第15話

 体調も回復し、柚香達はライブを再開していた。僕も出来るだけ通った。柚香はもうすっかり元気を取り戻している。後遺症なども見受けられず、元気にステージを駆け回っていた。他のメンバーも元気そうで何よりだ。


 寒さも緩和されて、また桜の見れる時期も近づいていたときのことだった。柚香のユニットの公式アカウントから、解散ライブの告知があった。突然の知らせだった。ずっと、この幸せな時間が続くとは思っていなかったけど、あまりにも早すぎる解散発表だった。僕は何も考えられなくなって、目の前が真っ白になった。すくい上げた砂が、手のひらからこぼれ落ちていくように、僕は由香という存在が、形をなくして眼の前から消えていくのを感じた。解散ライブは1ヶ月後だ。もう猶予は残されていない。あんなに上を目指して頑張ると柚香は言っていたのに。コロナのせいだろうか。コロナが蔓延してから、ライブの数が減ったのは確かだ。ライブハウスも潰れ、アイドルも積み上げた積み木が崩れるように、どんどん解散している。柚香達もその崩れから逃れることができなかったのかもしれない。ぼくは心に穴が空いたような感覚に囚われていた。仕事にも集中できない。簡単なミスを連発した。


 僕は解散ライブのことを殆ど覚えていない。ライブの途中、懐かしい映像が流れたような気がする。オリジナル曲のベストテンの発表もあっただろうか。柚香は泣いていたような気がする。アンコールが何度も鳴り止まなかった。ファンは解散を惜しんでいた。僕も気を張っていないと、泣いてしまいそうだった。


 最後の物販、柚香は僕に「おばさんになっちゃうかもしれないけど、水着また絶対やるから!」と言った。

 僕があの日、行けなくて後悔したとリプを送って、次のライブに行ったときに柚香は、水着もう1回だけやると約束してくれていた。その約束を今も覚えていてくれたのだ。

 「うん。ずっと待ってる。一生柚香推しだから!」僕はそう言い、柚香とハイタッチをして別れた。涙ぐんでいたのを悟られないように、僕はすぐ後ろを向いて、その後振り返らなかった。柚香は僕の背中に手を振ってくれていたかもしれないのに――。


 解散後、柚香は芸能活動をしばらくお休みすると、SNSで告げていた。このままもう2度と会えないかもしれない。そんな不安がよぎるたび、でも約束したからと、自分を励ました。解散後も柚香がSNSを更新してくれることだけが、励みだった。


 そのSNS内で事件が起こった。悪いのは僕だ。ある日、SNS上で、柚香と柚香の知り合いの男性の役者が、僕もあれ好きみたいな食べ物が話題のやり取りをしていた。僕はそれを見て、ファンはもう柚香と話もできないのにと思うと、腸が煮えくり返るような、怒りを覚えてしまっていた。そのまま冷静になるまで見なければよかったのだが、僕は耐えきれずに、SNSにメールでやってくれと、つぶやいてしまっていた。それを運悪く柚香に見られてしまい『私の大切な人を悪く言う人は好きになれない』とSNSに書かれてしまう。僕はやってしまったと思ったがもう遅かった。柚香にはフォローを外されてしまう。僕は全身の血の気が引けて、寝転がりながらSNSを見ていたが、そのまま起き上がれなくなってしまった。自分が悪いのは分かっている。何度も何度も自分は何をやっているのだと反省した。柚香には謝りのリプも送った。いつものように#ゆか活のつぶやきもした。でも柚香は何も反応してくれなかった。僕は完全に柚香に嫌われてしまったと、絶望した。


 柚香はそのまま半年活動を休んでいた。そのあいだ僕は柚香からなんの反応ももらえないままだった。SNSに活動再開の告知が上がる。柚香はまずは朗読劇をやるようだ。はじめは僕はもう会いに行けないなと思っていた。でも観に行くだけで、物販で顔合わせをしなければ柚香に迷惑はかからないだろうと思い直し、元気がもらいたい一心で、朗読劇に行った。

 

 久しぶりに見る柚香は少し痩せていたが、前より一段と可愛くなった気がする。僕は柚香が舞台に姿を現しただけで、色々なことが込み上げてきて、泣きそうになった。目を慌ててこすりぐっと堪える。淀みなく柚香が台詞を読み上げている。表情も豊かで、感情がうまく言葉に乗っている。怖いものが嫌いな柚香には珍しく、怪談の舞台だったが、僕は怖いのが好きなので、大満足して帰路についた。


 感動も冷めやまぬまま、その勢いで感想のつぶやきをSNSに上げて眠りについた。柚香は見てくれないだろうなと思いながら――。

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