鬼は闇に溶け込む②

「ああ、痛えな、アスファルト。ニンゲンのフリなんてよォ、粋なコトしてくれんじゃねーの」


 薄ら笑いを浮かべ、透明になれる鬼はサトルに歩み寄る。あの因縁のかるまとは別の鬼だが、危険なコトには変わりない。当然、サトルは距離を置くコトに専念した。


「オイオイ、遠ざかンなよ。アンタも俺と同じ空妖くうようなのに。そんな遠ざかるこたあねーだろオイ。いや、今のは悪いとは思ってるぜ? ホントに」


「オレは人間だ」


「ニンゲン……? そうかいッ!」


 鬼は右手で手刀のかたちを作り、サトルの喉元に向けて突き刺した。突然かつ狡猾な手口、しかし、奇襲を予想していたサトルは間一髪で躱せた。


「ちょこまかと動き回っても無駄だ。さあ、俺に生きがいを味合わせてくれよなあ、ニンゲンッ!」


「生きがいだと?」


「存じてるとおり空妖は死んだってなにも残らない。記憶すらな。だがね、ニンゲンの死に顔はよぉーく頭に残る。それがタマらんのだよ……、絶望に歪んだ顔を見下すのは!」


「ゲスが……」


「最近になって面白い遊びも考えた。道を走る自動車とやらに轢かせるんだ。背中を押してやってな」


 コウが言っていたものとそっくりだ。


「これがまた楽しい。自動車に見事命中すれば面白いようにニンゲンが吹き飛ぶ。次は轢いた人間が自動車から飛び出すのだ、死んだような真っ青の顔をして。バカみたいだろ、殺しておいて死体みたいに……」


 サトルは怒りを抑え、口を閉ざした。


「それと、轢いても走り去った者もいたなあ。さっき俺のコトをクズと罵ったが、そいつも俺と負けず劣らずのクズと思わんか?」


「そうか、安心したよ。てめーが想像を遥かに超えたゲスで。おかげで、躊躇せずに戦えるッ!」


 サトルはバクから空妖だけを斬る霊剣『鏡花旅楽きょうかたびら』を抜き、刀身にあたる部位に巻かれた包帯を地面に叩きつけ無理に解いた。


 薄く広がった白刃は鬼退治をするには頼りなさげでも、しかしながら、今にも消え入りそうな街灯よりも遥かに輝いている。


「どこからソレを出したのか知らんが、キサマはその薄い豆腐のようなモノで俺を殺そうと?」


 鬼はまだバクの存在を気づいていないようだ。


「頼むぞ、剣よ……。長い夜を照らしてくれ」


 サトルは剣に祈った。剣は白い光をたたえている。


「これでは公正ではないなァ。どれ、俺も得物を手にするとしよう」


 鬼は近くにあった一時停止の丸い標識を、まるで雨上がりの地面から生えた雑草を抜き取るように、軽々とアスファルトから引き抜いた。


「これで対等だ。さあ、俺の生きがいのために、お前は死ねよぁあッ!?」


 狂乱の叫びと共に鬼が間合いを詰め、手にした標識を振りかざし、サトルの頭上に振り下ろした。サトルはギルと戦ったときのように、スローの視界を発動させると、楽々とそれをかわせた。


「一発だけだと思うなよッ!」


 猛る鬼は的確に首を狙い、得物を軽々と振り回す。


 見える。迫り来る脅威はことごとく回避可能だ。が――


「うッ!」


 急に頭痛が襲って来た。サトルは能力を発動出来なかった。


「貰ったぞ、その首ィ!」


 風をも切り裂かんとばかりの横薙ぎに、サトルはその場に倒れ込んで避けたが、危機というコトには変わりない。


「尻もちなんかついてないでよォ、顔の傷はどうした? まさか異能力の使い過ぎか?」


「てめーの慢心を誘ってるだけかもしれねーぜ?」


 強がってみせたが、内心では目の前の化け物が恐ろしかった。肩に置いた円形の標識が処刑台のギロチンのように思えた。


「その空威張り、すぐにたたっ斬ってやろうッ!」


 どう足掻いても発動しない。諦めかけたその時だった。


「サトル、仰向けになれ!」


 背後から頼もしい声が響いた。言われるままにすると、身体がバネのように跳ね宙に浮いて、鬼を軽々と飛び越した。


「ヤツの背中だ、やれ!」


 着地による足の痺れを堪え、振り返って一歩踏み出し、白刃を振り下ろした。


いてえッ! 俺が斬られただと!?」


 かすかに手ごたえはあったが、傷口は見当たらない。鬼も素早くサトルの方へ振り返って、ギリギリでサトルの攻撃を回避し、致命傷は避けた。


「……キサマの能力とその剣、侮ってはならんようだな。反省しよう」


 鬼の表情に余裕がなくなった。サトルは後ずさりして、距離を置いた。雑居ビルがサトルの行く手を阻む。


「バク、次の手は?」


「わかってるくせに」


「ここはやっぱり――」


「「逃げの一手だ!」」


「みすみす逃すかッ! 声の主諸共、ぶった斬ってやるッ!」


 鬼は鬱憤を晴らすように迫り来る。


「といっても、どこに?」


「このビルの屋上だ」


「空を飛べってか!?」


「成功のイメージするんだ、キミなら出来るッ! ワタシとキミ自身を信じろッ!」


「ようし、わかった!」


 充分に引きつけて――


「さあ、跳べ!」


 バクの合図で中腰の姿勢から跳ぶと、ありえないスピードで地面が遠ざかった。空に落ちているようだ。声を出す間もないまま、雑居ビルの屋上に着地した。


「バッタの能力か……。すげえや」


「生命の可能性だ。チカラになる命に感謝するんだな」


「ああ、感謝しきれない」


「大体、キミは能力を使い過ぎだっ。一時的に回復したからよかったがな」


「次は同じ轍は踏まない!」


 サトルは目下の鬼の様子をうかがった。鬼はビルの外壁に刺さった標識を抜こうとしているようだった。それは鬼の持つ腕力の恐ろしさの証左だ。


 チカラを共有してない今、心は恐怖に支配されてしまった。本当の心の強さなどなかったのだ。バクや能力の源となる命に頼らなければ戦えない、カタキすら討てない、なによりもちっぽけな存在だ。


「……ひとりじゃなにも戦えないな」


「なんだいまさら」


「やっぱオレが浅はかだった。今日は逃げよう」


「肝が冷えたか? まあ同意だ。ミイラ取りがミイラになる前にな」


 そう思っても、この屋上からどう逃げるか考える必要がある。恐ろしいあの鬼を見下しながら思考を巡らせると、抜けた得物を握りしめて、サトルを見て笑った。


「なんだあいつは……不気味だ」


「透明のチカラで近づく気か?」


 バクの予想は大きく外れる。


 鬼は標識をビルの外壁に刺し、腕に体重を乗せ身体を持ち上げた。


「すぐ抜いて、また刺した……まさかッ!」


「ワタシも慢心していた……」


 鬼は標識を抜いてはまた刺す。それを繰り返し、車輪が回るように回転しながら直角にそそり立つビルを登りきった。目の前に鬼が現れた。小さな屋上に、逃げ場などない。


「これはこれは、久しぶりだなァ。殺したかったぜ? 心から」


「……オレもだよ」


「白々しいなァ、逃げたいクセに。赤目はどうした? もうくじけたか?」


「誰がッ!」


 サトルは呪痕を発現させた。


「いいぞッ! じゃあ死ねッ!」


 鬼はなんの迷いもなく、拳を岩のように固め真っ直ぐ突いてくる。


 サトルは再び視界をスローモーションにした。どこへ来るかはすぐ分かる。避けるには何の問題もない。


「大した動体視力だ。いや、それとも? ……試してみようかねェ」


 大きな独り言をサトルに言い聞かせ、再び拳を握りしめた。当然、サトルはソレを発動させる。だが、視界に入る拳はピクリと動かなかった。


「サトル! 下がれッ!」


「え――」


「ククク……やった! 俺だって殺れるんだッ!」


 突如、世界が歪んだ。鬼が何をしていたのか、バクの警告と全身の痛みを以って理解した。


 鬼は、わざとゆっくり拳を突き出していた。スローの能力が見破られたのかは不明だが、屋上の入り口まで吹き飛ばされたこの現状が真実だ。瀕死の今は、生きるコトしか考えられない。


「白々しいウソを吐く口に赤い血が混じって紅白になったぞ! こいつはめでたいめでたい!」


 身体が熱い。息が荒い。嫌な汗が噴き出る。視界の色も失せてきた。吐き気も催す。恐怖が世界の全てを埋め尽くした。


「おまえの墓前に流れ出た血で炊いた赤飯でも供えてやるからよォ、安心して死ねよなあ!」


 鬼は今日一番の笑顔で得物をかざした。一時停止の標識が鋭く光る。死にたくない。しかしそれも諦め、目をつむった直後だった。


「なんだコイツ等は!?」


 鬼は驚愕の一声をあげた。サトルは顔を上げると、鬼の周りで複数の黒いシルエットが踊っているように見えた。それはあの三羽カラスだった。


「ええい、うっとうしい!」


「オレに……構うな」


 カラス達は一心不乱にクチバシでつつき、飛んでかく乱させる。効果的な戦法であった。


 しかし、あの暴力的な腕がほんのかすめただけで、カラスたちは空を奪われた。標識を捨て振り回した腕に当たると、並んで痛々しく地面に転がった。


「どうしてカラスがニンゲンをかばう? こいつの能力が関係しているのか? ……気に食わないなッ!」


 サトルへ向けて、感情のままに拳をぶち込もうとしていた。


「死をもって、もう奇跡が起きないコトを知れッ!」


 瞬間、鬼は拳をゆるめ、ふと空を見上げた。いつの間にか星が見えなくなっていた。


「夜が明けるか……。くそッ、気に入らん! いいか、いつかキサマの大事な者を全て奪ってやる。草葉の陰から爪でもかじって見ていろバーカッ!」


 鬼は吐き捨てて、ビルの屋上から屋上へ跳んではまた跳んで、姿を消した。しつこく粘着した鬼の去り際は実にあっけなかった。


「みんな……大丈夫か……?」


「キミはまず自分の心配をしろ。じっとしてろよ」


「うっ……痛え」


「あらゆる生物の治癒力を分ける。だから死なない以外はかすり傷さ。痛みは多少残るだろうがね」


 傷から煙のような気体がもくもくと空に昇っていく。するとすぐに傷は塞がり、折れたであろう骨は完全にくっついた。


「みんな! 大丈夫か!」


 サトルは引きずる痛みを無視し、すぐにうなだれたカラス達の元へ駆け寄った。小刻みに震えているが、眼光は鋭かった。


「こんな時にギルがいれば……」


「ワタシには彼らの言いたいコトがわかるぞ。オレたちを喰えとな」


「なんだとッ!?」


「長くないのは彼らがよくわかっている。キミも見れば分かるだろう」


「でも!」


 カラスたちサトルの目をはジッと見つめている。それはどんな形であれ、死を覚悟しているようだった。それを見てサトルも覚悟した。


「……オレを助けてくれてありがとう。この恩とみんなのコトは絶対に忘れない。そして、救われたこの命を無駄にしないことをみんなに誓う」


 カラス達に背を向けた。


「みんなの命を――」


「「いただきます」」


 日が昇った。夜の闇は太陽に遠ざけられ、街は光に包まれた。小鳥のさえずり、道を往く車、仕事を終えた街灯。ここにいつもの一日が始まった。


 燃えるような朝焼けは、涙でにじんで見えた。

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