人面犬を追え!③

 帰宅途中にゴミ拾いをしていただけなのに、いつの間にか空妖――人面犬を追いかけ、挙句の果てには決闘を申し込まれた。


 偶然の出会いは、しかし必定なのか。不可視の縁に操られ、怪奇なモノと相寄る宿命。禅院の呪いは根深いものとサトルは感じた。

 

「行くぞ……」

 

 宣言通りに正面切って人面犬がサトルを目がけて突進してきた。これに蹴り上げて反撃を試みるが、人面犬は予測していたように躱して、脛に体当たりをかました。


 バランスを崩したサトルは思うがままに背中から倒れた。

 

「喉笛噛みちぎって、その息の根を止めてやるッ!」


「やってみろよッ!」

 

 私憤のこもったその牙に、サトルは先刻拾った空きカンをバクから取り出して、容赦なく口に突っ込んだ。ギャアと、人面犬の取り巻きのカラス達が驚いたようだった。

 

「白昼堂々、おっかないコトを喚けるモンだ」


「まったく、ワタシにいきなり手を突っ込むとは。口内炎が悪化するじゃないか」


「口内炎ッ!?」


「冗談だよ」

 

 軽口を叩くふたりだったが、余裕というワケではない。耳障りなトゲトゲしい音が眼前でなった。空き缶を持つ指の感触も沈む。まさかと思い持ち手を見ると、人面犬が空きカンを噛みちぎり、歪な風穴が空いた。

 

「なんてアゴの力だ。あのカンがオレの手だったら……」


 慌てて手を離した。

 

「青ざめたか? しかし、この牙で貫けばもっと青白く冷たくなるんじゃろうがのう」

 

 人面犬は空き缶を吐き出して、ニヤリと笑った。

 

「さあ、どうする! ワシの恐ろしさは十分伝わったはずじゃ、まだやる気はあるか!」

 

「これは大ケガ必至だぞ。霊剣を使うってのはどうだ、サトル」

 

 バクの提案にはふたつ返事で頷けなかった。サトルには人面犬の言動に違和感があった。

 

「いや、斬らない。かと言って退くつもりもない」


「ほう」

 

「なんじゃと? 舐め腐りよってキサマ、本気を出すつもりはあるのか!」

 

「おまえだって本気じゃねえだろ!」

 

 サトルの一喝に人面犬はたじろいだ。

 

「マジで殺る気なら警告なんてする意味がないし、殺ったとしてもなんであの路地でやらなかったって思う。なんせゴミに記載されてた賞味期限が二か月前なんだからな。絶好の殺害ポイントだったのに、それでも及ばなかったのは理由があるはずだ」

 

「キサマには関係ないわ!」

 

「わからないか? 出会った時点でもう無関係じゃいられないんだよッ!」


「うるさい、うるさい!」

 

 サトルは人面犬に体当たりをぶちかまされ、また倒れた。

 

「また排斥されるくらいなら、を破っても構わんじゃろう! 覚悟せい!」

 

 空きカンのように、喉に風穴を空けられ無残な姿には――ならなかった。

 

「むぐッ!?」

 

 幼いころ、この空地で友達とキャッチボールをしていたサトルにはわかっていた。暴投で紛失してもいいように、茂みにボールを用意しておく奇妙な暗黙のルールがある事を。

 

「その言いつけってのが、逃げた理由だな」

 

 人面犬は徐々にアゴに力を加えているのが、持っているボールを通じて伝わる。じきにボールが潰れるのはわかっていても、サトルは引かなかった。


「軟式のボールくらい余裕だろ。さあ、答えてもらうぜ」

 

 やがて観念したのか、人面犬は変形しそうなボールを吐き捨てて俯いた。

 

「ワシにはな、ワシにはなあ……」

 

「おう、洗いざらい言ってみろ」

 

「この町に、好きなオンナがいるんじゃあッ!」

 

「……はぁ?」

 

 あまりにも予想外の返答だった。当の人面犬は梅干しを食べたような顔をして悔しがっている。どうやら本当の気持ちらしい。

 

「あーその、なんだ、というと……えーっと、メス犬?」

 

「メス犬じゃと!? 確かにそうだが言葉を選ぶんだな、この野蛮で粗暴なヤツめ!」

 

「面倒だな!」

 

「ああもう、こんなハズでは……。見つかったうえに言ってしまった。今わの際じゃ……。おまえを殺してワシも死ぬッ!」

 

「結局そうなんのかよ!」


「なるほど、これが『恥ずか死』……勉強になる」


「バクはこんなのを学ばなくていいからな!」

 

 屈んだ身体を狙ってわき目もふらず、人面犬は捨て身の突進をブチかました。これまではやはり手加減していたようで、威力はまるで違った。

 

「うおあああああーッ!」

 

 万感の咆哮と共に向かってくる牙。力のこもった敵愾心からはむせかえる程の死の予感が、尻もちをついた身体に突き刺さる。


 本気だ。この人面犬は本気で殺そうとしている。だからこそ、今こそ勇気を振り絞る時なのだ――!

 

「人面犬、おまえも覚悟しとけよ。悶え苦しむ準備を。……やりたかないが、やるしかないッ!」

 

 バクのチカラを借りて、サトルは目を見開いた。すると、人面犬の動きはスローモーションになった。予測は簡単につく。

 

「射程圏内だぜ……くらえッ!」

 

 一定まで引きつけると、覚悟を決めた。目は背けない。今、ここで撃つ。口を十分に湿らせ、そして――

 

「ペッッッ!」

 

 人面犬を目がけ、文字通り天に向かって唾を吐いた。山なりに飛び弧を描いたソレは、物の見事に人面犬の鼻頭に直撃した。

 

「んがあああぁぁぁッ!?」

 

 飛びつく直前に走るのをやめ、横になり短い前足で鼻を押さえている。

 

「その反応、曲がりなりにもイヌなだけあるな。どうだ、びっくりしただろ。目は醒めたか? ちなみにこれはカメムシの臭いだぜ」

 

 おかげで口の中も思いっきり青臭くなった。恐らく、口臭防止のうがい薬を一本丸々飲み干そうが、これは消えないだろう。しかし後悔はなかった。

 

「くさい、くさい……。どうなのだ人として!」


 涙目でもがいている。

 

「聞いて心変わりしたよ。オレはおまえを追い出すつもりはない。悪いヤツじゃないみたいだしな。だから化けモン同士、互いに協力しよう」

 

「協力……裏切りはしないだろうな」

 

「もちろんだ。約束も町も守らなきゃな、人としてよ」

 

「都合のいい奴じゃ。よくクサいセリフを言える……」

 

「口ん中もクサいけどな。あ、バク、もうチカラの共有はいいや」


「フフ、いい戦いっぷりだったぞ」

 

 バクに声をかけると、左目の熱は一瞬にして冷め、高揚していた闘志も鎮火した。

 

 立ち上がってふと公園の入り口に振り向くと、小さな子供がふたりいた。兄妹だろうか。遠目ながらも訝しんでいる様子が窺える。

 

「じゃあ、またな。町が起き始めた。バレないようにしろよ」

 

「キサマもな。……感謝する」

 

 手を振って別れ、入口に向かった。


 この休日はかなり疲れた、とサトルは思った。宿命を背負い生きるのは酷だが、ああやって礼を言われるのも悪くない。そんなコトも思いながら、子供達の前を横切ると――

 

「くッッッさ」

 

 純粋で無慈悲な一声が飛び出した。

 

「ホントだー。おにいちゃん、ここで遊ぶのやめよ」

 

「うん」

 

 短いやりとりをした後、すぐに去ってしまった。二人の去り際の汚物を見るような視線が、いちいち胸に突き刺さった。

 

「ハハ……、サイコーの休日だ」

 

「そうため息をつくな、サトル。キミは立派だったぞ。……うわくッさ」

 

「おめえの能力だろうがよ! やっぱりこんな能力嫌だぁー!」


 やはり、待ち受ける宿命は過酷なようだ。

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