第5話 日向と陰

 久しぶり。


 才は。

 今。

 何をしているの?


 言われた言葉を分解して、ようやく意味を理解した。

 理解したところで、また過呼吸を起こすかと思った。

 でももう一度パニックになって、この男に介抱されるのだけは嫌だった。

 一度だけすっと息を吸ってから、小さく吐く。

 

「僕は、まあ普通に会社員してるだけだよ」


 これは噓だった。正確に言うと、昨日までは本当だった。

 うつ病と診断されたことを会社に報告した数時間前、休職が決まった。

 今の僕は「普通」ではないし、「会社員」でもない。

 なにひとつとして正しくはなかった。

 

「そうなんだ、俺もだよ!」


 も、じゃない。

 おまえは、なんだ。


「それにしても、目の前で過呼吸の人がいると思ってビックリしちゃってさ」


 この男は、僕の表情が見えているのかいないのか。

 こちらにかまわず笑顔で話しはじめている。

 わかっているのか、僕がさっきまでパニックだったことを。


「よく見たら才だったから、今嬉しい気持ちでいっぱいだよ」


 その時、彼の口から出てくる言葉が予想できた気がした。

 だから僕は口に出される前に逃げようとした。


「ごめん、僕も会えて嬉しいんだけ」

「俺の家、ここから近いんだ! 寄っていきなよ」


 背中に残っていた感触が今度はハッキリと主張してきた。

 というか、天ヶ瀬は逃げようとする僕の背中に手を当ててきた。


 天ヶ瀬宝の手は、僕の背中から離れる気配がない。

 そのまま、僕がパニックになる前に歩いていた方向へと向かう。

 視界の隅に映る景色はいつもどおり変わらない。

 その中に、この男がいるという事実だけが強烈な違和感を放っている。


「この歳になるとさ、気軽に遊べる友達が少なくなるから寂しくて」


 日向でずっと生きてきました、みたいな顔のおまえが?

 寂しい?


 小中学生の頃に見たこの男の笑顔は、まるで太陽みたいだった。

 太陽みたいだったし、自分は太陽ですって分かっている顔だった。

 それが、「寂しい」なんて日陰側の言葉を使うなよ。


「意外だな、天ケ瀬がそんなこと言うなんて」


 いつだって人に囲まれてたじゃないか。

 さすがに、そこまで言うと嫌味っぽいか。

 本当に口に出したわけでもないのに、勝手にバツが悪くなる。


「そうでもないよ、俺だってもうそんなに若くもないしね」


 ほらごらん、とでも言うように天ヶ瀬は腕を広げてみせる。

 その容姿でおどけた表情を繰り出されれば、さぞ万人に好かれることだろう。


 天ヶ瀬宝は、昔からルックスも人気だった。

 身長は高く、すらりとしていて脚が長い。

 目鼻立ちがしっかりしていて、きりっとしているのに笑顔は愛嬌がある。

 年を取ってはいても、今もあの頃と大きくは変わらない。

 

 僕はといえば、まったく身長が伸びなかったな。

 夜な夜なネットサーフィンで「身長が伸びる 方法」で検索していたのに。

 

 こうやって、他人と自分をものさしで測ろうとするから。

 日向や日陰のレッテル貼りでくくろうとするから。

 だから、僕は。


「........ってことがあって。でもね、そこの…才?」


 耳から入ってくる音が聞こえないときがたまにある。

 足は歩行の動きを保っているのに、頭が縛られている状態。

 今がそうだったらしく、目的の場所にたどり着いたことをようやく悟った。

 

「ごめん、ぼーっとしてて」

「大丈夫だよ。うちでちょっと休んでいけばいい」


 僕の背中に当てられていた手が、いつの間にか肩に移動している。

 結局、天ヶ瀬宝の家に入らなければ納得してもらえそうになかった。

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