第十二章 汐音とみのりのふたり旅 プラス・ツー
閑散期の木曜日だから、新幹線もホテルも簡単に予約がとれたらしい。
駅に着くとみのりちゃんが改札口の前で待っていた。
汐音もみのりちゃんも肩にかけた少し大きめのバッグ一つである。女子の旅行と言えば特大のキャリアバッグをゴロゴロ引っ張って歩くのが定番と思っているから、ふたりの軽快さには違和感さえ覚えた。
軽量化の要因は着替えの洋服を持ってきていないから。気に入った服を見つけて現地調達するらしい。着替えた服や賞味期限・消費期限のないお土産は宅配便で自宅に送る。
これで行きも帰りも身軽に移動できるわけだ。
車内で食べる弁当と飲み物を買い込んでホームに上がる。入線を待つ間、ふたりが座る太平洋側車窓からの必見スポットを紙に書いて渡した。
一、山陽本線厚東駅通過後、一瞬見える水門。
二、徳山の工場群。煙突の先で揺らめく炎がトーチのよう。
三、明石海峡大橋。
四、静岡市安部川手前でただ一か所、海側車窓から見える富士山。
ふたりとも『わー楽しみー♡ 見たいみたい』とか言っているが、しゃべるか食べるか寝るかしてスルーするに決まっている。
いよいよ彼女たちの乗る《のぞみ》が静々と遠慮がちに入ってきた。
ドアが開き
「じゃあ行ってきまーす!」
と軽やかな足取りで乗り込んで行った。と思ったら汐音が戻ってきて
「これ渡すの忘れてた! はい、行程表。宿泊先と立ち回り先をまとめて書いてあるから、寂しかったら連絡してもいいよ」
と、ぎっしり日程を書き込んだA4の紙を私に手渡して、またドアの奥に消えていった。
動き出した小さな窓からふたりが満面の笑顔で手を振っている。私も軽く手を上げて応えた。
最後尾の一号車が見えなくなるまで見送り、ホームを降りてコンコースに出る。
今日はまだ寝覚めのコーヒーを飲んでいなかったのを思い出し、静かそうな喫茶店に入ってアメリカンを注文した。
来客者用の新聞を手に取り、いつものように海外面から読み始める。
コーヒーをすすり記事を読んでいるが内容が頭に入ってこない。思考はさっき見送ったのぞみ号を追っかけているのだ。
今どの辺りを走行中だろうか、弁当は食べ終わったかな、車掌さんにちゃんと切符を見せることができただろうか……
喫茶店の空間に心を戻して同じ記事を二度三度と読みなおすが、気がつくとまたのぞみ号を追っている。
この状況が三日間続くと思うと気が滅入る。ひとり娘が旅に出るとその父親は誰でもこんな気持ちになるものだろうか。
新聞をテーブルに置き、汐音からもらった日程表をポケットから取り出して広げてみた。
今日は東京に着くとすぐにチェックインして特に出歩く予定はない。食事もホテルの中で済ますのだろう。
明日あさってと街歩き。これは主に神田神保町界隈の散策だ。帰ってくるのはあさって夜の予定。
本人たちはあっと言う間の三日間になるだろうが、私にとっては気の遠くなるような長い三日間となりそう。
携帯に電話をかければすぐに声が聞けるので無事は確認できるし、あの子のことだからメールで頻繁に写真を送ってくるだろう。
そうだとしても心配が僅かに軽減する程度で、心はずっと汐音たちの後を追っていることに変わりない。
後を追う? 頭の中じゃなく実際に身体で後を追えばいいじゃない。
これから新幹線に乗って追っかければ二時間遅れで東京に着く。
彼女たちの宿泊先も明日以降の日程もわかっているから、気付かれないように追尾すればいいのだ!
しかしそれはストーカー行為と同じではないか?
いやいや、親が秘かに子どもたちの安全を見守るのは保護責任者の当然の義務である。いわば肉親によるSPだ。よし、案ずるより動くが安し、行こういこう。
一旦マンションに帰り、アクアとあしるをペットホテルに預ける。
着替え等は汐音方式を採用し現地調達。荷物は一つも持たないことにした。
駅ビルのテナントで変装用のトレンチコートと中折れ帽子を調達し、弁当と飲み物を買い込んで乗車。
こうなるとウキウキ気分で五時間の列車旅を楽しめる。
東京に着いて宿を探したが、駅周辺はさすがに空きがない。平日だからすぐに見つかると考えたのが間違いだった。
ウィークデーの東京駅周辺は出張ビジネスマンが宿泊するため、安宿は常に満杯なのだそうだ。
汐音たちが宿泊するホテルの正面にある、ちょっと値の張るホテルに問い合わせてみると余裕で宿泊可能とのこと。
真向いなので路上で鉢合わせする恐れはあるが、変装していればよもや正体がばれる可能性は皆無だろう。そこに泊まることにして予約を入れた。
駅カフェで時間を潰していると、汐音から電話がかかってきた。
「さっきチェックインしたよ。
ね、ね、わたしたちの部屋、鉄っちゃん御用達なんだって! 窓から東京駅のホームが丸見えだよ。でもね、わたしたち鉄子と言うより餃子だから宝の持ち腐れ!」
文字ダジャレを言っているのかもしれないが、今ひとつ理解し辛いので餃子うんぬんはスルーした。
「ふーん。ごはんはホテルで食べるの?」
さりげなく食事の予定を聞いてみた。
「うん。ホテルのバイキングで済ませるの。ワイン飲み放題なんだって!」
「そう。夜通しゲーセンでゲームしないように」
「ホテルのゲーセンには行くけどゲームじゃなくて卓球するの。だって旅先の宿の夜は浴衣で卓球が定番でしょ。わたしもみのりちゃんも初卓球だから楽しみ。動画送るね」
「はいはい。楽しみにしてます」
「ね、藤村さん、外にいるの? なんかざわざわしてるね」
「あ、ああ、そうそう。レストランにいる」
「なんか声が近く感じるけど、携帯電話の機種変更した?」
「え、いや、ししてないよ。今日は晴れてるから電波がよく飛んでるんじゃない?」
「ふーん。まいっか。また連絡するね」
彼女の泊まっているホテルから半径五百メートル以内の地点にいるのだが、まさか電波の強さに影響するとは思えないので彼女の気のせいだろう。
しかし女の直感は鋭いから、私の存在を無意識に感知したのかもしれない。四方八方に目を配って絶対に見つからないようにしなければ。
今なら彼女たちは部屋にいるはずなので、この隙にホテルへ向いチェックインしよう。
買ってきたコートをきっちり着込み、帽子を目深に被ってできるだけ汐音がいるホテルから死角になりそうな道路の端を歩き、自分が泊まるホテルに入った。
フロントで名前を言い、二泊分の料金の支払いを済ませてカードキーを受け取った。
ロビーを横切りエレベーターの前に行く。降りてくるのを待っている同宿の女性の斜め後ろに立ち、カードキーに書かれた部屋番号を確認した。五二六号室。
視線を上げる時、チラッと隣の女性の顔を見る。
サングラスをかけてうつむき加減の横顔。綺麗そうな人だなと漠然と思った時、携帯がブルッと震えた。
ディスプレイを見ると、ホテルの部屋から写したらしい東京駅の大展望画像だった。二枚目は汐音の自撮り写真。ピントがあまいのは背景のドレッサーに焦点が合ってしまっているから。
エレベーターのドアが開き、女性の後に続いて乗り込んだ。女性が《⑤》のボタンを押す。同じ五階に宿泊らしい。
気づくとこの女性も自分の携帯を覗き込んでいる。画面が見辛かったのかサングラスを外して見直した。
チラッと見えた携帯の画面には、見覚えのある女性の自撮りと思われる顔写真が写っている。
その女性の背後にはまごうかた無きうちの娘の横顔が!
もう一度、今度はしっかりと携帯画面を見ている女性の顔を確認した。
町田さん⁉ なんでこんなところに! 人違いか? いや、画面に映し出されている画像からして間違いのはずが無い。ディスプレイの中の写真はみのりちゃんだった。
白いコートの下にワインレッドのワンピース、普段と違うヘアスタイルと髪の色、更にはいつにも増して唇が紅いように感じるが、町田さんその人だ!
もしかすると私と同じように、みのりちゃんが心配で追っかけてきたのだろうか。
五階に着きドアが開いて町田さんらしき女性が降りる。私も続いて降り、彼女の背中に呼びかけてみた。
「あのお」
「……」
彼女は気づかないふりをしているらしく足早に離れていく。ナンパと思ったのかもしれない。
「すみません、町田さんじゃありませんか?」
女性は凝固したように立ち止まり、ゆっくりとふり返った。
「町田さん、ですよね。私です」
と言って帽子をとった。
「藤村さんっ! どうしてここにいるの?」
「町田さんこそどうしたんですか? ふたりが心配でこっそり後を追って来たんじゃないんですか」
「もしかして藤村さんも同じ理由でここまで来たの?
だけど藤村さんと全然わからなかったわ。クルーゾー警部みたいなカッコされてて」
「私としては刑事コロンボのイメージなんですが」
「コロンボ刑事はもうちょっとコートの丈が長かったじゃない。それに帽子はかぶってないし」
「町田さんこそ再々々放送のサスペンスドラマに出てくるセレブみたいじゃないですか」
私の反撃を町田さんは黙殺して
「ここにお泊りなの? とりあえず荷物を置いてきますから、下の喫茶店に行きましょう」
「そうですね。私もこんななりでは落ち着かないので、コートと帽子を脱いできます」
「じゃあ十分くらいして一階で会いましょう」
先に店内に入り、コーヒーを注文したところで彼女が降りてきた。
まだサングラスをかけているが、服装はいつものシンプルかつ上品な装いに着替えている。
「前のホテルにみのりちゃんと汐音が泊まっているのは当然ご存知ですよね」
「もちろんです。だから宿はここにしたの。藤村さんもでしょ?」
「いえ、私はほかの所を探したんですが、どこも満杯で仕方なくここへ。
ここ、近すぎないですか、彼女たちに」
「だからこそ変装しているんですわ。完ぺき過ぎて鏡に映った自分が誰だかわからないくらい」
「さっき着ていたワンピース、あれってバブルの頃の……」
「何時ごろこちらにお着きになったの?」
私の言葉を抑え込むように町田さんが質問してきた。
あの色あいと肩パットの張り具合は、八十年代後半から九十年代初頭の遺物だろう。
三十年近くクローゼットの中で、吊るされっぱなしだった代物を引っ張り出してきたということか。
「ねえ、いつお着きになったの?」
「あ、ああ。四時過ぎです。それから汐音のチェックイン連絡が入るまでは東京駅の地下街をぶらぶらしてました。町田さんは?」
「わたしはみのりが出ていった後、すぐに空港へ行って羽田行きの便に乗ったから、とても早く着いちゃった」
「じゃあ昼前にはもうこっちにいたんですか?」
「そうなの。何にも予定を立てずに来たから、行く所もする事もなくて、時間を消化するのが大変でした」
「旅行を許可したとは言え、彼女たちのことが気になったんでしょう」
「ええ。だってみのりがわたし以外とふたりで旅行をするのは初めてだから、ちゃんと乗り換えとかチェックインができるか不安で。
家でひとり心配してるより、いっそ付いて来ちゃえって」
心配するポイントと東京まで追っかけてきた動機は私と同じだ。
「私も町田さんと同じです。家でうずうずしてるより近くで見守ってあげたいと。これって親心ですよね」
「そうよそうよ、決してストーカー行為ではありません」
町田さんも若干、後ろめたさを感じているらしい。
「明日は朝から尾行……見守る予定ですか? 日程表には一日中、神田神保町と御茶ノ水周辺を歩くようですが」
「朝からついて行きます。藤村さんはどうなさるの」
「私も汐音たちがホテルを出発次第、百メートルほどの間隔をとって追跡するつもりです。
でも、ふたりで付かず離れず歩いていると気付かれやしないですか」
「そうねえ。藤村さんのクルーゾー警部はかなり目立っちゃうよね」
「町田さんこそ! バブル時代のクラブで踊ったまんまタイムワープして来たような服装だと、ネオンサインを点滅させて歩いているのと同じでしょうに」
「よく聞こえなかったんだけど。
せっかくふたりいるんだから手分けをしましょうよ。わたしが前方百メートルに展開するから、藤村さんは後方を固めて下さいな。あのふたりが危機に遭遇したらすぐにかけつけられるように」
「危機にですか。古本屋街ではあまり遭遇しそうにないですが。
じゃあとりあえず明日はそれでいきましょう。
作戦もきまったことだし、乾杯してお開きにしますか。明日は早くなりそうだから。それに疲れたでしょう、今日は」
「そうなの。疲れちゃった。時間を潰すって重労働なんですね」
「じゃあビールを呑んでぐっすり休んでください。あ、ビールでいいですよね」
ビールが運ばれて来たので遠地での奇遇を祝って乾杯。
一口すすったところで汐音から画像が送られてきた。浴衣姿で卓球をする写真である。
町田さんにも同じ構図のみのりちゃんヴァージョンが届いた。
「親が隣りのホテルでこそこそビールを呑んでいるなんて、思いもよらないだろうな」
「でもわたし、スパイになった気分でけっこう楽しいかも、この状況」
それから一時間ほど話しをし、ふたりとも自室へ戻った。
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