そして白日は昇る
空の暗さは鳴りを潜め、薄く青がかり、朝日を迎える準備をしていた。これは幽霊であるコウの半透明になった身体を通して気づいたコトだ。
「コウ、いつからいたんだ」
「サトルが来てから。ずっと草葉の陰から見てた」
細々と生えている雑草を指差してそう言った。
「冗談のつもりだったら笑えないな。マジで。全然」
コウは凍てついた鉄のような冷たい目でサトルを見向きもせず、ただ這いつくばる鬼をジッと見つめている。
「コウは下がっていてくれ、オレがヤツを斬る」
「いや、ダメだ。もう充分だよ」
幽霊に足はない。綿毛が風に流されるように、ふわりと移動するのだ。相変わらずサトルを見向きもせず、鬼の方へと自分の意志で流れていき、鬼の目の前に立った。
「おい、なにをするんだ――」
サトルは鬼を挟む形でコウの正面に立ち、コウを止めようとしたが、その目を見てなにをするのか確信した。初めて出会った幽霊にして悪霊――
「悪かったな、サトル。おれのために傷ついて、死にそうにもなったんだろ。ごめんな、本当にごめん」
台本を朗読するように、淡々とそう言った。
「そういうのは後で聞く。だから、だからどいてくれ……!」
心は焦燥に支配された。コウはまだ悪霊にはなっていない。今のうちに説得しなければ、最悪の事態になってしまう。
「なあ、コウ。後はオレに任せてくれ。どけよ。刃がおまえにも当たっちまうだろ」
「もう一度死ぬなら……、この鬼に取り憑いてからだ」
コウは鬼を凝視し、腕を伸ばした。
「そんなコトをしたら……悪霊になって空妖に取り憑くってコトは、おまえはなにも残らなくなるんだぞ! オレはそんなのイヤだ、やめてくれ!」
「おれもイヤなんだよ……。サトルがこうやって憎みながら戦ってるのが。サトルはそんなヤツじゃないのに、こうしたのも全部おれのせいだ。だから、おれがやる」
「自分の選んだ道だ。やむを得ないんだよ。わかってくれ!」
「ほう、やむを得ないだと?」
傍観していた鬼が口を開いた。その口角は上がっている。
「ウソを言うなッ! 俺を楽しげに殺そうとするニンゲンがよくもまあ、そんな綺麗言をほざける」
「うるさい! おまえが喋るな!」
怒ったのはコウだった。コウが率先して矢面に立った。
「アイツはこの俺と同じだ。罪の意識もなく殺しが出来る鬼だ、悪魔だ!」
「違うッ。相手がおまえだからだ!」
「ありとあらゆる命を雑に喰らうニンゲンが否定できるのか? 自己満足で誰かを痛めつける愉悦をニンゲンが否定できるのか? えぇッ、おい!?」
「やっぱり、おまえは……!」
「まあ、そう怒るなよ。後者に関して俺は否定しない、いや、むしろ肯定してしまうよ。自己満足のために生きるのが心を持ったモノの贅沢だろう。だからこそ、俺は無差別に殺しを楽しんだんだ。……ところでそこの幽霊、どこかで会ったか?」
最後の一言が、コウにとって最大の怒りを引き出す爆弾になった。
「おまえはおれと消えろ」
コウは鬼の身体へと溶け込んだ。鬼は元より自爆するつもりであったのだろう、意識がコウのものに完全に溶け込む前に、サトルに向けた最低な満面の笑みを崩さなかった。
「腕がないんじゃ、立つのもしんどいな」
その言い方に鬼の意志はなかった。この憎しい身体には親しかった友がいる。サトルは霊剣・
「そいつから離れてくれ、頼む」
「どいてよ、同じ死因でやらないと成仏できないからさ。そう、トラックで轢かれなきゃ」
「そんなのどうでもいい、もう一度死ぬのはやめてくれ……」
「構わないでくれ。おれがやる」
意志はコウのモノとはいえ、身体は鬼だ。故に力は全く変わらないし、敵わない。サトルは立ち上がろうとする力に耐えられず、倒れ込んだ。
「今まで、こんなおれを忘れずに会いに来てくれてありがとう」
「そんな別れの言葉があるかよ……!」
バランスが取れず振り子のように揺れて歩き出すコウを、サトルは両足を掴んで止めようとした。コウは止まるハズもなく、サトルを引きずりながらひたすら歩く。
この足を離さない。そう思っても、身体は期待に応えない。掴んですぐ力が抜けてしまった。だが、遠ざかる足は止まった。
「そこまでボロボロになって、なんで止めるんだ。おれが空妖のまま死ねば、おれのコトなんか全部、全部忘れられるのに」
「そんなのイヤだ。イヤなんだ。オレは忘れたくない!」
「……そうした方が楽なのにッ! なんでだよッ!」
コウが初めて感情を荒だてた。
「コウは忘れられたいのか? せっかくの、ひとりしかいない自分を否定しないでくれよ」
「サトルに復讐させるワケにはいかないんだよ! 死んでまで友達を苦しめるなんて。どうしておれなんか……、おれなんか!」
「コウ、生まれてきたコトを呪わないでくれッ!」
サトルは余力など考えず、腹から声を振り絞った。
「花に嵐の例えがあっても、コウに出会えて幸せだった。コウがもし生まれたコトを呪っても、オレの思いは変わらない」
夜のとばりはもう上がる。鬼が日光を浴びると消えてしまうのなら、急がなければならない。起き上がらないといけないのはわかっているのだけど。
「兄ちゃん! いい加減寝てないで起きてよっ!」
声の方を見上げると、墓石に乗っていたメリーさんが怒鳴っている。
「おいおい、バチが当たるぞ……」
「兄ちゃんの友達も止まってよ! 思い出も全部なくなっちゃうんだよ、ホントのホントに独りぼっちになっちゃうんだよ!」
独りぼっち、その言葉でサトルは思い出した。たしか、コウは初めて会った時にこう言った。クラス替えで不安になっていた時に「独りでさびしそうだから」と。
今、コウは全くの孤独の中にいる。それを救うのが友達ではないか。サトルは限界を超え、立ち上がった。
「ひとりにはさせない」
「サトル……」
ふらふらとコウを目指し歩き、そしてたどり着いた。たったの数歩がずいぶん長く感じた。
「聞いてくれ。あの時から言わなきゃいけないことがあったんだ」
そう言ってから、サトルは頭を下げた。このまま倒れそうだが、なんとか持ちこたえた。
「ごめん」
「……なんのごめんだよ」
「借りた消しゴムを失くしてさ、それでケンカになったよな。オレ、会いたくないって言っちゃってさ。ずっと謝りたかったんだ。……それが最期になるとは思えなかったから」
「それは……おれも、あの時はひどいコト言ったと思ってた。ごめん」
本来なら叶うハズのない、言いたいコトが言えて気持ちが晴れやかになった。コウも晴れ晴れとした顔だった。身体は鬼だが。
「サトルは覚えてるか? こうやって謝った後は……」
コウのやりたいコトがすぐに分かった。忘れるワケがない。サトルは掌を顔に構えた。
「そう、懐かしいなあ。こうやって――」
サトルとコウは互いの手を打ち合わせた。彼らの仲直りの決まり、ハイタッチだ。コウは加減したのだろうが、やはり鬼の力だ。雷に打たれたような痺れが全身に走った。しかし、サトルの胸には温かいモノがあった。
「懐かしいって、しあわせだな」
嚙みしめるようにコウが言うと、頭上から黒い霧が浮かび、それはコウの形を作った。目からほのかに温かさを感じる。ついに復讐心から解放されたのだ。
コウの意識が出た鬼は、サトルをにらみながら前のめりに倒れた。意識を完全には明け渡していなかったようだ。勝つのを諦めてはいない、赤い目は鋭さを増していた。サトルはひるまなかった。
「立てよ。戦えよ、鬼らしくッ!」
鬼は片膝をつき徐々に起き上がった。なにも言わずジリジリと距離を詰める。真っ直ぐな足取りを見るに、片腕がなくても歩くのは慣れたようだ。
サトルは動じず霊剣を構えた。互いに命を消せる距離は、一歩。
夜明け前の澄んだ空気は張り詰めていた。日の出まで、あとわずか。宵闇に隠された復讐劇は終わりを迎える。まばゆいカーテンコールを迎えるその時には。
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