第十三章 シークレット・サービス またはストーカー

 「いま出ました。ふたりでそちらの方向に向かって歩いて行きます。

汐音はピンク系の服装、みのりちゃんはレモンイエローのワンピースですどうぞ」

 「了解しました。交差点を渡った先で待機しています。以上」

 頭に装着したインカムを超短波帯域の微弱電波トランシーバーに接続し、昨日からの変装で娘たちの警護についた。


 古本屋街を少し歩いたところにある古書店にふたりは入っていった。

 「レッドからブルー、どうぞ」

 「ブルーですどうぞ」

 女の子は赤、男の子は青という単純な発想から、レッドは町田さん、ブルーは私のコードネームである。

 「ふたりが店に入りました。店名は『杏本堂』です。どうぞ」

 「了解です。店の裏から出入りができるか確認してきます。以上」

 店舗付近を周回してみたが、反対側へ抜ける出入り口はなく、町田さんの前を通ってそれとなく合図を送り、店内をチラッと見て通り過ぎた。

 間口は二メートルほどだが奥行きがあり、二階にも上がれるようだ。

 みのりちゃんと思しき後ろ姿が見えたが、汐音は視認できない。店内で別れてそれぞれ興味のある本を探しているのだろう。


 それにしても白のコートを着用し、ワインレッドのワンピースの裾がちらちら見える町田さんの姿は目立つ。

服装もだがインカムにサングラスはほとんどスパイ大作戦のパロディだ。

 百メートル離れていても、町田さんを知っている人物の目で見れば彼女とわかるかもしれない。

万一、町田さんとみのりちゃんがすれ違ったり、近くを通り過ぎた時にちょっとでも目に留まれば、正体がばれる可能性は大きい。


ふたりが店舗に入ってすでに一時間以上になるが、一向に出てくる気配がない。

いったいどんな本を探しているのだろう。

 汐音は家で私の集めている音楽関連の書籍に目を通しているようだが、どのくらい興味を持って読んでいるのかはわからない。

 みのりちゃんが古い絵葉書を集めているのは知っている。地元の古書店ではあまり売りに出されることがないので、今日は宝の山を前に目を輝かせて物色していることだろう。

昼近くになってようやく外に出てきた。ふたりともこの古書店のショッパーを持っているから何点か購入したのだろう。

 ふたりが再びホテルとは逆方向に歩き出したのを確認して、私と町田さんもそれぞれの位置から移動を始める。


 しばらく歩き、彼女たちは蕎麦屋に入って行った。

カウンターやテーブルで相席して食べるような店ではなく、座敷か隔離度の高いボックス席に通されて、料理が膳で運ばれてくる高級そうな店。

 我々はまたそれぞれ五十メートル程度離れた場所から監視にあたる。


 私たちも食事を摂らなければならないので、町田さんが現場に残り私がコンビニへ走って食料を調達した。

 このようなシチュエーションではあんパンと缶コーヒーが定番と脳に刷り込まれている。知らないうちにドラマや映画の張り込みシーンから影響を受けているらしい。

 袋に入ったパンと缶コーヒーを町田さんに無言で素早く手渡し、また所定の位置に戻って昼食を摂りつつ蕎麦屋を見張った。

 粗食を食べていると案の定、汐音が自分の目の前に置かれた膳の写真を送ってきた。

天ざる定食。汐音の大好物である。

天ぷらのざるには海老が四尾も乗っているし、吸い物には松茸らしき浮遊物が。

私たちの目と鼻の先で贅沢三昧だ。


食事を終えてふたりが散策再開。

このあと古書店を三店、中古レコード店二店を回り、ホテルに戻ったのは午後六時過ぎ。

汐音たちがフロントで鍵を受け取り、エレベーターに乗り込むまでを確認して、私も宿舎のホテルに入った。

ロビーで待っていると数分遅れて町田さんが帰還。疲れ切っているかと思いきや、足取りは意外に軽そう。

「お疲れさまです。ふたりは無事にホテルに入りました」

「お疲れさまでした。さあ、シャワーを浴びて私たちも打ち上げしましょうよ!」

「立ちっぱなし歩きっぱなしで疲れてないですか?」

「足は少し痛いけど、でも楽しかったわ。わたし探偵になろうかな」

と言って悪戯っぽい笑顔を見せた。


打ち上げはホテルから少し離れた居酒屋に行くことにした。今日の探偵ごっこの最中に見つけた店だ。

間口が狭く、騒がしい客が来そうな雰囲気ではない。今日一日の〆にひとりで来ようかなと思っていたのだ。ここならあの子たちとかち合う心配もないだろう。

まずは乾杯から。寒かったので私は芋焼酎のお湯割りを注文した。

町田さんも同じで良いと言う。芋焼酎が好きなのだそうだ。

「町田さんのイメージだとワインやブランデーが好きそうだけど」

「どちらも好きよ。って言うかアルコールは工業用以外ならだいたい呑みます。許容量は少ないけど」

「許容量を超えるとどうなっちゃうんですか」

「笑い姫よ。とにかく笑うの。ほら、みのりや汐音ちゃんと初めて居酒屋に行った時のこと、覚えてます?」

そう言えばあの夜の町田さんはよく笑っていた記憶がある。

「思い出しました。笑い転げてましたね。あれは許容量をオーバーしていたから?」

「そうよ。だって家族が増えたみたいで嬉しかったんですもの」

「みのりちゃんと汐音は仲の良い姉妹みたいですよね。性格がぜんぜん違うから気が合うのかな」

「そうなのかも。最近はお互いの趣味や興味を共有しているみたい。

みのりは汐音ちゃんから借りたCDをよく聴いているようだし、汐音ちゃんはうちに来た時、みのりと一緒に料理を作ってわたしに味見をさせようとするの」

「へえ、そうなんですか。うちでもたまにキッチンでなにかやっているけど、料理というより理科の実験みたいな匂いがしてます」

「料理は化学って言うからいいんじゃないですか。で、お味は?」

「当たりはずれが半々ってところかな。作るのはともかく、舌の方は肥えてきたみたいですね。

うちに来た当初はばか舌だからなんでも食べますとか言っていたけど、最近は旨味を楽しめるようになったみたいです」

「みのりも汐音ちゃんとお友達になって、以前より知らない人とも話せるようになったみたい。

始めの頃は本当に人見知りで、わたしと結菜以外は話す人がいなかったのもあるけど、買い物や食事に行ってもお店の人に注文するのはいつもわたし経由。

少しずつ誰とも会話できるようになったけど、汐音ちゃんの登場で一気に人見知りが解消されたみたい。

ほら、こないだのロビー活動でもたくさんの議員さんたちとお話ししてたでしょう。あんなみのりを見たのは初めて。

親は見てなくても子は育つのよね。友達に恵まれればすてきな人になっていく」

「そうですね。でも親の影響が絶大な面もありそうですよ。古本屋巡りは私の趣味が反映しているはずです。

二十代前半の女の子ふたりが東京に遊びに来て、渋谷や原宿の女子が行きそうな定番の店には目もくれず、神田神保町で一日つぶすとは……」

「そのふたりの後を一日中こっそりつけまわす親も親ね」

梅肉と牛肉とオクラをあえたお通しを食べ終わったのを見計らって、大将がふたりにお湯割りを出してくれた。

「みのりちゃんと汐音が無事に東京観光を終えたことと、我々のふたりの健闘を称えて、かんぱいっ!」

「かんぱーい」

今日はあんパンと缶コーヒー、それに今のお通し以外、胃に何も入れていない。

ひと口含んだ生暖かい芋焼酎が口内の粘膜に触れて熱く反応する。

ひとしきりその感覚を味わって一気に胃に流し込むと、芋焼酎が導火線となって五臓六腑を一気に点火。

ふた口目は少し多めに呷り、胃の中でくすぶる火に酒を注いでさらに熱量を上げる。

実は私はそれほど酒を呑めるクチではない。人が生ビールのジョッキを三杯空ける間に私はせいぜい一杯弱。ほかの酒でも同じで多い量は呑めない。

それに酔っぱらって気分が良くなるタイプでもないから、量よりもちびちび味わう酒の呑み方。食べるのも少量なのでいつも割り勘で損をする。

しかし気の置けない友人たちとの呑み会の雰囲気は好きだから、機会は少ないがあれば出ていく。

いま呑んでいる酒は、詳しく知らないが有名な銘柄の芋焼酎らしい。しかし酒が美味いのは銘柄のせいだけではない。今夜の相手は町田さん。酒が不味かろうはずがない。

町田さんとカウンターに並んで座っているこのシチュエーションが、酒や料理の味を格別のものにしている。

「あーおいしー!」

町田さんの目が埴輪の笑い目のように弧を描いている。この人の笑顔は本当にチャーミングだ。

「わたし、今日は二杯までにします。だってすきっ腹だし明日はチェックアウトで寝坊できないから」

「何時の飛行機ですか」

「空港に着いて最初に乗れる便で帰ります。藤村さんは?」

「私は新幹線です。あの子たちは午後三時過ぎの列車だから、私は一時くらいのに乗ろうと思っています」

「どうして飛行機でお帰りにならないの」

「それが、高所恐怖症で身長以上の高い所には上がれません」

「あら、でもロビー活動の日は行き帰りとも飛行機だったじゃない」

「あれは団体行動だったから我慢して乗ったんです」

「そうだったの。じゃあわたしも新幹線で帰ります」

「でも五時間くらいかかりますよ、疲れないですか」

「ひとりの二時間よりふたりで五時間の方が楽しい時間を過ごせるわ。

それともおひとりの方が良くて?」

「まさか! 町田さんと鉄路をご一緒できるなど恐悦至極に存じます」

「なんて大袈裟な。でもわたしも楽しい帰り道になりそうで嬉しいです」

「じゃあ海側の席に座れた時の必見スポットをお教えしますね。

一、静岡市安部川手前で唯一、海側車窓から見える富士山。

二、明石海峡大橋。

三、徳山の工場群。煙突の先で揺らめく炎がトーチのように見える。

四、山陽本線厚東駅通過直前、一瞬見える水門。

この四つが私の『おすすめ新幹線の車窓から』です」

「まあ楽しみ。でもしゃべるか食べるか眠っていて見逃しちゃいそう」


二時間ほどで打ち上げを切り上げて、ふたりともそれぞれの部屋に戻った。

もう一度シャワーを浴び、持つのも難儀するくらいに冷えた缶コーラで喉を潤していると汐音からメールが送られてきた。

「これからみのりちゃんとガールズトーク。どっちかが眠るまでお話しするの。藤村さんもメールで参加していいよ(^_-)-☆」

一緒にくっついてきた写真には『今日の収穫』とタイトルが付いていた。数冊の本や雑誌と映画のパンフレット、それにドーナツ盤が何枚か。

雑誌の一冊は見覚えのある表紙だが、なんで覚えているかは思い出せない。

「夜更かしするならモーニング・コールを頼んでおかないと寝坊するよ。おやすみ」

と返事を送信。間髪を入れずに返信があった。

「アンドロイドはちょっとくらい遅くまで起きていてもぜんぜん平気。体内時計が正確だから寝坊なんてしないし。

藤村さんもヒマだろうから電話で今日一日の事を話して聞かせてあげてもいいよ」

いま送信したメールが、まさか半径五十メートル以内の場所で読まれているとは思いもよらないだろう。ちょっと申し訳ない気がする。

明日は彼女たちが無事チェックアウトするのを見届けて、私たちも駅に向うことにしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る