人面犬を追え!①
「ふいーっ、やっぱウチからじいちゃん家までは遠いな」
祖父の家から帰路につくため、再びバスの長旅を終えると、商店街前のバス停でうんと伸びをした。昨日予想していた通り筋肉痛が生じた。
「いてて……、早く帰るか」
始発で帰った休日の早朝はやはりというべきか、人はいない。晴れやかな空の下、安心したサトルは一人鼻歌交じりに自宅へ向かう。包帯を巻いた薄い板を抱きながら。
「しかし邪魔だな、コレ。武器なんてサッと出せなきゃ意味ないのに、なんでこんな形なんだよ……」
霊剣・
「バク。車酔いは平気か?」
「寝てたから平気だ」
「よかった。酔い止めはいらないか」
「おや、キミが持っているのはあの霊剣か。なんで包帯を?」
「誤チェスト防止のためだよ、空妖や霊だけを斬れるらしいからな」
「おお、怖いこわい。手足がすくむようだ」
「手足もないくせに、よく言うよ」
「なあ、邪魔くさいんだろ、その剣。ワタシの中にしまっておけば?」
「おいおい、気持ちはうれしいけどさ。しまうってのは取り出し可能のときに使うモンだろ。それに刀身が露わになってなくても不安だし」
「飲み込むワケがあるか。それに刃が出てないなら問題ない。出し方は想像つくだろう。ワタシは口の姿の空妖なんだから」
「……まあ。じゃあ、いいんだな? こんなナリでも大事な武器らしいから、しっかり持っててくれよな」
「了解、了解」
バクに預けるため、鏡花旅楽を自分の背中に刺しこむと不思議な感触がした。まるで、それが底なし沼に沈んでいくようだった。
完全に手から柄の感触がなくなってからうしろを振り向くと、そこにはなにも落ちていない。身体が重くなった感覚もない。
「収納完了、ワタシも無事。キッチリと巻けていたようだな、包帯」
「す、すごいぞ。これがバクのか? 収納するチカラ!」
「ノー。そんなモンじゃない。教えてほしいか? なあ」
「教えて、教え……ん?」
何気なく商店街を覗くと、地面にはプラスチックの包装が点々と散らばっていた。パンの包装、空のカップラーメンの容器など、そのほとんどが食べ物のゴミだ。
「こりゃひどいな。カラスの仕業かな?」
「このご時世、プラスチックのゴミが散乱してるのを見ると心が痛むな。キミ、どうだ、こんなときこそ地域貢献じゃないか。キミの内申も上がるコト間違いなしだ」
「どっからそんな言葉を!? ……つっても、ゴミ袋とか無いしな」
「ならワタシに入れればいい。溜めてゴミ箱に吐き出せばいいだけのコトだからな」
「いいの?」
「これもキミの将来のためだよ、サトルくん」
「……よし、そう言ってくれるなら。この街を清潔にいたしましょう!」
サトルは散らばっているゴミを片っ端から拾っては背中に投げ入れた。しゃがむのも拾う動作にも痛みが生じるが、意地になって拾い続けた。
「やっぱり痛い! 筋肉痛って動かせば早く治るってマジなのかよ……ってあれ?」
気がつけば、薄暗く狭い路地にいた。拾っているうちに路地に吸い寄られたようだ。まだゴミの道は直線を描いている。
「これ以上進むのは怖いな。まあとりあえず、こんなモンかな」
踵を返し、家に帰ろうとした瞬間だった。
――アオォーン……
たしかに遠吠えが聞こえた。野犬だろうか。それに呼ばれるように、複数の羽音が頭上を通り過ぎた。行先はこの奥に違いない。
「ヤバそうな雰囲気だ、こりゃ」
「追っ払わないのか?」
「野犬だったらヤバいだろ。こう、気性の荒さとか病気とか」
「だったら、ワタシのチカラを貸してやろう。収納じゃないぞ。そう、
「じゃあ見せてくれよ。バクの真のチカラを!」
「いいだろう。今ここに、目にもの見せよう我が力!」
やけにリズミカルに謳ってみせた。サトルはゴクリと固唾を飲んでその時を待つ。
「サトル、見てろ、見てろよ! かぁぁぁーーッ! ペッッッ!」
ペトリ、と音がした。
「……おい、これってさあ」
「ああ、ツバを吐いた。だが、ただのソレではない。においを嗅いでみな」
サトルは訝しみながら、しゃがんでソレを嗅いだ。
「うっ! これはッ!」
サトルはこのにおいに馴染みがあった。青臭さと人への悪意を一点に凝縮したそれは、いつの間にか部屋に忍び込み、発見されたら最後っ屁をまき散らすアイツの――カメムシの臭いだ。
「まさかとは思うが、これがお前の能力なのか……?」
「そうだが、違うともいえる。つまりだな、ワタシの能力は生き物を喰らい、それの特性を使えるんだ。いうなれば『生態のコピー』だな」
「じゃあ、カメムシを喰ったからこんなのを出せたのか。……ていうか、いつの間に喰った?」
「キミがゴミ拾ってるとき。背中に付いてたぞ」
「ウソッ!? なんか聞きたくないこと聞いたな……」
「あと、ハエも喰ったからこんな音も出せる」
自信に満ちたふうに言うと、やはり背後から、不快が重低音の震えがした。近さもあって、頭の中を飛んでいるようだ。
「――というワケだ。まあ大口に乗ったつもりで頼ってもいいぞ」
「いや頼れねえよッ!」
路地から出ようとしたとき、また遠吠えがした。
「もしも狂暴なわんこだったら、街の人が傷つくかもしれない。無論、キミの数少ない友達もな。いやあ、胸が痛むよ。ワタシに胸はないけど」
「……ああ、わかった。行くよ。だから手を借りるぞ」
「フフ、五臓六腑を勇気で満せッ」
仮に野犬であれば、役所に連絡すればいいのだ。怖いコトはない。そう怯える心に言い聞かせながら進んでいく。恐らく向こうのヤツも、落ちているゴミを踏みしめる音で気付いていハズだ。
「気配がある。サトル、この先の曲がり角だ」
バクがささやいた。サトルはしゃがみ込み、角からチラリと覗いた。
そこには案の定というべきか、野犬が倒れているゴミ箱を下品に漁っていた。後ろ姿からでも分かるくらいの肥満っぷりだ。町の役場に連絡しようとポケットからスマホを取り出そうとした瞬間――
「ほう、警告してやったのに、のこのこと来おったか」
「はふぅ!?」
誰が発したのか、低い声が聞こえてきた。思わずサトルは殺した息を吹き返した。
警告。今はその意味をかみ砕くべきだ。意味としては注意を促す、といったカンジだろう。とするとバクではない。乗り気だったからだ。人の気配もない。残る可能性は――
「まさか、イヌが喋ったのか?」
サトルは隠れるのをやめた。
「察しがいいな、人間」
疑問に応えると、犬が振り向いた。
その顔は、肉付きのよい中年男性の顔付きだった。目じりと顎が下がっていてだらしなく見える。都市伝説で語られる人面犬そのものだ。
「どうだ、怖かろう」
正面を向いて、あの声が犬のものだと明らかになった。
「人面犬だ……。じゃあこいつも空妖かな、バク」
「うん、だろうな。キミはあまり驚いてないようだが。人面犬だぞ?」
「いや、だってさ。バクのほうがヘンじゃない?」
「フフ、こりゃ一本取られたな」
「ん? ん? ……まさか、まだ陰に隠れているのか、出てこい!」
異形を前に談笑していると、人面犬が吠えた。不満気味の口調から、予想外の反応に心外といった雰囲気を醸し出している。
「空妖と空妖のご対面〜ッ」
サトルはくるりと背を向けた。
「なっ……なんじゃこいつァ! 口か!? まんま化けモンじゃあ!」
「そりゃお互い様だ」
バクは口を尖らせて、人面犬の驚きを流した。
「質問に答えてくれ、この町でなにをする気だ」
サトルは人面犬の方へと向きなおった。
「ささやかな望みだ。わしゃ、この町で静かに暮らしたいだけじゃ」
「それじゃあ、しっかり守んなきゃな。公序良じょく……。噛んだ、もう一回。公序良俗を」
「……やはり、キサマもわしを追い出したいんかの、キサマも化けモンじゃろうに」
垂れた目じりに鋭さが帯びた。堅いなにかを誓った者の目つきだ。
「呪われた身だから、否定はしないけどな」
「こらこら、ワタシも傷つくぞ」
「キサマもその異形が見つかれば、どんな善行を成そうが周りは掌を返すに決まってるのに、よくもまあそんなコトが言える」
「きっとそうだ。見つかんなきゃよかったのにな」
「放っておくだけでいいッ! ただここで静かに暮らしたいだけじゃあ!」
言葉を紡ぐたびに興奮が増していった。ここで暮らすコトがどれだけこの人面犬にとって大切なのか、サトルには理解できなかった。
「理解してもらうのは難しいんじゃないか?」
「キサマがそれを言うかッ! 顔も見られたし声も聞かれた。最悪の状況だが、逃げ切ってやる。そして、わしの幸福を掴みとってやる……ッ!」
「あっ、待て!」
人面犬の決意の足取りはサトルの股をくぐり抜け、尋常じゃない速さで逃走した。目で追うのがやっとだった。
「フフ、はじめての空妖との対決かな。サトル、気合い入れろよ」
バクに急かされ走り出そうと踏み出した途端、サトルは悶えた。
「あ! ……筋肉痛が」
「おおっと、ワタシも一気に不安になってきた」
サトルは昨日に悔みながら、ノロノロと人面犬の後を追った。
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