さようなら

「ふん、ふ~ん」


 放課後はユイさんに捕まり、一緒に帰る事になった。

 てっきり、氷室先輩は生徒玄関か、バス停の前で待っていると思ったが、姿が見当たらない。


 難なく、バス停まで来たボクとユイさん。

 ボクは妙に胸の中が、ざわついて仕方なかった。


「また、暗い顔してぇ」

「……だって」

「昨日のこと、気にしてるの?」

「裸で散歩なんて、正気じゃないってば」

「むぅ。おっぱい揉ませてあげたじゃん」


 人通りのない道を一周して、外灯の下で触ってしまった。

 だけど、ボクは何も反応しなかった。

 心が動かないというか。

 本当に無欲なので、「もういいよ」と急いで部屋に駆け込んだのだ。


「リクくんはころりなの」

「……犬じゃないのに」


 ベンチに二人で座り、バスが来ないか左右を確認。

 ユイさんはボクの手を握り、肩に頭を預けてくる。


「はぁ。……幸せぇ」

「誰かに見られたらどうするの」

「見せつければいいんだよぉ。ふふん」


 車のエンジン音が聞こえ、ボクは右側を見た。

 民家が両脇に並ぶ車道の向こうから、一台のバスがくる。


「バス来たから」

「照れ屋さんだなぁ」


 ボクらはベンチから腰を上げ、待合室の小屋から外に出る。

 バスの停止位置まで歩き、目の前にバスが来るのを待った。


「ユイね。こうやって、リクくんと一緒に過ごすの。すっごい夢見てたんだよ。お散歩も。キャンプも。みんなリクくんと一緒に過ごしたい」

「……お散歩は、嫌だよ」

「ぶー。わがまま言ったら――」


 口を尖らせ、前に一歩踏み出すユイさん。

 手を引かれ、ボクも前に踏み出そうとした。

 その時だった。


「……泥棒猫」

「……へ?」


 ユイさんの手が、ボクの腕から離れた。

 いつの間にか、隣には氷室先輩が並んでいた。


 ユイさんは前に向かって、頭から転んでいく。


「わ、と、と」


 転ばないようにバランスを取り、空中で両腕をバタつかせた。

 次の瞬間、――ボクの前にバスが横切った。


 ガンっ。


 夢でも見てるのかと思った。

 ワタワタとした動きで前のめりになったユイさんが、一瞬で真横に吹っ飛んだのだ。


 呆然としてしまい、ボクは車窓越しに運転手の顔を見た。

 バスの運転手は固まっていた。

 目を大きく見開き、何度も瞬きをした。


「……危なかったわね。さ、帰りましょう」

「え? 氷室、先輩?」


 腕を引かれて、ボクは逆方向に歩き出す。

 後ろを振り返ると、車道に横たわるユイさんがいた。


「ま、待って。先輩。ユイさんが……」


 ボクが言うと、先輩は立ち止まった。


「バスの中には、年寄しかいないわ。ほら」


 バスの運転手と同じように、中に乗っている人たちは前の方を気にしていた。たぶん、時間にしては、かなり短い間だったと思う。


 すぐに気づいた運転手は、バスから降りた。

 中に乗ってた年寄達も、前の方に移動して、何事かと様子を窺っている。


 先輩は再び、ボクの手を取り、力強く引っ張った。


「後のことは、大人たちに任せましょう」

「先輩、……なんで?」

「なんで? それはこっちの台詞」


 ぐいぐいと引っ張り、早足でバス停から離れていく。

 先輩が少しだけ振り向くと、ボクはゾッとした。

 細めた目の奥には、どす黒い何かが宿っていた。


「言ったでしょう。山川君は、ワタシだけのオモチャなの。手を出したら、何だってするわよ」


 爪が食い込むほど、手首を握られた。

 痛いけど、怖くて振り解けない。

 先輩は珍しく感情的になっていた。


 変な話だけど。

 怒ってる氷室先輩を見て、ボクは安心してしまったのだ。

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