復讐鬼②
「――禅院サトル、聞こえますね。夜早くに失礼します」
夜、予想通りまたしても暗闇の夢の中で声が響いた。
「待ってたぜ又兵衛。このために小学生の頃みたいに9時に寝たんだ」
「と、申せば?」
「夢を映し出す能力――それで、透明の鬼を作ってくれ」
「模擬戦というワケですね」
「ああ。やってくれ」
「お断りします」
「いやなんでえ!?」
訊き返すと、又兵衛は黙ってしまった。見渡す限りの暗闇と沈黙は悪夢のようだ。返事を粘り強く待つと、再び声が反響した。
「……申し訳ありませんでした。あなたにあの霊剣を託したのは、私の勝手による行為だ」
その声はあまりにも暗たんだった。
「どういう意味だ、それは」
「あの鬼のことは、この日本を守護する天狗たちに任せましょう」
「オレじゃあ力不足か?」
「あなたには彼らと――かつての
「非情さ?」
「彼らの生きた時代は、人の言う乱世の時代。その日のために凶器を振るい、命を奪い、明日を得た」
「そんなのオレだって、バクの能力を共有すれば――」
「そして、命を奪おうとも、それを忘れるコトもできた」
この一言に、胸がずきりと痛んだ。
「あなたは知っているでしょう。忘れるコトも強さのひとつというコトを」
「なにが言いたいんだ」
「あなたのご友人だった……」
「あんたはコウの死を忘れろって言いたいのか?」
「あなたを想ってのことです」
「ふざけるなッ! 出来るワケがないだろ!」
「某なら……彼の死を『夢』に出来ますが?」
「ダメだ、そんなコトは!」
「時には忘れる勇気も必要です。あのかるまが目覚めるまでに、強くならねばならない。それがあなたの宿命だ」
「ふざけるのもいい加減にしろッ! そんなコトのためにオレからコウの死を奪うのか!?」
「語弊があります。奪うのではなく、『存在をなかったこと』にする。このまま朝を迎え朝食を食べる頃には、すっかり忘れています。コウさんとの出会いから……ね」
「これ以上言ったら……!」
目の前に桜吹雪が舞うと、又兵衛が現れた。なにも持たず、無表情でただサトルを見据えている。
「ここは夢の中、意志がこの世界に現れる……ソレがあなたの本音だ」
握り拳に堅い感触を覚え、手元を見た。刀の柄だ。目線をなぞるように上げると、刃が三日月のように反り、輝いていた。
「美しい刀だ……」
又兵衛はどことなく嬉しそうに言った。弧を描く刃は、なにもかも傷つける鋭さを抱えている。
「オレは、そんなつもりは……」
「次はどうしますか?」
この思いはどこへやればいい。鞘はどこにある? 念じても、鞘は現れなかった。
これは又兵衛の計画通りのようだ。又兵衛自身が刺されるコトを想定しているのだろう、弱さを乗り越えさせる試練を用意したのかもしれない。素直に掌の上で踊っていたら、また他人頼みだ。
「自己嫌悪は、もうイヤだ……!」
又兵衛の想像を超えるには、たった今から生まれ変わらなければならない。強く意志を持たねばならない。
やってやろうと心をきめると、震えは治まり得物も軽くなったが、刃は鋭さを増した。もう後には引けない。
「コイツの鞘はここだッ!」
「なッ!? そんなバカなッ!?」
サトルは刺した、自分自身の胸へと。又兵衛の虚像の鉄仮面は、一瞬にしてボロボロに崩れた。
瞬間、出会った様々な人の顔がアルバムをめくるように浮かんだ。そこには両親がいた、コウがいた、ギルがいた、メリーさんもいた。そして、明璃がいた。
みんなと同じ時間を共有して生きている。いつか別れる宿命でも、どんなにちっぽけで尊い奇跡なんだろう。死に瀕した今、それに気づいた。いつも心を支えてくれるこの笑顔を守りたいと思うと、勇気が湧いてきた。
「なにを思ってるんだオレは。でも、これがオレの思いっていうのなら、悪くないかも。文字通り『真剣』なんだから」
刀は胸に吸い込まれた。背中に手を回しても感触はない。
「どうして自分を……」
又兵衛はまだ驚いている。
「悔しいからだ。あんたも悔しいから、こうしてウン百年も留まり続けてるんだろ?」
訊くと、小さく頷いた。
「だから、あとはオレに任せなよ。生きてるオレによ」
「無茶苦茶だ……」
「まだ止める気か?」
「いいえ。もう誰もあなたを止められない」
「ああ、そうかい……。しかし、周りがこんなバカなコト止めてくれてさ、オレは恵まれてるって痛感するよ」
「その感謝を忘れないように生きて下さい。恨みを抱き続けるのも、感謝を忘れないのも、いっしょのコトなのですから」
「ああ、もちろんだ――」
目覚めの光が暗闇を照らし、気が付くと、自室で枕に顔をうずめていた。時刻は午前3時、深夜は鬼の時間だ。
「む、もう起きたのか……」
「おはよう、バク。夜も深いぜ」
「朝まで待てないみたいだな」
「話が早いな、行こう」
「やれやれだな」
サトルは夜に馴染むように、バクの姿が見えないように学ランを羽織り、家を出た。空は曇り。夏は近いのに、やけに冷たい夜風が吹きすさぶ。
「ワタシはこの服が一番落ち着くな」
「さて、この殺意の元を――」
「制服なんか着て、こんな時間にどこへお出かけ?」
「ん……明璃か」
背後からかかった声にドキリとしつつ、ゆっくり振り向いた。
「忘れ物を取りに、な」
「冗談よ、全部知ってる。メリーちゃんから聞いたから」
「そうか……、やっぱり聞いてたのか。いたずらっ子だな、イタ電かけるだけはある」
「でも、行く前にひとつ訊かせて」
明璃の横を通り過ぎようとすると、また声を掛けた。
「覚えてる? あたしが入院してる時ね、夢を見たの。暗闇の中で同い年くらいの女の子といっしょにいた夢」
「その子は怖い顔をしてたけど、ずっと泣いてた。声を掛けたって届かなくて、困ってたときに何故か小林先生が出てきた」
「それで?」
「小林先生といっしょにサトルも出てきたの! 彼女と小林先生を見送った後、わたしに手を差し伸べて掴んだら夢が醒めて」
「はは、まるでお姫様と白馬の王子様だなあ。オレは真っ黒だけど」
「サトルのガラじゃないのは知ってるけど、あんたもこの夢と無関係じゃないんでしょ?」
「ああ。明璃に霊感が芽生えたのもそれだ」
「やっぱりね。あーあ、変なコトに巻き込まれちゃったな。悪い気分じゃないけども……ね」
これみよがしにちらちらと目線を送った。
「あのクレープで勘弁してくれ」
「そこに荷物持ちのサービスもね」
明璃は顔の高さに右手を構えた。
「しょうがないな」
サトルは横切りつつ、ハイタッチで応えた。
「よし、じゃあ絶対に帰ってきなさいよ!」
「おめーは早く寝なよ! 顔荒れたって知らねーからな!」
「余計なお世話だっての!」
別れるときは振り向かない。そうしたらきっと、ありふれた日常に戻りたくなるから。
「カノジョも見えなくなったところで行くか。独りぼっちの鬼退治に」
「独りじゃない。力になってくれた命がそばにいてくれている」
バクのチカラを借りると、左目が熱くなった。今思えば、この熱さは涙のそれに似ている。
「なによりおまえがいるじゃないか、バク」
「離れられないだけさ」
「頼りにしてるぜ、相棒」
「フフ、ケツがかゆくなる」
背後に風が当たった。横を見ると大きな黒い翼が広がっていた。バクが出したものだ。光をも飲み込みそうな漆黒は、大空を羽ばたく力強さを感じさせる。
目指すは霊園だ。小高い丘の上でも、この
「さあ、行こうぜ! ……って、羽広げてるんだから喋れないか」
「舐めるなよ、ワタシの特技は腹話術だ」
「……よし、じゃあ行くぜ!」
サトルが能力を借り高く跳びあがると、続いてバクが翼をひらいた。
曇天の夜に、黒い翼が静かに舞う。眠る町を起こさないように。覚めない悪夢から友を目覚めさせるために。
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