人面犬を追え!②

「くそっ、さすが人面犬。イヌなだけあって速いな」

 

 人面犬を追いかけるサトルは、来た路地を引き返していた。

 

「サトル、もっと速く走れないのか。なにをやらかすかわからないぞ」

 

「そうしたいのは山々だけどな!」

 

 ゆっくり歩くぶんには気にならなかったが、走るとなると、この狭さに苦戦を強いられる。特に室外機が邪魔だ。対して人面犬はこの程度の狭さなど気にも止めずに駆け、とっくにこの路地から抜けていた。

 

「光だ。よし、オレたちも出るぞ」

 

 続いてサトル達も外へ飛び出た。つい今まで浴びていた太陽の光が目を突き刺す。

 

「どこへ行った、アイツ!」

 

 眩む目をまばたきして左右を見渡し探していると、人面犬は遠くにいた。立ち止まって空を見上げている。口を開けているようにも見えるが、考えているヒマはない。

 

「待てッ!」

 

 重い身体にムチを打って追いかけると、すぐに人面犬も気づき、閑静な町中を駆けだした。

 

 どんどん小さくなる影を追いかけると、別の影が覆った。足を動かしながら見上げると、カラスが数羽頭上を飛んでいた。なにかを咥えているのが見えたが、サトルは無視した。

 

「なにか不吉な感じだな」

 

「気のせいだろ――ぁいてッ!」

 

 頭に硬く小さなものが落ちた。軽やかな音で地面に落ちたそれはクルミだった。命中したからか、頭上ではカラス達が嬉しそうに鳴きながらグルグル周りを飛んでいる。

 

「あいつらめ。降りてきたらとっちめてやるっ」

 

「降りるワケなかろうに……。構ってないで、前、前」

 

 また走り出そうとすると、影がぴったりと着いてくる。急にイヤな予感がしたので、ピタッと急ブレーキを掛けた。予想通りすぐ目の前に白い軌跡が流星の如く直線を描き、ペタッと音を立て着地した。

 

「あっ危ねえ……。なんてばっちいヤツらだッ!」

 

「一羽だけじゃない。また来るぞ!」

 

 怒り気味のサトルはバクの一声で我に返ったが、そうした頃にはもう遅い。見上げると、もぞもぞと黒い身体を動かしていた。

 

「やれやれ、敵わんな。呪継者じゅけいしゃの禅院サトル。ワタシのチカラをうまく使いこなせよッ!」

 

 バクが珍しく語気を強めると、サトルの視界に変化が起きた。決して普通ではないコトが。

 

「うッ! これはッ!?」

 

 突然、サトルの視界がスローモーションになった。自身の動きが、落ちてくるソレが、世界の全てが遅い。戸惑いながらも楽々と避けられた。交通事故の直前などに人はそう錯覚するらしい。それに比べれば大げさだが、これも『呪い』の影響だろうか。

 

 そう考えてると、

 

「フフ、どうだ。呪いのチカラは」


 バクが心から安堵したように言った。

 

「今の、バクのチカラなのか……?」

 

「ワタシたち空妖ってのは、ニンゲンと異能を共有するコトができるんだ。つまり、今のはワタシのチカラであり、ワタシが食べた生物のチカラだ。感謝するんだな」

 

 バクの異能力は喰った生物の『生態コピー』だ。考えると合点がいった。今のスローモーション現象はハエの生態だ。恐らく、それで間違いない。

 

「すごい……。思ったよりすごいぞ、バクの能力!」

 

「フフ、よせやい。顔から火がでる……っておいおい、見失うなよ」

 

 手放し褒めている場合ではない。見渡しても、なんの影もなかった。

 

「見失った、これはヤバいかも……」

 

「ふむ、こんなときこそ」

 

「――そうだ! バク、チカラを貸してくれ」

 

「そう、そう言いたかったんだ」

 

 つい今までは気にしていなかったが、左目がほのかに熱くなった。もしやと思い、スマホを取り出して暗転している画面を鏡代わりにすると、そこにはあの赤い傷跡が――呪痕じゅこんが浮かび上がっていた。

 

 どうやら、バクの異能を共有して貰うとこれが現れるらしい。昨日の試練を超えなければあの激痛が襲うのだろうかと思うと、サトルはゾッとした。

 

「ボケっとするなよ。こうなったら、しらみつぶしに探すしか」

 

「いや、バク。待っててくれよな」

 

 サトルはハエの能力に期待を託し、周囲を嗅いだ。すると、様々なにおいが鼻をつんざいた。排気ガスや室外機など、身近な文明の空気が求めるモノをお構いなしに阻害するが、集中して感覚を研ぎ澄ます。

 

「なにしてるんだ?」

 

「見たんだよ、オレ。アイツがさっきバクの吐いた唾を踏んだのを」

 

「ははあ、なるほどな。そのカメムシの臭いを追えば辿りつくってコトか」

 

「そういうコト。……ん、クサいのが遠ざかるぞ。これクサいな!」

 

「意外と機転が利くじゃないか。さあ、手を擦り合わせてないで行こう」

 

「ウソ、無意識だった……。まんまハエじゃん! オレさイヤだぜ、『ザ・フライ』のブランドル博士みたいになったらよお〜ッ!」


「もしかしたら、あの人面犬みたいになるかもな。中途半端なカンジ」


「ああ、それサイコー!」


「ジョークだよ。そうはならない」


「そりゃよかった!」

 

 再び走り出すと、上空のカラス達が勢いを増して喚きだした。晴れわたる青空には似合わない不気味が町に響く。怒っているのか警告か、はたまた気に食わないだけか。

 

「オレがなにしたってんだ。ただゴミを拾ってただけなのに!」

 

「それじゃないか、多分。もしかしてエサを探しているのをキレイにされたからしつこく追ってるとか?」

 

「じゃあ、ダメ元で謝ってみるか?」

 

 また立ち止まり、話しても伝わらないと考えたため、手を合わせて頭を下げ一声。

 

「せっかく散らかしたのにキレイにしてすいませんでしたッ!」

 

 どうして謝らねばならないのかと思わず自問自答してしまった。バクが笑いをこらえている姿が目に浮かぶ。

 

 しかし、意外にもカラスは黙って電線に止まった。

 

「あれえ、まさか当たり? やってみるモンだなあ!」

 

 走ろうとしたその一歩に、カラス達は羽ばたいた。二歩目、三歩目に喚きだした。歩幅を広げると急降下して――サトルを目がけてついばんできた!

 

「いたたッ! なんで! わかったよもう、これやるからやめろッ!」

 

 決死の思いでサトルはポケットに入っていた麩菓子の包みを破り、なるべく遠くに投げた。カラス達はそれに釣られ、離れていった。

 

「ばあちゃん、麩菓子ありがとう。よし、この隙に……」


 走りながらスマホを弄りだした。

 

「町中で走りスマホだなんて危険極まりないぞ」

 

「空妖にモラル問われるとはな! 時と場合によっちゃ話は別だ!」

 

 注意されてもそれを受け入れれば、カラス達の餌食になるだけだ。若干の後ろめたさを感じながら振り向くと、黒い塊が水平に飛んできた。

 

「来たな……」


 充分に引きつけてからタイミングを見計らい――

 

「今だッ!」

 

 スマホの音量を最大にして、爆竹の音声を再生した!

 

 叫びにも似た鳴き声を上げ、カラスたちはその場を一目散に逃げ去った。

 

「ほら見ろ、びっくりしただろー。オレを舐めるからこうなるんだぞー?」

 

「やるじゃないか。カラス相手に勝ち誇るのはどうかと思うが」

 

「アイツの臭いは――止まったな。それも結構近くだ」

 

 時には近隣の迷惑を省みない図太さも重要だと、そう思えるのは呪痕が現れているからだろうか。昨日の夢でコレが現れた時もそうだった。

 

 躊躇や狼狽、そんな後ろ向きの感情を喰らいつくし、強くなれた気がした。それが逆に恐ろしいと感じても、その畏怖の感情すら、すぐ使命感に飲み込まれていく。人面犬を止めるという使命感に。

 

「予想はついてるのか?」

 

「まあ。絶対とは言えないけどな」

 

 サトルはこの近くに小さな児童公園があるコトを知っていた。小さい頃によく遊んでいた公園だ。


 そこに辿りつくと、まず周りを見渡した。塗装が剥がれかけたシーソーやチェーンが所々錆びついているブランコなど、かつて遊び倒した遊具たちが年を取っていたが、郷愁は感じない。

 

「ここの近くのはずなんだ。バクも探してくれよ」

 

「人がいなくて良かったな、化け物呼ばわりされなくて済む」

 

 バクの言う通り、無人なのは幸運だった。顔を見られたら左目の呪痕が、背中にはバクが。世間からの八方塞がりに、どうやら正真正銘の化け物になってきているようだ。

 

「仕方ない。毒を以って毒を制する、だぜ」


「フフ、劇薬すぎるかもな」


「ええい、よもやここまでしつこく追って来るとはの……」 

 

 バクの後から観念したかのような声が聞こえてくると、手入れの届いていない茂みから人面犬が現れた。眉間にシワを寄せ、恨めしくにらみつけている。その表情はあまりにも人間的だった。

 

「カラス共め。足止めにもならんかったではないか」

 

「おまえが指示を出してたのか!」

 

「そうじゃ。このワシの『会話』のチカラでな」

 

 人面犬は天に吠えると、それに呼応してカラスが飛んできた。さっきのカラスと数が一緒だ。


「餌を探すのを条件に手伝って貰っていたが、この体たらくではな」

 

 人面犬が毒づくと、反論するようにカラス達が一斉に喚き始めた。

 

「失敗したキサマらの言いぶんなぞ聞きたくないわ。――なに、ワシがヤツと戦えだと? ふん、ハナからそのつもりじゃ」

 

 不敵に笑い、サトルをにらみつけた。

 

「おい、ワシと勝負しろ、人間……いや、化け物か?」

 

「今はそんなコトはどうでもいい。バク、チカラを借りるぞ」

 

「フフ、ケンカの特等席だな」

 

「覚悟は決まったようじゃな」

 

 人面犬は決闘の場をたるんだ顎で奥へ促した。そこは、遊具など何もない空地だ。ケンカをするならうってつけだろう。双方、距離を保ってそこへ移動した。

 

「ここまで来たのなら、ワシはキサマを殺すつもりでいる。尻尾を巻いて引き返すのなら今の内だが?」

 

「この町の人間としてここの安寧を、お前は居場所を。お互い大事なモン賭けてんだ、ここで退くのはカッコ悪いよなあ!」

 

 左目が熱い。だが心地よい熱さだ。よく闘志とは炎に例えられるが、あながち間違いではないのかもしれない。

 

「守るための戦いか……。ならば容赦はせんぞッ! 他でもないワシのためにッ!」

 

 住宅街の片隅の公園に人知れず、小さな戦いの火蓋が切って落とされた――!

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