第21話 動き出す悪意
「霧島くん、気を付けてね?」
「はい、いってきます」
7月20日。
僕らの高校は今日から夏休みに入っている。
なので孤独死清掃の短期バイトも今日から始まることになっていた。
僕はナハラさんから送られてきたツナギを着用し、会長に見送られながら家を出た。
会長は受験生として勉強にも徹して欲しいので、僕より稼働日数は少ない。
だから初日の今日は様子見も兼ねて僕1人で出向くことになっている。
最寄り駅から電車に乗って、約20分後に渋谷に到着。
それからサウスフィールドの事務所を訪れると、正面にバンが停まっていた。
「やあ、集合時間の15分前行動とは性格を表しているね」
バンのバックハッチのそばには、ツナギ姿のナハラさんが佇んでいた。
「おはようございます」
「おはよう。さて、覚悟はいいかい?」
ナハラさんは清掃用具を詰め込みながら語りかけてくる。
「改めて言っておくけど、この仕事は楽じゃないよ。死体はすでに撤去されているとはいえ、間違いなく死体があったその現場と向き合い、掃除を行うことになるんだ。金が欲しい、のモチベだけじゃ辛くなることもあるはずさ」
「覚悟の上です」
「まぁ、君はヤワなメンタルには見えないから大丈夫だろうけどね」
ナハラさんはバックハッチを閉めて、僕に目を向けてくる。
そんなナハラさんの顔は少しやつれて見えた。
元から細い人だけど、前回会った10日前よりも……痩せて見える。
なんだか不健康的なやつれ方な気がするけど、それを気にしても失礼かと思って僕は逆に尋ねていた。
「……そう言うナハラさんは、なんでこのお仕事を?」
「死に方を間違えるとことごとく無意味で虚しい」
「え」
「っていうこの世の真理を、胸に刻み付けておきたいからだね」
「それってつまり……どういうことですか?」
「孤独死の現場はさ」
ナハラさんは出発前の一服を始めながら言葉を続けてくる。
「その自宅で死んだ人間の遺品が、そのまま残ってることが圧倒的に多いわけだ。頼れる人間が居ないから孤独に死ぬわけで、家具家電はもちろん、個人情報満載の書面なんかも放置されたままだったりね。そういうのを片付けるのが俺の仕事で、じゃあそんな作業中に一番胸中を渦巻く感情が何かって言えば――『もったいねえ』って気持ちなわけだ」
ナハラさんはぼやくように呟いた。
「割と良い暮らししてたジジババが孤独にくたばってるパターンとか見るとさ、遺産を分配したら貧乏な若者何人か救えるんじゃね? とか思っちゃうわけ。でも実際は分配なんか出来なくて、預金があればそれは国に帰属するし、家具家電で使えるモノはリサイクルショップに並ぶから誰かに無償提供とはならないわけ。孤独死は誰も救えないんだ。これは自殺もそう。後始末っていう負担だけ遺して消えやがる。もっと良い死に方出来たろお前、って考えちゃうと、もったいないって思う気持ちが消えないんだよ」
「……それを自覚するために、このお仕事を?」
「そう。俺は自分が死ぬときは何か意味のある死を迎えたいんだ。その思いを忘れないため、ってのが本当のところかな」
ナハラさんは事務所の鍵を閉めて、バンの運転席の方に移動していく。
「簡単にまとめるなら――孤独死するような、自殺するような、なんの意味もない無駄死にだけはしたくない、って気持ちを忘れないために、こんな仕事をしているのさ」
「じゃあ……自殺しようとする人たちを社会に戻そうとするのも、無駄死にすんな、って感情があるからですか?」
「んー、どうだろうね」
……ど、どうだろうね?
「自殺なんか無駄死にでしかないからやめなよ、って思いは当然あるけど、それが自殺者救済の動機かって聞かれると違うね。……動機自体はもっと単純なもんさ」
「……単純なもん、ですか?」
「気になるかい?」
「まぁ……はい……」
「ならいずれ、ちょうど良いタイミングが来たら教えてあげるよ。今はとりあえず仕事に向かおう」
タバコを携帯灰皿に収納して、ナハラさんが運転席に乗り込んだ。
僕は助手席に乗るように促される。
こうして僕の、バイト生活初日が幕を開けることになった。
※
朝8時から始まって、ひとつの孤独死現場を丸1日かけて清掃し、17時過ぎに事務所へと戻ってきたとき、僕はもちろんヘトヘトだった。
「はぁ……凄い重労働でしたね」
「おや、こたえたかい?」
エアコンの効いた室内で冷たいお茶を飲みながら、僕は首を横に振った。
「いや……今日だけでかなり稼げたわけですし、最高の気分ですよ」
「いいねえ。大抵1日で辞める子ばっかりだから、やっぱり霧島くんは気持ちが強くて好きだな」
ナハラさんは換気扇のそばでタバコを吸いながら笑ってくれた。
「自殺オフでの勇姿を思い出すよ。鏡山ちゃんを説得する君の姿はカッコよかった」
「……あ、ありがとうございます」
「ああやってサービスエリアの段階で引き返す決意をした自殺者は、何十回も開いたオフ会の中では君だけだったね」
「……そうなんですか?」
「うん。自発的に立ち直る自殺者は他にも居たけど、あんなに早い段階で、しかも他者を巻き込んで日常に戻ろうとしたのは霧島くんだけさ。誇っていいよ。君は凄いんだ」
重ねて褒められて、僕はなんだか照れ臭くなった。
「ところで霧島くん、改めて確認だけど、君たちは順調に生きられているかい?」
「あ、はい……なんとか順調です」
「一点の陰りもなく?」
「……って言われると、そういうわけではないですね」
会長のお父さん問題が残っている。
会長のお父さんは、血の繋がりがないと判明した会長に手を出そうとした。
そのせいで会長は色々と追い詰められて、自殺オフにまで参加していたわけだ。
僕と一緒に日常へと帰還してからは、その毒親が何かをしてくる気配はない。
とはいえ、このまま何事もないんだろうか。
前を向いて頑張り始めた僕らに水を差してくることは本当にないのか?
……どうにも良い予感はしないんだよな。
あくまで予感だが、僕が親ならいつまでも娘を放置はしないと思う。
少なくとも居場所くらいは突き止めようとするはずだ……。
「君らの自殺理由って俺は結局知らないままだし、今も何を抱えているのかは知らないけど、もし何か面倒に巻き込まれそうなら俺を頼ってくれていいよ」
ナハラさんはそう言ってくれた。
「生きるために必死に頑張ってる人間を阻害しようとするヤツってさ、大っ嫌いなんだよね。もし君らの障害になってるのがそういうたぐいの人間なら、俺は喜んで君たちの力になるよ」
「ありがとうございます……でも、今のところは大丈夫なので」
「……その手の大丈夫は、割とすぐに崩れるから気を付けなよ?」
そんな言葉が的を射すぎて怖いという感情を、僕はこの帰り道に抱くことになった。
『霧島くん、アパートの手前にお父さんが居るかもしれないから気を付けて』
帰りの電車に揺られているさなか、会長からそんなLINEが届いたのである。
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