第13話 知らないこと

「奈緒美さんこちらです!」


 小学校の正門前でこちらに手を振っている人が見えた。さっき電話を掛けてきた人とは違う、堀さんという女性の方がいた。


「香帆ちゃんは……大丈夫ですか?」


 走ってきたため息が上がっている。

 来てそうそう私は香帆ちゃんの状態を聞いた。


「今は保健室で休んでます。保健室の先生が何があったのかを聞いてくれてます」

「そう、ですか……」


 私は保護者証を持っている堀さんと一緒に校舎へと入り、香帆ちゃんのいる保健室に向かった。

 急いで来たせいでスリッパを持ってきておらず、学校のを借りることになった。

 ドアをノックする堀さんに続いて私は保健室に入った。


「こんにちは。志崎香帆の引き取り手の林原奈緒美です。遅くなりすみません」


 保健室に入ると眼鏡を掛けた白衣姿の女の先生、若山先生がいた。


「お話は伺っております~香帆ちゃん、今はまた、眠っちゃってて~」


 若山先生からはとても優しい雰囲気を感じた。


「こちらに……」


 私がベットまで香帆ちゃんを確認しに行くと、香帆ちゃんは寝息を立てていた。

 いつもと変わらない寝顔を見れてほっとした。

 香帆ちゃんの寝顔を見ていると、後ろから堀さんが小声で話しかけてきた。


「5時間目の授業が終わったら担任の先生がお見えになるそうです」

「わかりました」


 一体、香帆ちゃんになにがあったんだろう。若山先生が話を聞いてるって堀さんが言ってたような気がするし、若山先生に聞いてみよう。と思った矢先、ちょうどよく若山先生が話しかけてきてくれた。


「あの〜ちょっと、いいですか……? お2人にお話があって……ここじゃあなんですので、別の部屋で」


 私たちは若山先生に案内され、保健室横にある『授業資料保管室』に入った。


「この後、森永先生……香帆ちゃんのクラス担任の先生とお話をされると伺ったので、あらかじめ伝えておかなきゃと思って」


 香帆ちゃんの担任の先生は森永先生というのか。担任の先生と話すのに、事前に伝えなければいけないこととは一体なんだろうか?


「実は、香帆ちゃんは以前からクラス内で、とある子からいじめられていて……」

「え?」

「……は?」


 なんだよいじめられてるって。


「……森永先生は、香帆ちゃんがいじめられているのを知っていながら、ずっと、放置しているんです」


 いじめを放置する担任って……ふざけるな。

 というか、解決してないってことは……。


「それって、若山先生も、いじめられているのを知っていながら、放置していたんですか」


 私の問いに対して、若山先生は分かりやすく目をそらした。眼鏡の奥の瞳が、あちらこちらを向いている。


「私も、何度も森永先生にも、校長先生にもお話しました。でも、全部子供の遊びだって。自分たちで気づかせることも大事な教育だと言って、何もしてくれませんでした。私は養護教諭であり、教師ではありません。私に与えられた仕事は、彼ら彼女らの話を聞いて、心の痛みを和らげることだけ。問題の解決は、私には……できないんです」


 若山先生の前で組んでいる手が、力強く握りしめられているのがわかった。


 ……こういう時、誰かがきっと助けてくれる。周りの大人や、それを見ている人たちが。そうあるべきだ。そうでないのはおかしい事だ。目の前で起きていることが、間違っているとわかっているのなら、正すべきだと。私はそう思っていた。


 信じていた、という方が合っているかも知れない。苦しみを知っていながら、そんな理想論を信じていた……。


 いいや、それも違う。私は、やさしくされるのに慣れてしまっていたんだ。苦しい時にやさしくされ、同情してくれる周りがいた。手を差し伸べてくれる大人がいて、助けてくれる友達がいた。


 誰もがそうなんだと思ってしまった。だからこそ、苦しみを知っていながら、そんな綺麗事が詰まっただけのどうしようもない理想を抱けたんだろう。


 ……今日1日を通してわかっただろ。私。現実を見ろ。

 現実は、どうしようもないくらいに、馬鹿げているんだと。思い出せ。


 逃げることに甘えるな。世界はこうやって回っているんだ。




 若山先生は、重々しい表情で口を開いた。


「今日、香帆ちゃんが倒れた理由は……強盗事件があった日に、香帆ちゃんが家から出てきてパトカーに乗るところを、いじめをしている子が見たみたいで、それで『香帆は人殺しなんだ』って昼休みの教室で言いふらしたのが原因みたいなんです……香帆ちゃん、その時に……事件の時のことを思い出して、教室で嘔吐をして倒れてしまったんです。それで目を覚ましたときも、『私は人殺しなんだ』って自分を責めていて……」


「…………ッ!」


 見られていた。というのは、あの時だ。

 園田さんの車に乗る前、香帆ちゃんが立ち止まって見つめていた先に、いじめっ子が居たんだ。


 思わず近くの戸棚を右の拳で殴った。痛みはない。怒りはある。

 はらわたが煮えくり返るほどの怒りだ。


「……ふざけるな」

「奈緒美さん落ち着いてください!」


 堀さんが落ち着いた様子で私をなだめる。

 なんでこんな時に、堀さんは落ち着いていられるんだ。おかしいだろ。


「今回のは、子供ゆえの純粋な解釈が招いた……事故、というべきでしょうか」


 若山先生のその言葉には、納得できそうになかった。怒りのままに、若山先生の胸ぐらを掴もうと、バッと両手を伸ばし、服を掴みかけた瞬間。それを咎めるように5時間目終了のチャイムが鳴り響いた。


 若山先生が私の手をそっと掴んだ。


「もうすぐ、森永先生が来ると思いますので、職員室のほうでお待ちになった方がよいかと。……森永先生に、一般論が通じるとは思わないほうがいいです。それが、伝えたかったことです」

「……そりゃどうも」


 ふと我に返り、頭に血が上りすぎたと思った。少し頭を冷やそうと思い、足早に1人資料室を出た。


 1回、大きく深呼吸をした。

 いくら何でも、暴力はだめだろ……。

 壁に寄りかかりながらしゃがみ、1人反省をする。

 資料室から堀さんが出てきた。


「……取り乱して、すみません」

「いえ……行きましょうか」

「……はい」


 堀さんの後に続き、私は職員室へと向かった。

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