第5話 色彩
予知夢を見るのは決まって休暇の朝だった。
まるでリオの予定を知っているかのように
「その日」はいつも訪れる。
金曜日の夜、リオは友人の椿と一緒に美術館で待ち合わせをしていた。
駅から直結した連絡通路の向こうから
白レースの長羽織を着た女性が、リオを親しげに呼びながら、片手で袖口のたもとを押さえて手を振っている。
「リーオー」
椿は水彩を滲ませたような薄紅色と京紫の紋紗にミントグリーンの帯揚げを合わせていた。
その色合いはほっそりとした白い肌を引き立たせ、自分に似合う着こなしをよく理解しているかのようだった。
彼女が草履で床を撫でるようにすっすと歩くと、その裾捌きは艶やかな貫禄を見せた。
椿は小学校からミッションスクールの女子校に通う生粋のお嬢様で、老舗呉服商の1人娘であった。
リオとは同い年で20代の頃に着付け教室で知り合い、2人は本科から研究科まで同じコースを選択していた。
椿は家業の跡取となるために先月から師範科に通い始めたのだった。
両親は複数のマンションやビルを所有しており、そのうちのひとつに呉服屋店が入っている。
そこは東京駅八重洲口を東に1キロほど進んだ好立地で、椿も時々は店頭に立って接客をしていた。
築年数30年ほどの建物ではあるが、メンテナンスをされている外観はとてもそれとは思えない重厚で見事な石造りである。
椿はそのマンションの最上階で両親とともに暮らしている。
「お店の方はどう?」
リオは椿に聞いてみる。
「今日は展示会...うちの店ね、着物のプロをいっぱい抱えてるし、私なんて半衿をつけるだけで精一杯って感じ。社長も私より彼女たちの方を信頼してるのよ?」
社長とは椿の父親のことだった。
いつものようにふふっと控えめに笑うが
椿にとって幼い頃から商売は身近なものであり
のんしゃらんな態度とは裏腹に後継者としての気構えは相当強いものだった。
「ね、そんなことより、この夏帯どう思う?
今日は自分で着付けてみたの。」
椿が、身体をひゅんとリオに向けると中振袖がエレガントにひらりと風に靡いた。
帯は手入れが行き届き、硬くてシャリ感があった。
「紗の博多献上だね、この小紋によく似合ってる」
リオはその帯を背中に沿わせると、まっすぐになるようにキュッと整え、ふと上方を見上げた。
円錐の先端を切り取ったような
巨大なコンクリートオブジェが威風を放っている。
「あれね、リヨン料理でしょ?代官山の方は行ったことあるけど...」
椿はリオの手を取り、行こうよとアイコンタクトをした。
この店はいつも行列を作り、多くの人が並んでいるが今日は待たずに入ることができた。
窓際の席に案内されてしばらくすると、バゲットとカレー風味のリエットがテーブルの上に置かれた。
リオはリエットをスプーンに少し乗せて口に運んだ。
「リオー、それ違うー」
椿はくすくす笑いながら
以前リエットを手作りしたときに、煮込み用のワインが合わなくて台無しになってしまったことを話してくれるのだった。
そんな椿の温かさが心地よく、リオは素の自分でいられることに安堵していた。
「ねぇ、リオ..あの夢」
椿は急に真面目な表情をして
グラスを置いた。
想定していた問いに、リオは応える。
「ああ予知夢のこと?」
椿は続けて、詰め寄るようにして問いかけた。
「白いYシャツの人のこと..まだ想っているの」
リオはスプーンに乗せられた角砂糖をポトンと落としてティーカップに視線を落とした。
「ん..たまにね、今夜はどうか私の夢に現れて下さいってお願いしてる...でも..」
「でも?」
椿は前のめりになった。
「これだけ待っていても現れなかったし、他のことはともかくとして、あの人は潜在意識が作り上げた虚像なのかななんて考えちゃうの、
ねぇ、椿はどう思う」
リオは何か言ってよと懇願するように椿をみつめた。
椿は両手でリオの手をそっと包んで、
「私はいつか絶対に現れるって信じてるわ。
リオだってそうでしょ」
椿は大きな瞳でリオを見つめ返した。
リオの想いが通じているかのように
椿はいつもほしい言葉を掛けてくれるのだった。
午後の日差しが強くなり
カーブを描くように取り付けられた無数のガラスが砕け散るように光を放つ。
リオは夢の記憶を呼び起こそうとしていた。
眩しいほどの光に包まれた「白いYシャツの人」をリオは忘れられるわけがなかった。
あの人は今どこで何をしているのだろう。
夢を見たあとに、現実になるように リオ @sophie321
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