呪いのルーツを尋ねて①

「はあ、のどかだな」

 

 バスの最後部座席の右端に腰を深く下ろして座るサトルは、車窓に流れる木々をのんびりと眺めていた。


「おい、サトル。揺れるぞ、すごく」


 そんなサトルに、彼自身の背中に憑いている大口の空妖くうよう――バクは急かすように、チッチッと舌打ちをしながら、弱々しい声で訊いた。

 

「そりゃバスだし。あっ、もしかして酔った?」

 

「うん。ものすごく気分が悪い。出すモン出して、たわわになりそうだ」

 

「それ冗談?」


「半分くらい」

 

 一時間もバスに揺られているバクは、厳しい様子で率直に言う。それを聞いたサトルは吐かないかと不安になるが、人間味のある一面が見られて気が休まった。もっとも、バクの方は苦しそうではあるが。


 やがて、布を縫いあわせるように進行するバスは山路を抜けると、その先には田園風景が広がった。そろそろ新緑の候とはいえ、まだ苗は植えられていないが、水を張った田んぼは陽の光を受け、目いっぱい輝いている。


 サトルはこの景色が好きだった。

 

「いい眺めだろ?」


「そうだな、キラキラしてて……。ワタシも負けないくらいのキラキラを出せるぞ」


「バラエティー番組のヤツ!? もうちょいがんばろう、なっ?」

 

 サトルからは視えないが、バクは長い舌をだらりと出しながら、ぐったりしていた。幸い、サトル達の他には乗客は居らず、小声で話す分には支障はなかった。


「しかし意外だよな、空妖にも車酔いなんて弱点があるなんてさ」


「弱点のない生物なんていない……」

 

 バクがこんな思いをしてまで、都を跨いだ田舎に訪れた理由が、サトルにはふたつある。


 ひとつは、サトルの祖父――空慈くうじ禅院ぜいん家の宿命について詳しく聞き出すコト。


 もうひとつは、明璃から離れるためだ。あの騒動の後、明璃に連絡しても、出たのは明璃の母だった。曰く、『病院に連れていき、心配だから念のため検査入院させてもらった』とのコトだった。


 意識が戻らなくても命に別状はないとは言っていた。それでもサトルは呪われた自分が近くにいるからと責め、なるべく距離を取りたかったのだ。


 だが距離を取っても、明璃が気がかりで、心配が頭から離れない。バスに乗ってる間もずっとだ。


――早く落ち着きたい。早く着け、早く着け、早く着け。サトルは心の中で言う。

 

「早く着け、早く着け、早く着け」


 バクが声を出して言った。


「オレの心が読まれた!?」


「なんのこっちゃ。純粋にそう思っただけだ」


「……あ、そう」

 

 覇気のない声でバクは言った。切実にそう思っているのはバクの方かもしれないと思うと、笑いそうになって、頭が冷めた。

 

「焦ったって明璃には関係ないんだもんな。今このとき、オレはオレのコトだけを考えていよう」


「どうやらキミも酔っているらしいな。……自分に」


「いや毒を吐くなよ!」

 

 揺れが止むとバスも停まった。

 

「着いたな。降りるから小さくなってくれよ」


「やれやれ、長かった……」

 

 バスから降りて、その場で深呼吸をする。春の温かい空気が、頭からつま先まで行き渡るような清々しい気持ちになった。


 サトルは気を改めて、バス停のすぐに位置する畦道を歩き始めると、バクが食い気味に話かけてきた。

 

「なあ、首を突っ込んでいいか。あとどれくらいで着く?」


「具合悪い割にはジョークが冴えてるな。首なんてないクセに」


「いい性格してるな。覚えておけよ」


「悪かったよ。まあ、2時間弱はかかるんじゃないか?」


「それは……開いた口が塞がらないな」


「おいおいバク、ここがクソ田舎とはいえそれは困るぞ」


「……まったく話にならない。ワタシは休む。がんばってくれ、おやすみ」


「あっ、コラ! 話にならないじゃねえよ、せめて話し相手にでもならないのか――」

 

 すでに声は届かなかった。耳をすませば雄々しいトンビの鳴き声に交じって、背後からゆったりとした寝息が聞こえる。


 話し相手もいなくなり歩く以外になにもできなくなったサトルは、ぶつぶつと不貞腐れながら畦道を進み、麓の集落からも離れ、急な勾配の獣道を突き進む。

 

「やっと着いた……」

 

 日が高く上る頃、麓の集落が見渡せる山の頂上に位置する、サトルの祖父母の住居に到着した。古くから伝わる武家屋敷だが、肝心の屋敷――というよりも家屋――はあまり大きくない。


「おーい!」


 玄関を全開にして怒鳴るように挨拶した。いちおう呼び鈴は設置してあるが、そんなモノは不要だ。まず泥棒は来られない。

 

「ちょっと待ってろ!」

 

 居間から負けないくらいの威勢が聞こえた。しばらく待つと、ひょっこりとサトルの祖母――チエが出迎えた。


「おお、おめーサトルか。でっかくなったのう! ほれ、麩菓子とジュース!」

 

「ばあちゃん久しぶり。受験シーズンだったから、中々来られなかったよ」

 

 しわしわの手から受け取って麩菓子をポケットに突っ込んだ。小さな缶ジュースはよく冷えている。

 

「んで、じいちゃんは?」

 

「畑で土いじりだ!」

 

「土いじり……そう」

 

 声がデカいのも相まって、イヤな予感がした。こんなときに行けば手伝わせられるからだ。これから暑さは増すだろうが、作業に没頭すれば、漠然とした不安も忘れられそうだ。

 

「行ってみるかな」

 

 ジュースを飲み干してから、家の前にある畑に足を運んだ。ざっと見たところでは、まだ耕した痕跡がない。遮るもののないだだっ広い土地には人影すら見当たらない。外も余計に暑くなってきた。どうやら、太陽のウォームアップは済んだらしい。

 

「おっ、サトルか! 久々じゃなあ、おい!」

 

 背後から急に大声が飛んできた。ギクリとして振り向くと、サトルの祖父――空慈だ。大きな麦わら帽子が、曲がった腰と畑によく似合う。

 

「久しぶり、じいちゃん。……で、なんでクワ2本持ってんの? 軍手も」

 

「このために来たんじゃろ? いい孫を持ったモンじゃ。それに比べてたかしのヤツは……」

 

「いや、厳密には違う。違うんよ」

 

「まあまあ。はい、受け取れさ」


「そういう機械ないの? 耕すやつ」

 

「ないほうが不思議って顔してるがの、わしにとっちゃサトル、なんで学ランで来たんじゃい?」

 

「黒がちょうどいいから、かな」


「ふむ。詳しい話は畑を耕してからにしようかの」


「ああ、オレもやる前提なのね」

 

 クワを受け取り、翻った。


 すると、今まで映っていたものが一変した。未耕起の畑は閑散とした荒野と化し、それがどこまでも続くように思えた。まるで新大陸に渡った開拓者にでもなった気分だ。げっそりとする気持ちとおびただしい発汗、恐らく気温のせいだけではないだろう。


「これは軽く考えすぎてたな……」

 

「じゃあ、やるか!」

 

 黒光りするクワと薄弱なフロンティアスピリットを抱き、いざ荒野へと赴いた。

 

 

「ああー……暑い」

 

 どれくらいクワを振るっただろうか。途中、何度も扱い方を修正されながら、やっとの思いで一直線に耕せた。全身が痛み、汗が止まらない。あとこれを何回やればいいのかと思うと、冷や汗も滝のように流れそうだ。

 

「よし、上出来! キリもいいし休憩にしよう」

 

「ふう~腹減ったなあ」

 

 サトルは肘を伸ばし、空慈と土手に座り込んだ。学ランのまま尻をつけてもお構いなしだ。

 

「んでんで、昼飯はなに? オレあそこのピザが食べたいなあ。アツアツでカリカリで、チーズが伸びるやつ!」

 

 サトルは満面の孫スマイルを輝かせつつ、期待を込めて見つめた。が、空慈は何も動じずただ首を横に振った。

 

「暑さでやられたか? 学ランなんて着てるから」

 

「おいこらジジイ!」

 

「ちゃんとここにあるよーん」

 

 空慈はニヤけ顔で自信満々に長方形の小箱を差し出した。それはサトルもよく知る物だった。

 

「おにぎり入れるやつ……。ねえ、これって」

 

「そう……」パカリと蓋を開けた。

 

「塩むすび」

 

「どうして……」

 

 サトルはショックを受けた。想像をはるかに超えた重労働をすれば、流石に豪勢な昼食くらいは馳走してくれるだろうと思ったからだ。


 しかし違った。フタを開けてみれば、それはもうシンプルなおにぎりだった。ラップに包まれた海苔すら巻いてないおにぎり。雪化粧した山のような白くて三角なおにぎり。自然と不満は募っていった。

 

「こんな……こんなのって……」

 

「まあまあ、食ってみれって。ウマいぞお?」

 

 受け取ったおにぎりをまじまじと見つめた。望んだ昼食とは違うが、背に腹は代えられない。

 

「いただきます!」


 大きくかぶりつき、ゆっくりと咀嚼した。

 

「……ああーっ、うまいなあ、ちくしょうめっ!」

 

 適度に効いた塩が五臓六腑に染みわたる。もちろん、一個だけでは腹の虫は治まらない。もうひとつのおにぎりに手を伸ばす素振りを見せつつ、表情を確認した。笑顔の返答、OKのようだ。サトルはありがたく二つ目もペロリと平らげた。

 

「いやあー、今日もいい日じゃあ。わしは生きているのう!」


 空慈は伸びをして言った。

 

「なんだそりゃ」


「汗をかいて、腹が減ったら飯を食べられて、これこそ生きてる実感が湧くってモンじゃ」


「はいはい、そうね」

 

「――だがなあ、サトル、考えたことがあるか。生を実感出来ない者もいるということを」

 

「えっ?」

 

 適当にあしらおうとしたら、突然、態度が変わった。その言葉には不可視の陽炎が宿っていた。いつもなら風が吹けば飛んでいきそうなくらいテキトーな祖父の言動が、今や触れられないほどの熱を帯びていた。こんな祖父の眼差しは見たことがなかった。


 この問いに、サトルはすぐに答えた。

 

「考えたさ。幽霊に、それも悪霊に出会っちまったんだからな。でも、答えは出なかった」


――生きるとは何だろうか。

 

「そうか、それでよい。考えなんてそれぞれじゃ。答えなんて出なくてもよい。……しかし悪霊か。怖い思いをしたようじゃな」


「経験者は語るってワケかい?」

 

「……さあ、もう一汗かいてスッキリしようじゃないか!」

 

 空慈はいきなり立ち上がって腕を回した。まるで詮索されるのを拒むような不自然さだった。それを察して、サトルも訊かないコトにした。


 それにしても、まだ続けるのかと耳と目を疑った。こんなことになるのなら、やはりタブーのままにしておいた方が良かったのかもしれない。サトルの心中には疲労に纏まれた分厚い後悔が鎮座していたが、なんとか重い腰を上げ、陽が傾くまでクワを振るった。

 

 

「疲れがエグい……。明日になったら筋肉痛だなこりゃ」

 

「若さじゃな。とてもいいコトだ」

 

 帰ってきてやりたいコトといえば、すぐにでも汗を流して布団に入ることだ。今この疲れであれば、一瞬で眠れるだろうという謎の自信が湧くほどに眠りたかったが、空慈に止められた。

 

 なんでも見せたいものがあるらしい。それは、禅院の家に呪いと共に伝わるとんでもない剣だと笑って豪語していたが、全く見当がつかなかった。


 縁側をつたってそれが眠っている部屋に向かっていると、突風が吹いた。ふとなんとなく風が吹いた先、庭の方を向いた。桜の花びらだ。風といっしょに踊っているように見えた。

 

「5月になるのに桜? ありえないだろ、北海道じゃねえんだから」

 

 疑問を抱いたのもつかの間、桜の花びらが青い光を放った。

 

 叫びそうになった瞬間、サトルの眼の前は真っ暗に包まれた。

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