鬼は闇に溶け込む①

 この日の夜は中々寝付けそうになかった。サトルはスマホで時刻を確認すると、ベッドに潜ってから既に1時間が経過していた。

 

 まだ外には雨が降り注いでいる。それは怒号のように何度も耳に響くが、眠れない原因はこれだけではない。

 

 コウに謝ろう。しかしなんて言えばいいのか、そもそも再び逢えるのだろうか。心の奥底で望んでいた奇跡を無下にしたコトを悔んでいた。

 

 またしばらくしてギュッと目をつむると、だんだん眠気がやってきた。これを逃すまいと思ったのもつかの間、サトルは眠りに落ちた。

 

「――聞こえますか」

 

 が、男の声が聞こえる。夢にしてははっきりとしていて、それに聞き覚えのある声だ。

 

「聞こえますか、禅院サトル」

 

 それは桜の空妖に取り憑いている又兵衛の声にそっくりだった。あの時のように姿が視えない。暗闇に声だけが響いていた。

 

「なんの用だ……? こんな時間に」

 

「お伝えします。鬼です。鬼があなたの住む町に現れましたが――」

 

「なッ! どこにいる!?」

 

「挑むつもりでしたら、やめた方がいいです。某が守護天狗しゅごてんぐを呼ぶので、遠くから見ているといいでしょう」

 

「関係ない! 教えてくれ!」

 

「……そこまで言うのなら止めはしません。ソイツは今、大きな石の道の脇を歩いて、道を跨ぐ橋も見える」

 

「来たか……ッ!」

 

 夕方にコウと出逢った魔の交差点のコトを言っているはずだ。加害者は現場に戻ってくる、というヤツだろうか。

 

「ヤツの特徴は?」

 

「はい。ヤツは神出鬼没。影を消し、音すら発さず現れる姑息な輩です。きっとですが、異能(チカラ)は『透明』になるコトでしょう」

 

「透明……。よくわかった」

 

「では、目を開けて下さい。危険を感じたら、すぐに退くのですよ」

 

「絶対に、絶対に倒してみせる――」




 

 突然あふれ出した光に包まれ気がつくと、天井を見上げていた。カーテンの向こうはまだ暗い。時刻を確認すると午前2時、丑三つ時である。

 

「ん、寝つけないのか? ……と、なにかイヤな雰囲気がするな」

 

 バクがいつもの調子で言った。


「行くのか、サトル」

 

「当然、当たり前……。行くぞ、鬼退治の時間だッ!」

 

 サトルは呪痕を発現させた。過去へと辿る赤い傷跡、それは恐怖を振り払ってくれる。だが、サトルを動かすものは勇気などといった崇高な感情ではない。鉄のように冷たく熱い意志だ。

 

 これが鈍く輝く限り、痛みの恐怖をなんとも思わずにいられる。あるのは現在だけ。過去も未来も眼中にない。ただ目的を成すために、サトルは家を出た。

 

 又兵衛の言うコトが正しければ目途はついている。そこへ急げばいいだけだが、眠った町は夜風に晒され、ざわついていた。

 

「サトル、くるぞ」


「そうみたいだな」

 

 頭上に吹く風を遮るなにかが空から一直線に来る。すごいスピードだ。サトルは身構えた。

 

「ンだこのヤな感じはよお! たまらず起きちまったぜ」

 

 飛んできた真っ黒い影は、あの三羽カラスであった。サトルはひとまず安心した。彼らの声が分かるとなると、ギルも近くにいるはずだ。その証拠に掌に肉球の痕がある。

 

「みんなも感じるのか」

 

「おめーが赤目になってるってんなら、ただ事じゃねえみてえだな」

 

 三羽は電線に止まった。

 

「実は――」サトルは鬼が現れたことを話した。

 

「剛力、非道、卑怯とくるか」

「こんなご時世に鬼ねえ。んじゃあカラスらしく物見遊山と洒落込むか」

「そういうワケだぜ! カッカー!」

 

「気楽に考えやがってよ。見つかるんじゃねえぞ」

 

「――待てサトル!」

 

 焦燥感に駆られ、暗がりから走って来たのはギルだ。顔の脂肪がゆらりゆらりと弾んでいる。

 

「その顔が急に出てくるとビビるぜ」

 

「そんなコト言える場合ではなかろうが! そいつに勝算はあるのか!」

 

「さあな」

 

「そうだろう!? そうとわかって、なぜ挑もうとする!」

 

「犠牲者がもっと増えたらどうする」


「それは建前だな、サトル」


 背中から横やりが入った。


「復讐心からだろう?」

 

 バクが訊いたコトは、あながち間違いではない。サトルがやろうとしているのは、言うなればコウの復讐の代行だ。恨みの元凶である空妖くうよう――鬼を倒せばそれを忘れ、旅立てると思ったからだ。

 

「後悔はしたくない」

 

「この……。もう好きにせい! 」

 

「そこまで言ってくれんなら加勢してくれよな」

 

「危険すぎるし、お前さんの問題に踏み込む気はないわ!」

 

「そりゃ違いないな。それじゃあ!」

 

 サトルは後腐れの残らないように、振り向かず鬼の居場所へと向かった。三羽カラスも飛んでついてきた。

 

 息を切らしながら走った。ひたすら走った。どれくらい経過しただろうか、魔の交差点へと辿り着いた。

 

「さあ、どこから現れるかな?」

 

 鬼はまだ留まっているのかも、チカラを使っているのかも定かでない。探し当てるのは絶望的だ。そんなのは回りくどく、ただ面倒くさい。だから誘い込めばいい。不発弾を抱えるような危険を孕むが。

 

「バク、頼むぞ」

 

 普通の人間であれば、だ。サトルはバクとのチカラの共有を解除した。

 

「……においがする。血腥いな」


「どこから」


「うしろから。おっと、ワタシから見てな」


「つまり……なんだ、オレの真正面か。ややこしい」


「近づいてきているぞ。怖いか?」


「ウズウズしてるよ」


「よし、上等だ」

 

 ジッと動かず、今は心構えだけ準備していればいい。都合のいいエサを的にヤツは確実に向かってきているはずだ。姿を現さず、安全に、的確に。

 

「バレないよう充分に、充分に引きつけろよ――今だッ!」


「喰らえ!」

 

 サトルは再び能力を借りると、目の前の虚空に両手の十指を突き出し、そこから白い糸束を放出した。すると、一見なにもない空間に糸に絡まる。

 

「よし、どうだ!」

 

 勢い余ったソレは地面に転がった。

 

「痛ってえなあ! この畜生めッ!」

 

 透明のソレは捨て言葉を吐いてもがいている。クモの糸を何重にも束ねた縄に縛られたのだ。獲物を捕らえるのに特化したクモ糸なら、そう簡単に逃れないだろう。


 今こそ攻撃のチャンスだ。サトルはすぐさま駆け寄り、バクの口から剣を抜こうとした瞬間――


「邪魔くせえッ!」


 地面に転がったソレは激語すると、縛った縄が破裂するように弾けた。


「ウソだろ……クモの糸を」


 サトルは驚き立ち止まった。

 

「鬼の怪力がこれほどまでとはな。これは……骨が折れるな、サトル」

 

「ったくよお、おっかなびっくりだよなァ、オイ」

 

 透明の能力を解除し、ゆっくりと、ゆっくりと立ち上がって振り向いた。街灯に照らされてソイツの姿が明らかになった。


 殺気立った鋭い瞳を持ち、不気味な余裕を醸しだす恐ろしい顔。その額には、小さなツノが二本生えていた。

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