招かれざる客は緑色
樫見がトイレで花子さんと話していた頃、サトルは保健室に向かった。
「おはようございます、須藤先生。樫見さん見ませんでした?」
「おっ、おはよう禅院。樫見はまだ来てないぞ」
「来てない? 了解っす」
「ところで教室には?」
「ええ。早く来て勉強を教えてもらったんですけど、みんな来ると、やっぱり人目が気になるみたいで……。わかりやすいっすよ、樫見さんの教え方」
「ウソだろ? 禅院はちゃんと授業出てるんだろ?」
「やめて! それ以上言わないで!」
「まあいいや、とにかく一歩前進だな。こっちに来たら、伝えておくよ」
「お願いします」
もう心当たりがなくなってしまった。いったい、どこにいるのだろうか。誰とも会いたくなくて見つからない場所となると、みるみるうちに察しはついた。同時に手詰まりにもなってしまった。
「さて、どうしよう……」
「――おい、サトル」
「バク、どうした?」
心臓がドクン、と鳴った。緊張がバクを通じて伝わる。左目が熱い。
「空妖がいるのか?」
「ああ。中庭から殺気を感じる」
「物騒だな」
すぐに中庭へ向かうと、特に変わった様子はない。
「……うん?」
いや、あった。ちょっと前に見たときはなかったハズの丸いゴミ箱があった。高さは腰ほどある。隠れるのにもってこいだ。
「間違いない。ここからだな」
「油断するなよ」
フタを開けると、そこには水が並々と入っていた。空妖の気配はこの中にはなかった。既に――
「上だ、跳びあがったぞ!」
気づいたときには、後頭部を掴まれてゴミ箱に顔を突っ込まれていた。
バクのチカラを借りても、まったく無力。バクも閉所の水の中ではなにもできない。
(マズいッ! 苦しいッ!)
「――わああーッ!」
焦りの中でなにか声が聞こえたと思えば、水が消えていた。
「水が空へ登った!?」
襲ったヤツは頭を離すかわりに、背中を蹴とばしてきた。地面に倒れたサトルは起き上がろうとするも、息を整えるのに時間が必要だった。
「おめー、ナニモンだ? そのキズはなんだ?」
その姿を仰ぎ見ると、また呼吸が止まりそうになった。
頭に皿を乗せ、口はトリのクチバシ、亀の甲羅を背負った全身緑の男の姿があった。間違いない。『異形の空妖・カッパ』だ。
「カッパに教えるコトなんざ、なにもねえよ」
「この姿はどうでもいい。お前を溺れさせるコトに意義があったのに……。誰が邪魔した?」
そうだ。あんな自然に反した現象を起こせるのは、ひとりしかいない。確実にヤツの殺意は彼女に向いている。
「花子さん、逃げろよ……!」
「妙な印をつけてるヤツが多いな。若いヤツらの流行りか? ずいぶんとシャレてて自由なんだなァ。いい気になるなよクソガキが」
そういうカッパの語気には怒りが募っている。立ち上がり、視線の先を見ると、そこにいたのは思っていた人物ではない。学校指定の制服を着た女子だ。こちらを見て震えている。
サトルはその女子に見覚えがあった。そうだ、樫見さんだ! 助けてくれたのは花子さんじゃないッ!
「なんでこんなトコにいるんだ!? 逃げろッ! 樫見ッ!」
叫んでも、ヤツが樫見の下へにじり寄っても、一向に動く気配がない。固まってしまったようだ。手からクモの糸を伸ばし止めようとした瞬間――
「安心しなさい、禅院サトル。花子がついているから」
樫見の足元の水溜まりからしぶきを上げ、花子さんが現れた。
花子さんが手をかざすと、空中で静止していた大量の水をカッパの目の前に置いた。それはまるで壁のように立ちはだかっている。
「これで近づけるかしら?」
「ふんっ、バカめ」
カッパはお構いなしに水壁の中に進むと、溶け込むように姿を消した。
「バカはアンタみたいね。またゴミ箱に戻りなさい!」
花子さんが腕を振るうと、水壁は渦を巻き、激流となった。そこに溶け込んでいるカッパはひとたまりもないだろう。
「そうか、それが狙いか。ほらサトル、剣だ」
花子さんはカッパが水に溶け込めるのを知ってわざと水壁を張り、「ゴミ箱に戻れ」と挑発したのだ。あんな性格の悪そうなカッパだ、恐らく、ゴミ箱におとなしく入らず、逃げようとするだろう。その際は空中で逃げるハメになるので無防備だ。
「そこに、コイツで斬るってコトか」
サトルはゴミ箱のフタを拾いつつ、バクから受け取った剣の真四角な刀身に巻かれた包帯を解くと、現れた白い刀身はあわい光を放つ。銘は
「ゴミ箱に突っ込むから、禅院はフタを閉めなさい!」
合図とともに激流はゴミ箱に向かって放たれた。
「チッ!」
やはりゴミ箱に放り込まれる途中で出てきた。ここですかさず、あのときのバスケの授業のようにバッタの脚力を活かし跳び、カッパに迫った。
狙うは胴。言動から察するに悪霊に取り憑かれているのだろうが、同情していられない。他の生徒のコトを考えるとすぐに断たねばならない脅威だ。
「殺そうとするなら覚悟しろよ、おまえも死ぬ覚悟をッ!」
しかし、サトルの振るう白刃は虚空をなぞった。カッパは宙を舞う無数の細かな水しぶきを伝って溶け込み、移動していく。花子さんと同じ能力みたいだ。
「バク、翼を!」
「よしきた」
サトルが呼びかけると、背中から両腕を広げても翼先に届かないほどの黒い翼が現れた。これは瀕死のカラスたちの命とともに授かった大切な翼だ。
「逃げられると思うなよッ!」
花子さんとカッパ、同じ能力ではあるが精度が段違いだ。水から水へ伝う移動という点は同じだが、カッパのそれは移動の過程で身体が見えている。花子さんは全く見えなかったのに。
その緑の目立つ身体が見えた瞬間、斬ればいい。
逃げるスピードに目が慣れてきたが、羽ばたいて空中に留まるのも、そろそろ限界だ。
「液体だったらなんでもそれを通じて移動できる! やってみて!」
花子さんの声。ならば、誘導はカンタンにできる。汚いが。
「――ぺッ!」
サトルは天にツバを吐くと、あんのじょう緑の身体がそこに移動するのが見えた。剣は届かないので、すかさず空いた左手からクモの糸束を伸ばすと指先に重みが伝わった。やっと身動きができない状態にできた。
しかし自由が利かないのはサトルも同じだ。ふたりは地面に落下した。
「なんだこの糸は、離せクソガキ! こんなハズじゃあ……」
「さあ、覚悟はできたか?」」
サトルは痛みを我慢して立ち上がる。右手には剣を握り、左手には糸をカッパに絡ませつつ、ゆっくりと近づいた。
カッパはなにも言わず、無言の肯定を汲み、かざした剣を振り下ろそうとした、その瞬間だった――
「ひえええ! おねげえだ、斬らねえでくんろ~っ!」
「はあッ!?」
カッパの顔つきがガラリと変わり、まったく情けない表情になった。なんとか頭の皿を斬る前に止められたが。豹変したのは悪霊が抜けたからだ。
「……次はこうはいかねえぞ、クソガキがッ!」
上空からの声。見上げると、足の視えない半透明の男が浮かんでいる。これが悪霊の正体だ。
「ワタシが思うに、こういうタイプは反省しないな。サトル、やるか?」
「やる!」
サトルは跳んで剣を振り下ろすも、悪霊は霧が晴れるようにいなくなってしまった。
「……逃げられたか」
今度はキレイに着地を決められた。視線の先にはカッパが怯えた顔をしている。
「ちょっとの間はヤツも警戒して近づかないんじゃないか」
「だといいけどな」
サトルはバクとの能力の共有を解くと、左目の痛みがなくなるとともに、現状を見渡せる冷静さも戻った。そして、思った。
(目の前にはカッパに、呆然と立ち尽くす樫見さん、あとどうでもいいけどビショビショのオレ……。どうしたらいいんだろう)
「アンタがボンヤリしてちゃ、夕七が心配するでしょ」
花子さんが肩を叩いてきた。
「あ、うん、そうだな。とりあえず、花子さんはそのカッパをなんとかしてくんない?」
「わかったから、はやく夕七を安心させてあげて。……ほら、アンタも水に溶け込めるならさっさと水たまりにでも入りなさい!」
「ひえ~、やっぱ都会はおっそろしいだな……」
花子さんの言われるがままに、カッパは水たまりに姿を隠した。
「……樫見さん、その……大丈夫?」
声をかけると、樫見はただ小刻みにうなずくだけだった。
「とりあえず、オレ保健室行ってくるね。ビショビショだからタオルでも借りて――」
「あっ……。その、わたしも連れていってください」
ふたりで保健室へ向かっていると、朝のSHRの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「一時間目はさ、サボっちゃおうか」
「……はい」
ふたりでサボれば仲も深まるというモノだ。あとは、いま起こった諸々を説明しなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます