柊 リオ

決壊

 ユイさんの犬になってから、ボクは誰も信じられなくなった。


 教室で談笑している男子達。

 隅っこで本を読んでる女子。


 みんなが、それぞれ異常を抱えているんじゃないのか。

 実は初めから狂っていて、ボクだけが気づかなかっただけなのか。


 考えれば考えるほど、周りの声は、虫の泣き声と変わらなくなっていた。嫌気が差したボクは、ユイさんを避けて体育館に向かった。


 テープはまだ貼られている。

 ボクは入口に貼られたテープを潜り、中に入った。

 入口の隣にある、二階へ続く階段。

 その段差に腰を下ろし、ボクは深くため息を吐いた。


「あ、あの……」


 驚いて顔を上げると、前方の角から頭だけを覗かせた柊先輩がいた。

 オドオドとして、角から出てこようとしない。


「柊先輩……」

「リクくん。嫌じゃなければ、……お話、したいんですけど」


 チャットのフレンドリストを解除したから、その事だろうと思った。

 ボクは何だかどうでも良くなって、「いいですよ」と返事した。

 柊先輩は前に手を組み、「失礼します」と隣に腰を下ろした。


「チャットの、フレンドリストですよね。すいません。事情がありまして」

「――

「え?」


 唇をきゅっと噤んで、柊先輩がこっちを向いた。

 真剣な表情で、ハッキリと口にする。


「アタシ、見ました」

「……何を、ですか?」


 少しだけ前に屈み、声のトーンを落とす。


「リクくんが、男子生徒を突き飛ばすところ」

「う――」

「でも、後ろには氷室さんがいました」


 見られていた。

 その事実が、ボクの息を止めさせた。

 奥歯に力が入り、ぼんやりしていた意識が、無理やり現実に戻される。


「あの、……あれは、……その」

「リクくん。氷室さんと、どういう関係ですか?」


 真剣な問いかけに、ボクは答えられなかった。

 恋人同士、と言えばいいのに。

 口から出てこないのだ。


「もしかして、……脅されてるんですか?」

「ひ、柊先輩には、関係ないですよ」


 もし、見られていたというのが氷室先輩に知れたら、彼女がどういう目に遭うか分からない。守るなんて大袈裟なつもりはないけど。

 これ以上、被害を増やさないために、突っぱねるしかなかった。


 だが、柊先輩は食い下がってきた。


「リクくん。これ以上進むと、取り返しがつきませんよ」


 もう手遅れだと思っていたが、まだ先があるらしい。

 少なくとも、柊先輩にはそう見えている。


「アタシ、リクくんのことを助けたいです」

「……気持ちはありがたいけど」

「リクくんっ」


 顔を逸らした矢先、柊先輩は回り込んできて、手を握ってきた。


「氷室さんは、異常ですよ」

「はぁ……ふぅ……」


 心臓が脈を打つ度に、呼吸が乱れていく。

 堀田君以外の第三者から見て、氷室先輩は異常だという。

 やっぱり、という気持ちが強かったけど。

 問題は、その異常な先輩と付き合い、弱みを握られている事実に向き合わされることだ。


 ボクは勇気がない。

 だから、今まで流されてきた。

 そっちの方が楽だから。


 そんなのだ。


「友達でしょう?」


 清らかな目で見つめられ、ボクは黙った。


「話してください。アタシ、リクくんを助けます」


 観念したボクは、黙って頷いた。


「……実は」


 発端は、川野君と堀田君だった。

 ボクはイジメられていて、二人から罰ゲームと称して、氷室先輩に告白した。


 それから数日後に、柊先輩の目撃した川野君の一件が起こる。

 付き合ってからは、家に招かれたこと。

 沈められたこと。


 不思議と、洗いざらい喋ってしまう。

 柊先輩は黙ってボクの話を聞いてくれた。

 自分でも気づかない内に、相当のストレスになっていらしく、ユイさんの事まで話してしまった。


 話を聞き終えた柊先輩は、握る手に力を込めた。


「話してくれてありがとう。……そうですね。弱みには、弱みを握りましょう」

「どういう、ことですか?」

「氷室さんには動いてもらいます」


 何を言っているのか分からなかったが、柊先輩は優しい笑顔を浮かべた。

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