせたので、さすがに一人では負担が大きかったので渡りに船だったようだ。


この世界で不満だったのは、主食としてチャパティもどきしかない事。

当然、味噌や醤油もないんだけど、それはまあ今は無理ってのは分かってる。

でも、せめてパンや麺類くらいのバリエーションは有って良いんじゃ無い?


料理の手伝いをしながら、まず、麺類を実現できないか試行錯誤してみた。

スクジラシュ料理長はそんなあたしシャニを子供の遊びだと思っていたらしい。

もちろん、領主の娘だからって許してくれたんだよね。でも、チャンスはチャンス。

この世界の小麦も、何度もこねるとグルテンが硬化して弾性が強くなるのを確かめた。

幼女の腕力ではどうにもならないので、全力足踏み。こねこね。ぐにぐに。

料理長は苦い顔をしていたけど、他の子供達を巻き込んでキャッキャキャッキャと足踏みこねまくり。


料理長はその後チャパティもどきの材料にするようだったけど、その一部をかっさらった。

それから丸く削った棒を作って、転がしながら伸ばす。伸ばす。粉を振りかけ畳んで伸ばす。更に粉を振りかけ畳んで伸ばす。これを繰り返す。

それから作った添え木に沿ってナイフで細く切っていく。包丁なんて無いからね。

試行錯誤でこれを何度も試した。


最初は切れ切れの細長い団子。これを湯がいてスープに浸す。もちろん、旨くない。とは言っても食べられない程じゃない。最初は団子汁っぽかった。噛むとぼそぼそ。

でも徐々に形を成していき、最終的にうどんもどきになった。そこそこの歯ごたえ。

後は小麦のグルテンの割合か、それ以上にはならなかった。

ま、後はマイレ・スクジラシュ料理長に何とかして貰いましょう。


ここで一つささやかだけど重大な変化が一つ。

スープなんかはチャパティもどきを畳んでカップ状にして掬うんだけど、うどんもどきでそれは出来ない。だから、フォークとか箸のような食器が必要になる。

で、箸を作った。


もちろん、すぐには普及しなかったよ。

箸を使って食べていると、子供達が興味を持つ。

どうよ、こんなの出来る?って風に煽るとムキになって練習する。

まあ、箸はそんなこんなで子供達から広まるようになったとさ。


もちろん、酵母を使ったふわふわパンは真っ先に試した。

薪集めのついでに、色んな果実を採取して酵母作りをやってみた。

割合早い時期に成功したんだけど、ここの食文化はチャパティもどきを食器代わりに使ってる。だから柔らかいパンは敬遠されてたんだ。


それが箸をうまく扱えるようになると、柔らかくて美味しいパンの人気が急上昇する。

更に丸く焼いたパンに刻みを入れ、具を挟み込む食べ方、四角く焼いたパンに具を挟むサンドイッチなんかもやってみると大好評。

「シャニナリーア様は……何と言うか規格外ですな」

マイレ・スクジラシュ料理長が天を仰いだそうだ。


もちろん、料理長はすぐそう言った物は消化し、更に洗練させていった。そうなると、あたしシャニなんかの素人料理じゃとても追いつかない出来映えで、山奥暮らしはマンレオタに居た時よりはるかに快適になってしまっていた。


ああ、カーサ母様にも食べさせてあげたい。

ここの生活で決定的に足りないもの、それはカーサ母様。

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