第12話 崩壊

 1月8日昼過ぎ、どんよりとした曇り空の中、私は今スーパーにいる。今日の晩御飯に作るハンバーグの具材を買いに来たのだ。今日作るのはチーズハンバーグ。切ると中から溶けたチーズがトロッと出てくるやつに挑戦しようと思っている。和風ハンバーグでもいいかなって思ったけど、香帆ちゃんの好み的に多分チーズの方がいいだろう。


 私はハンバーグの具材と3、4日分の食材をカートに入れてセルフレジへと向かった。

 今回は店員呼び出しなどのトラブルも起きずスムーズに会計を終えることができた。


 買い物袋をカートに乗せ、出入口へと向かう途中、1枚のチラシに目が止まり、足を止めた。成人の日のチラシだった。

 チラシには、晴れ着を着た女性が写っている。


「来週か、早いな……」


 今年ももうそんな時期なのか、とちょっと憂鬱な気分になる。私は、行きたい気持ちはあったけど、行けなかったから。晴れ着を着ている人を見ると、ほんのちょっとだけ、羨ましく思ってしまう。


 私は逃げるように帰ろうとした。でも、カートを押したとき、目の前に人がいることに気づかず、その人の、私から見て右側のお腹にカートを衝突させてしまった。その人は背が高めの女性だった。


「ゔっ──────いった」


 その人はカートが当たった箇所を抑え縮こまってしまった。

 その人はサラサラの髪の毛で、肩まである綺麗な金髪が目立っていた。一瞬、外国の方なのかと思ったが、顔を見て日本人だとわかった。

 あれ? この人どこかで……会ったことある?


「あっご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「あっはは……へーきです……ちょっと前にできた傷が痛むだけだから……」


 その時、その人が私の顔を見た。そして目が合う。

 その人は私の顔をまじまじと見つめてきた。なんだこの人。


「……もしかして、奈緒美?」

「へ?」


 急に名前を呼ばれ裏返った声がでた。やっぱり面識のある顔らしい。


「あたしだよ、高校の時、あんたの家にいつも行ってた桐谷穂乃香きりやほのか!」


 その名前を聞いた瞬間、私の頭の中には高校の時の記憶があふれだした。

 桐谷穂乃香、それは私が教師にセクハラをされて引きこもりになっていた時に、私を助けてくれた親友。

 いつも私の家に来て、何をするでもなく、ただ私の隣に居続けてくれた恩人で。

 高校卒業後、海外へと去っていってしまった人。


「嘘、えっ。穂乃香なの……?」


 私は驚きを隠せなかった。だって、私の知っている穂乃香は、眼鏡をかけていて黒髪の三つ編みヘアだっただけあって。あまりにも違いすぎた容姿に、顔を見ても気づかなかった。


「どうしたの、久しぶりじゃん。日本に帰って来てたなら連絡してよ! びっくりしたんだから」


 私はさっきの衝突なんて忘れるくらい懐かしい気持ちで一杯になった。


「ごめん、ケータイ変えたら連絡先消えちゃってさ」


 あっははと笑う穂乃香。外見はすごく変わってたけど、内面は昔のままなのが伝わってきた。


「そうだったんだ。じゃあまた連絡先交換しよ」


 そういって私はケータイをポケットから取り出し、電番とメアド、ついでにラ〇ンを交換した。

 昔話に興が乗った私たちは立ち話もなんだと言うことで、スーパーを出て、近くの309さんまるきゅーカフェで少し話すことにした。そして自然と話は近況報告のような感じになった。


「奈緒美は最近どう? 元気?」

「うん、おかげさまで元気にやってる。最近は里親になって、こないだまで男の子を引き取ってたんだ。今は2週間前くらいから12歳の女の子と一緒に暮らしてるんだけど。その子がちょっと訳アリで……」

「へえ、大変なの?」


 穂乃香は手元にあるコーヒーをストローでぶくぶくしながらこちらを見る。


「うーん、大変ではないんだけど……心配? 詳しいことは言えないんだど、香帆ちゃんって言って、最近ちょっとした理由でその子の両親が他界しちゃって……」

「…………それって」


 それを聞いた穂乃香は動きが止まった。私の方をじっと見て。そして何かを思い出したかのように口を開く。

 穂乃香はカバンからケータイを取り出し、あるニュース記事を開いた画面を見せてきた。


「この前あった一家強盗殺人のやつ?」

「えっなんでわかったの」

「最近両親が亡くなったって聞いてちょっとピンと来て」


 なかなかの慧眼だ。

 あんまりこういうのって他言しない方がよかったのでは……。と私は少し自分の言動を反省した。久しぶりの親友との再会でつい口が緩くなってしまっているようだ。


「香帆……ちゃんだっけ? 親から虐待受けてたってニュースで見たよ。本当に大丈夫なの?」

「えっなにそれ」


 虐待……? なんのことだ。私は穂乃香のその発言が理解できなかった。

 香帆ちゃんがあの日のことを思い出さないよう、最近はニュース系統の番組をつけないようにしていたから、私はニュースの内容を知らなかった。


「知らないの? テレビの取材で近所の人たちが色々言ってたよ」


 そういって、穂乃香はインターネットに上がっていたニュース番組の動画を見せてきた。

 その動画の近所の人たちの話は、志崎家は父親が母親にDVをしていて、母親が香帆ちゃんに虐待をしていたのだという。母親の悲鳴と、怒鳴り声をよく聞いていたらしい。事件があった日も、志崎家からは悲鳴が聞こえていたが、いつものことだと思い近所の住民たちは通報をしなかった。という内容だった。


 動画は途中だったが、私は無理やり動画を閉じた。

 なんだァ、それは。

 だって、香帆ちゃんが虐待されてたなんて、そんな素振りも、話も、1つも聞いてない。


 ……施設の人たちも、知らなかった? たしか施設の人たちは香帆ちゃんに話かけても何も話してくれなかったって……。じゃあ香帆ちゃんはずっと1人で抱え込んでたってことじゃないか。


 まさか、ドイツ村に行ったときの、頭を覆い隠すようにして謝っていたのは、前の家では虐待が当たり前だったから……?


 香帆ちゃんが私の家に初めてきた日、オムライスを食べるのは初めてだって言ってたのは、前の家では作ってすらもらえなかったから……?


 微かにあった違和感の正体はそういうことなのか。

 なんで、なんでだよ。どうして気づかなかったんだ私は。1番近くにいたじゃないか。


 気づけなかった自分に対しての嫌悪感と、なぜ周りは香帆ちゃんを助けなかったのかという怒りが、ふつふつと沸いていた。


「テレビを見ろとは言わないけど、そういうニュース系はインターネットで少しは調べたりしといた方がいいと思うよ」


 親友に正論で殴られた。

 少し……いや、大分浮かれすぎていたのかも知れない。大人として、香帆ちゃんを守らなきゃいけないのに。そうでなくてはいけないのに。もっと、私がちゃんとしないと。

 ちゃんと、気を引き締めなきゃ。


「うん……そうだよね。今度から気を付けるよ」


 ずっと1つのことを考えていても仕方がないと思い、話題を変えた。久しぶりに親友とあったのに辛気臭いのはやめだ。後悔は自分1人の時にしろ。


「そういえば、さっきカートぶつかった時、大丈夫だった? なんかすごい痛そうだったけど、前に怪我したとか言ってなかったっけ、なにしたの?」


 穂乃果は「あー……」といいながらこめかみをかいた。


「それよりさ、お腹空かない? ここのサンドイッチ美味しいから買ってくるよ」

 あきらかに話題を逸らされた。いやなことでもあったのかな?

「あっちょ……」


 席を立った穂乃香に声を掛けようとした時だった。まるで私たちを切り離すように、遠ざけるように電話が鳴ったのだ。

 電話の相手は児童相談所からだった。

 一体なんだろうか。


「はいもしもし、林原です」

『もしもし、児童相談所です。奈緒美さん、たった今、香帆ちゃんの学校からお電話をいただいて……』


 電話からは男性の声が聞こえてきた。

 学校から? なんだろうか?


『学校から……香帆ちゃんが倒れたと、連絡がありました』

「──────えっ?」


 児童相談所の人からの電話を聞いた瞬間、私が手に持っていたケータイは床に滑り落ち、画面に大きな亀裂が入った。


 一瞬、頭が真っ白になった。

 直後、心臓がきゅっと握られるような。そんな感覚になった。

 私は床に落ちたケータイを拾いあげた。


「わかり……ました。すぐ向かいます」


 私は急いで荷物をまとめた。


「ごめん、穂乃香。急用ができたから帰るね。また今度ゆっくり話そう」

「えっ奈緒美⁉」


 そういって私は店を飛び出した。

 人と人の間をかき分けて、ひたすらに走った。

 不安と焦り。2つが混ざり合い、焦燥感に駆られる。

 私は先に家に帰り、玄関に荷物を置いてすぐに家を出た。

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