変わるコト

 信じられないモノを見てしまった。


 カッパがいて水に消えたと思えば、禅院くんの左目に赤い傷痕みたいのが走ってて、それから校舎の2階の窓まで届くくらいのジャンプをして、背中から黒い翼が生えて空を飛んで、どこからか白い板がついたようなナニカを取り出して振って……。


 わたしはなにを言ってるんだろう。でも、それらはたしかに目の前で起こっていた出来事。


 あと、禅院くんに呼び捨てされたような気がする。いつもならさん付けしてくれるハズなのに。


「――おーい、樫見?」


「なっ、なんですか、禅院くん?」


「ずいぶん上の空みたいだなあ? 私だよ、ほら私」


「あっ、すいません須藤先生!」


「禅院、やっぱホントだったのか? 今まで言ってたコトは。」


「はい。残念ながら」


「カッパに襲われたって他の大人に言っても信じないよ。小林先生は信じてくれると思うけどね」


「でしょうね……」


 さっきまで戦っていたときの気性の激しさはどこにいったんだろう。緊張するけど、訊いてみよう。


「ああ。あのときはこう、左目のトコに傷痕みたいなのがあったと思うんだけど、あれが出ていると、ちょっと熱くなるというか、でも冷たくなれるというか……。オレもコントロールできるかわからなくて」


「つまり二面性があると。それは健全じゃないね」


「オレもどうにかしたいとは思っているんですけどね……」


 でも、傷痕がないときは、いつもの禅院くんだ。このほうが安心感があるなあ。


「ところで、そのズブ濡れの学ランどうする? ズボンは無事みたいだけど」


「内ポケットとかまでなんて、なかなか乾かないですよね。どうしよう」  


「とりあえず脱いで、身体を拭きな。ほら、タオル」


「ありがとうございます」


 タオルを受け取ると、おもむろに学ランを脱ぎ、ワイシャツ姿になった。濡れているから肌着まで透けて肌が見えてる……。


「うっ! ちべて!」


「そりゃ冷たいだろうに」


「いや、かけられたんですよ。顔に」


「ええ? 誰から」


「見えないと思うけど、花子さんから……」


「花子さんが? どこにいるんですか?」


 声が聞こえなかったから近くにいるとは思わなくて、つい身を乗り出して訊いちゃった。


「あ、うん。樫見さんのそば、すぐ隣にいるよ。――そっか、そうだよな。無神経だった……ゴメン、樫見さん」


「……え?」


「今、花子さんが『女の子の前で上だけでも脱ぐのはやめろ!』ってさ」


「あっ、その、いえ……」


 ホントにそばにいてくれているんだ。怪談とかの怖いイメージはどこへやら、気をつかってくれるとってもいいヒトだ。


「というワケで須藤先生、ベッドのトコのカーテン借りていいですか?」


「樫見が後ろ向いてりゃいいんじゃない?」


「あ……。そうですね」


 後ろを向いて、目も閉じていよう。


「おっ? 禅院、なかなかいい身体してんねえ。鍛えてんの?」


「キャー! 須藤先生のエッチー!」


 ふたりでなに言いあってるんだろう……。気になる。


「まあ、鍛えておいて損はないかなって。ほら、いろいろあるので」


「大変そうだねえ。はい、タオル。ところで、花子さんはどこにいんの?」


「ありがとうございます。今は須藤先生のそばにいますよ。……えっ、じゃあ、それ先にやってくれよー」


「なんて?」


「花子さんの能力で、服の水分だけ取ってくれるみたいっすよ」


「脱水できるの? スゴいなあ。一家に一台欲しいわ」


「乾燥機扱いはダメ、ですって」


「だろうね。めんご」


「じゃあ、頼むよ。……おお、マジだ。学ランもワイシャツも乾いてる、中まで!」


「すごいな、水が浮いてる。禅院の言ってるコト、やっと信じられるよ」


「えっ、ウソ。今まで信じてなかったんですか!?」


「当たり前だろそんなの!」


 わたしに見せてくれた能力と同じだ。須藤先生はスゴいビックリしてるけど、わたしだってできるんだ。能力を貸してもらえばだけど。


「……夕七もできる? 樫見さんにチカラを貸したのか?」


 禅院くんの声が速くなった。やっぱり、いけないコトなのかな。


「樫見さん、着たからこっち向いても大丈夫だよ」


「あ、は、はい」


 ゆっくり振り向くと、ふたりはわたしを見て、目を大きく見開いていた。信じられないようなモノを見たような……。


「共有の印だ……」


「目の下のしずくのそれって、禅院が言ってた傷痕みたいなヤツか?」


「はい、あれが浮かんでると――」


 花子さんがまた、わたしに能力を貸してくれているんだ。これで須藤先生にスゴいトコを見せられる!


 浮いている水をじっと見つめて頭上で右腕を回すと、水も同じ動きをしてくれる。もっとコンパクトに、指揮者のように手首だけ動かしても、ちゃんと動いてくれる。


「――あの通り、樫見さんも水を操れます。……えっ、スジがいいからあんな自在に動かせんの? オレじゃムリ? マジに?」


「スゴいじゃないか、樫見。まるで踊っているみたいだ」


「あ、ありがとうございます」


 スゴいのは花子さんの能力だけど、褒めてもらえてうれしいなあ。なんだかむず痒いや。


「ぎょえーーっっ!!」


「禅院の頭に水が!」


「ああ、ごめんなさい!」


 水から目を離したから、また禅院くんがズブ濡れになっちゃった!


「うう……。同じようにやれば……、なんだって?」


「あ、その、ご、ごめんなさい……」


「いや、花子さんが笑いをこらえてて、なに言ってるかわかんなくて……。えっと、同じように動かそうと思えばイケるって」


「そ、そうですか……。えい!」


 禅院くんのほうへ両腕を伸ばすと、頭から床までこぼれた水がまた宙に留まった。これ以上やるとまたこぼしそうだから、流し台に流そう。


「いやスゲーわ。いいモノを見たなあ。とっても神秘的だったよ」


 あんなにしみじみと言う須藤先生は見たコトがない。少しだけ口角を上げた笑顔を見てると、わたしまでうれしくなる。


「あ、でも、花子さんの能力のおかげです」


「それは樫見だけじゃできないだろうけど、花子さんは樫見を信頼して貸してくれているんだろう? 誰かの信頼を得るってスゴいコトじゃないか」


「そう、ですか……?」


「そうさ。それに、誰かのチカラを借りるのは悪いコトじゃないよ。信頼した相手と一緒なら自分だけじゃできないコトだって、いっぱいある」


 信頼。いままでその言葉には無縁の人生だった。学校はイヤでイヤでしょうがなかったけど、それでもずっと耐えて通っていたけど、限界は早かった。


 親と相談して保健室登校を始めたときは、もう劣等感でいっぱいだった。でも、須藤先生は受け入れてくれた。


 保健室登校はイヤじゃない。むしろ楽しい。それはたぶん、須藤先生を信頼しているから。きっと、クラスのみんなを信頼すれば、楽しくなるのかもしれない。


 いちどは逃げちゃったけど、またやり直したい。信頼したいし、させたいんだ。だから、まずは謝らなきゃ。わたしを追ってくれた禅院くんに。


「禅院くん……。あのとき、逃げちゃってごめんなさい」


「見られるのってドキドキするよね。いっしょに徐々に慣れようぜ」


「ヤダ、なんかヒワイな響き」


「なに言ってんすか須藤先生」


 須藤先生が割り込んできたから、なんて言おうとしたか一瞬忘れちゃった。


「え、えっと……。行きませんか? 授業」


「おお、そうだ行こう! ヤバい、サボる気マンマンだったから、やる気ださなきゃ!」


「いいぞ、いつでもサボりに来ても」


「はい、ありがとうございます!」


 きっと、もう大丈夫。わたしには信頼してくれている友達がいる。それに、目には視えない友達も。


「じゃあ、開けるよ」


 禅院くんの呼びかけに、わたしはうなずいた。禅院くんがHRの戸を開けると、それに続いて一歩前に踏み出した。


「禅院! どんなクソデカうんこしてたんだよ!」


「してねーよ! ンなでけー声で恥ずかしくないのか真島ァ!」


「あ……。樫見さんもいたのね……」


 授業中にも関わらず、HRは笑いに包まれた。なんだか楽しくなっちゃって、わたしも笑っちゃった。

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