第8話

 CD20枚買うと購入者限定、推しと一対一のオフ会に参加できる。ここのところの僕は、そのことで頭の中がいっぱいだった。一対一のオフ会なんて贅沢すぎる。是非参加したい。だが、CD20枚は、ちょっとハードルが高い。悩ましい限りだ。


「今度実家に帰るんだ。一緒に来ないか?」

 怜也が休憩時間、パンを片手に持ちながらそう言ってきた。

「怜也の実家ってどこだっけ?」

「山形。夜行バスで行くつもり」

「山形かー行ったことないな。たまにはそういうのもいいかもね」

「お! 行く? ゆっくり釣りでもしようぜ」

 そう言いながら、怜也はパンにかぶりつく。

「釣りかーやろっか!」

「決まりね。両親にも言っとくわ」

「うん。よろしく」

 そんな感じで、山形旅行が決まった。

「あ、圭と航希も誘っているから。多分2人は後から車で合流する予定」

 圭と航希は2人とも怜也と同級生のインストラクター。つまり2人も怜也と同じ僕の後輩だ。

「楽しくなりそうだね。いいじゃん」

「だろ? 4人で楽しもうぜ」

「おう!」

 

 僕が務めているスポーツジムは年に2回、メンテナンス休館日なるものがある。その名の通り、休みを取っている期間に修理が必要な施設等をメンテナンスする。その期間中に、山形に行くことになっていた。残り1週間。頑張れば、鳥のように羽を伸ばせる。早く鳥になりたい。山形に行くのが待ち遠しかった。


 1週間はいつもより長く感じた。最近、次の日になっても疲れが取れない。柚香や怜也に支えられながら、なんとか頑張っているという感じだった。2人がいなかったら僕はどうなっているのかと思う。僕の交友関係は少ないが、いい人達に恵まれたと思う。友だちがいくら多くても、本当の親友と言える友達は1人もいなかったとしたら、果たしてそれは幸せと呼べるだろうか。それなら太く浅い付き合いをするより、細く深い付き合いをしたい。


 1週間を乗り越え、僕と怜也は夜行バスに乗っていた。山形に着くまで約7時間。僕は夜行バスに乗るのは初めてだった。山形に行くのも初めてだ。わくわくしないわけがない。普通、夜行バスは苦痛に感じることのほうが多いのだろうが、僕はわくわくが勝り、全く苦痛に感じなかった。7時間という長時間もあっという間だった。車中は4列シートの隣り合わせに怜也と座って、丁度サッカーのワールドカップ真っ只中だったので、携帯で観戦していた。


 山形に着くと、空気がとても美味しく感じた。見る景色も心なしか透き通っている気がする。着いて早速、怜也の実家に向かった。実家では怜也の両親が迎えてくれた。すごく優しそうな、ご両親だ。

「長旅、ご苦労さん。遠いところよく来てくれたねえ」

 怜也のお母さんが微笑みながら言う。

「怜也から噂は聞いているよ」

 怜也のお父さんが続いて言う。

「佐伯春人です。はじめまして」

「怜也がいつもお世話になっています」

「いえいえ、お世話になっているのは僕の方です」

「あら」

 怜也のお母さんが、怜也に目配せをすると怜也が「まあ、そうだな」と言い笑い合う。僕もつられて笑った。

 その後、昼飯をご馳走になった。佃煮や、ゴーヤチャンプルー、枝豆などの料理が並ぶ。僕は遠慮せずに頂いた。どれも美味しい料理だった。ご飯をおかわりすると「いい食べっぷりね」と怜也のお母さんがまた笑う。よく笑う素敵なお母さんだと感じた。


 昼食後、怜也のお父さんの運転で、海釣りに向かった。海岸線沿いを車が走る。見えてくる海は僕がいつも見ている太平洋の海とはなにか違う気がした。日本海もいいものだな、僕はふとそんなことを思う。沖堤防に立ち早速、釣りを始める。

「どっちが多く釣れるか勝負しようぜ」怜也が意気込んで言う。

「よっしゃ、負けてたまるか!」僕も負けじと言った。

 僕は釣りの経験が殆どないので、中々釣れないだろうと思っていた。でもあまり時間をかけずに釣ることができた。ちっちゃなアジだったけど、釣り上げた充実感はひとしおだった。海風を受けながら、怜也と2人釣りをする。こんな経験ができるなんて、一昔前の自分なら想像できなかっただろう。今、この場所に居られることが嬉しい。

 釣りの結果は、怜也の圧勝だった。僕は何をしても怜也に勝てないのか。でも悔しさよりも、達成感の方が上回っていた。釣れてよかったという達成感に包まれて、僕達は次の目的地に向かった。


 今度は打って変わって、山道を車は進んでいた。杉の木が立ち並び、どこからか鳥の鳴き声も聞こえてくる。そのうちザァーという音が聞こえてきた。すだれのような滝が、目前に見えてきてハッとする。圧倒する光景だった。車から降りて、もっと滝の見える場所へ移動する。杉の大木に囲まれて、その滝は堂々とそこに存在していた。マイナスイオンを全身に感じ、身体の隅々まで浄化されていく気がした。神経は研ぎ澄まされて、周りの雑音は消え、滝の音だけが耳に入ってくる。日常生活では決して感じることのできない体験をしている。僕はそう強く実感していた。


 怜也の実家に帰る。怜也のお母さんが出迎えてくれて、釣ったアジを見て、今晩のおかずにしようと嬉しそうに言った。僕と怜也は夕飯まで、懐かしいスーパーファミコンをしようとしたが、どうやらアダプターが駄目なようで、電源が入らなかった。諦めて、2人で他愛もない話をして過ごした。


 夕飯は釣ったアジの揚げ物、酢の物、ゼンマイの煮物、馬肉などとビールが並ぶ。どれも美味しい。そして酒が進んだ。山形の地酒も一口飲ませてもらった。甘みが強く飲みやすい。僕はいい気分になり、眠くなってしまった。顔はタコより真っ赤だったと思う。怜也のお母さんが「弱いのねえ」と笑っていた。


次の日、圭と航希が合流した。航希の黒いステーションワゴンが怜也の実家の庭に停まる。そのまま航希の車で、昼飯を食べに行こうということになった。怜也と2人で車に乗り込んで出発した。

「佐伯さん、楽しんでいますか!?」圭がいつもの元気な調子で言う。

「はしゃぎすぎて羽目を外しているんだろ、どうせ」航希が、運転しながらぶっきらぼうに言ってくる。

「楽しんでいるよ。羽目なんか外していないよ」昨日悪酔いしたとは口が滑っても言えない。

「まあいいや。何食べに行こうか?」

「蕎麦とかいいんじゃない?」圭が麺を啜るジェスチャーをする。

「季節のわりに暑いから、ざる蕎麦とかいいかもな。そうしよう」

 そんな調子で、蕎麦を食べることに決まった。航希が運転、圭が助手席、僕と怜也が後部座席に座り、車は進む。移動中は終始ワイワイガヤガヤ言い合っていた。4人で旅行することなんて初めてだったから、皆、テンションが異常に高かった。


 蕎麦はびっくりするくらい美味かった。山形にまで来て食べているからそう感じるのかもしれなかったが、皆、美味い、美味いと言って食べた。すると怜也が「山形と言ったら蕎麦だからな」と当たり前のように言った。そうならそうと先に言ってくれよと、僕は心のなかで笑う。蕎麦を食べ終わると、怜也の提案で、山の上のお寺に向かうことになった。そこは奇妙な岩や、大きな石に囲まれた絶佳ぜっかの景観が広がる場所だった。1000段は超えるだろう石段が蛇行して続く。僕は一眼レフカメラで動画を回し、怜也達を撮りながら石段を登った。

「佐伯さんいいカメラ持っていますね!」

「まあ、最近は写真を撮るのが趣味でね……」

「アイドル撮っているんだってさ」

「おい、怜也、言うなよ。僕の密かな楽しみを」

「へえー意外っすね!」

「アイドルねえ……」航希がなにか言いたそうだった。

 僕は動画を撮ったり、写真を撮ったりしていた。そうこうしていると、お寺の建物らしいものが見えてきた。僕は写真を撮ろうとした。だがいくら押しても真っ昼間なのに、真っ暗な写真になってしまう。僕は少し寒気がした。そして撮影禁止の立て看板があることに後から気づいた。もしかしたら神様が撮っちゃ駄目だと、真っ暗にしたのかもしれない。「どうした?」と怜也に聞かれたが、何でもないと、言葉を濁す。僕は1人、写真を撮ってごめんなさいと心の中で謝った。


 怜也の実家に帰って皆で夕飯を食べて、順番に風呂に入った。そして畳の部屋に、布団を並べ横になる。音楽を聴きながら、皆で最近の好きな曲はなんだとか、そんな普通の話をする。何を話すわけでもないけど、話は尽きない。学生時代に、修学旅行に行って、皆で夜騒いでいた気分になった。この年になって青春を感じている。柚香に会っているときも、学生時代、片思いをしていたような、ある意味これも青春だと感じていた。気持ちが若返ったような感じだなと、皆の話を聞きながら思っていた。そのうち圭と航希が先に寝てしまった。長旅で疲れていたのだろう。怜也は思いついたかのように「アダプター買いに行こう!」と言った。2人は寝てしまったのに、これからスーパーファミコンをやるつもりらしい。僕は断る理由がないので、その提案に乗った。


 怜也と2人、別々の自転車に乗って、夜の街を疾走する。風を切って走るのが、最高に気持ちよかった。

 ゲームショップについて、目当てのアダプターを買った。一昔前のものなのに、売っているものだなと感心する。これでゲームができると怜也は柄にもなくはしゃいでいる。帰り道、怜也が公園に行こうと言うので、怜也に付いて行った。そこは広い公園で、真ん中に、お椀型の小さな高台があった。怜也は高台に登っていく。僕もその後を付いていく。高台の頂上につくと、そこにはベンチが円形に並んでいた。「空見上げてみろよ」怜也が頭上に指を指しながら言う。そこには満天の星空が浮かんでいた。地元で見る星空とは比較にならないほどの数の星が目前に迫るような勢いで、そこにあった。僕らはそれぞれ別々のベンチに仰向けで寝そべり、空を見上げる。ふと、ふたご座流星群を見たときを思い出して、つい最近のことのはずなのに懐かしくなった。

 僕らはそのまま、あのときのようにずっと空を眺めていた。目に保存しようとして、いつまでも、いつまでも、2人無言のままで――。

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