エピローグ 救うもの

 空が明るくなってきた。雲は多く敷き詰められているが、点々と青になりかけた空が見える。曇りじゃない、そんな天気だった。


 明日を越えて、今日という一日がまた始まった。小鳥のさえずりで朝を迎え、家族や友人にあいさつを交わし、笑顔を向け合う。


 サトルは、人々がこんな日常が続くコトを祈り続けていた。コウが亡くなってからだ。目の前に、そのコウを死に追いやった鬼がいる。どうするかは、既に心は決めている。


「おまえなんかが、陽の光を浴びる資格なんてない。オレが斬る」


「サトル……」


「コウ、わかるよ。自分であれだけ言っておいてなんだけど、オレに決着をつけさせてくれ」


 コウの復讐心は氷解したが、それでもそばでサトルを慮っていた。


「……自分勝手だなあ」


「自覚しているつもりだよ」


「わかったよ、もう止めない。でもこれだけ言わせてくれ。コイツを倒すのだけが復讐じゃないぞ! コイツを倒して幸せになるまでが復讐だからな!」


「幸せになるまで……か。いいねッ、気にいった!」


 この復讐は墓標だ。

 

 果たされたとき、コウの未練は晴れ、別の幸せへと歩き出すためのモノであるなら、それは死者を葬り弔うのにそっくりではないか。過去のしがらみに別れを告げ、また新たな未来を見つめ歩きはじめるのだから。


「ククッ。なあ、ニンゲンよ。おまえが幸せになれると思っているのか?」


 片腕を失った鬼は、鋭い目でサトルをにらむ。


「生き延びるために生物を喰らい、それでいて死んだニンゲンを慰める矛盾を抱えたおまえが?」


「……そんなコト、考えなきゃ幸せなんだろうな」


 サトルの本音だった。もう後には引けない。人として、空妖を背負う化け物としての矜持を示すときだ。


「あえて言う。それは完全には否定できない。人は空妖みたいに独りで生きていけないから……だからこそ感謝するんだよ。身体に、血に、力に、そして心の糧になってくれる命に」


「そんなチンケな感謝が免罪符になるとでも思っているのか……? 血塗られ、呪われた魂がッ!」


「これが、オレの生きるって意味の答えだ」


「自分勝手がすぎるな、ニンゲン」


「言うと思った」


 もう言葉は交わさない。片腕のない鬼でも、殺気がみなぎっている。互いに一歩踏み出す距離は、生死を分ける分水嶺だ。隙を見せず、どちらも踏み出せない。しかし勝者は決まったようなものだ。


 やがて――


「死に顔晒せよクソニンゲンがァ!」


 日が昇る前に、先に鬼が動かざるを得なかった。もはや逃げられないと悟った鬼は片腕をひと振りするも、サトルは避けつつ、ガラ空きになった胴を霊剣で斬りつけた。


「うごァァァァァッ!」


 手にはなんの感触もなく、しかし鬼は断末魔の叫びを上げ、真っ二つになった。血もなにも流れず、ただ鬼は消え去った。復讐は終わったのだ――





 ねむりの丘に、やわらかい風が吹いた。夏の訪れを感じさせる青葉の風だ。


「――あれ? なんでここにいるんだっけ?」


 ふたつに束ねた長い金髪をなびかせ、メリーさんは首を傾げた。


「サトル兄ちゃん、知ってる?」


「いや、知らんなあ。オレはコウと日の出を見に来たんだし」


「そうそう。……ってサトル、この女の子は!?」


「わたし、メリーさん!」


「そういやサトルが言ってたっけな。よろしく!」


「わーい。同い年くらいの友達が増えてうれしいなっ!」


「えっ、ウソでしょ? メリーさんっていつ生まれたの?」


「細かくは忘れたけど、携帯電話がない時代から日本にいたよ!」


「サギじゃん! ぜんぜん同い年じゃないじゃん!」


 コウとメリーさんのやりとりを微笑ましく見つめていると、自分の影が伸びているのに気づいた。


 サトルはふたりに手招きして呼び寄せ、立ち並ぶ墓の最前列に立つ。遠くに見える山の尾根から、ゆっくり、ゆっくりと日が昇り始めた。


「おぉ、これは映えるよ!」


 メリーさんはスマホで自撮りをしている。サトルは腰まで伸びる木製の柵に手を置き、薄目で朝日を見つめた。


 眼前に広がるのはいつか見た景色。変わらないハズなのに、あの頃より町並みは小さくなった気がした。身長が伸びたからだろうか。


「この町は変わらないな、サトル」


「そうだな」


 コウもそうだ。笑顔も背丈も、なにも変わらない。変わったのは自分だけなのかと、少し寂しくなった。


「……まっ、サトルも変わってないけどな。考えてると口数が減るクセとか!」


「な、なんだよそれ!」


 コウは笑っていると、半透明の身体から光が溢れ出てきた。未練かなくなり、成仏する合図だ。暖かさを感じる光は、まさに太陽の光に似ている。


「あー、時間だ。雨のときと違ってさ、こんなにいい天気なのに。もっと話してたかったな」


「ホントだよ、短すぎる……」


 サトルも寂しさが溢れ出た。


「おいおい、泣くなよ! 高校生だろ!」


「小学生のときは、高校生って大人って思ってたのにな……。まだまだ子供だよ、オレは」


「……そっか」


 コウの光がさらに大きくなった。サトルは涙を拭って、鼻水をすすり、コウを見据える。


「おれさ、死んでもサトルが心配だったけど、大丈夫そうだな。友達もできてさ」


 コウはメリーさんのほうを向くと、満面の笑みが返ってきた。


「呪われたおかげで!」


「余計なお世話だよ……」


「ははっ、そうだった?」


 コウはすぐに成仏するコトを、幽霊の本能で悟った。


「……サトル、がんばれ。元気を出して、人生がんばれっ!」


「ああ、がんばるよ。コウ、おまえのコトは絶対に忘れないからな、じゃあな、もう顔みせんなよ!」


「ははっ、サトル。また寂しくなって泣くなよ?」


 寂しさを晴らせるくらいの精いっぱいの笑顔を作り、サトルはコウが光の中に消えるまで手を振り続けた。


「……コウくん、消えちゃったね」


「ああ。けど、これでいいんだ」


「うん。いい別れだった。感動的だ」


「そうか。……ってバク、静かすぎておまえがいたの忘れてたよ」


「こんなに気持ちのいい朝なんだから、イヤでも目は覚めるさ」


「目なんかないクセに」


 サトルはバクとメリーさんとで笑いあう。空妖たちの協力の甲斐あって、因縁はひとつ断ち切られた。


 怪奇な呪いを背負い、サトルは未来へ歩き出す。友の言葉を胸に誓って。


「さあ、帰ろうか」


 朝焼けの風は、心地よかった。


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