第十一章 汐音の旅行(案)

 人間とアンドロイドが同格であると定められて一か月。それによって汐音の生活が大きく変わったということは、今のところ特段にない。

 家へ来てからの一日の流れは、概ね午前七時起床、午前一時頃就寝。料理をしたり本を読んだり音楽を聴いたり、たまにみのりちゃんの家に遊びに出かける毎日を過ごしている。

 町田家への往復と近くのスーパーかコンビニへ買い物に行く以外、ひとりで出歩くことはない。

 そう言えば、ペットとの散歩が新しい日課に加わった。

 一週間ほど前、ショッピングモールのペットショップで、汐音が一目惚れしたボストンテリアの男の子、それに私と視線があって『連れて帰って』と電波を飛ばしてきたミックス猫の男の子のふたりを、新しい家族として我が家に迎えたのだ。

 汐音にとってはアンドロイドと人間以外で、初めて密接に触れ合う生き物である。

 汐音の名前を考えたミーティングの際に、保留になっていた候補名をそれぞれにつけることになっていた。

 その時に書き留めておいたメモを取り出し汐音に渡す。

 彼女が名前を読み上げた。《アクア》と《愛知》。

 あいち? なんで愛知? メモをのぞき込むと走り書きした際に《愛和》とするところを《愛知》と書き違えたらしい。

 「ボストンテリアが『アクア』、ミックスは『あいな』だね。汐音にふたりの弟の誕生だ」

 そう言って汐音を見ると何か考えているような表情。

 「ねえ藤村さん、この《愛知》だけどさ、『愛を知る』って良くない? これの読み方を変えてみようよ」

 「読み方を? 《まなち》じゃ変だし《あいしる》は……」

 「《あいしる》じゃなくて《あしる》はどう?」

 「《あしる》か。ちょっと変わってるけど汐音がいいならそれでいいよ」

 「じゃあ『あしる』にしよう! 漢字じゃなくて平仮名で」

 新しい小さな家族の名前が決まった。

 さっき、そのアクアを汐音が散歩に連れて出て行った。

 アクアは天候に関係なく、時間になれば散歩に連れて行けとうるさくせがむが、あしるは基本的には在宅猫で、私や汐音が外に連れ出そうとしても、気が向かなければお気に入りのソファーから離れようとしない。

 ふたりともうちへ来て間がないのに、もう自己主張をはっきり示している。


 汐音とアクアが散歩から戻ってきた。

 「ねえねえ、藤村さん。お願いがあるんだけど」

 そらきた。汐音が何かおねだりするのは、散歩か買い物から帰ってきたタイミングときまっている。

 歩いている間に色々とアイデアを思いつき、思考シミュレーションして「(これ、いいよね)」となったら私に陳情するのだろう。

 これまでにこの方法で彼女がゲットした物は温度センサー付きフライパン、一九七〇年代に放送されて人気を博した、アメリカの刑事ドラマのブルーレイ・ボックスセット、南太平洋の海面だけを写した衛星写真の五万ピース・ジグゾーパズル。

 高級化粧品やブランド服にはほとんど興味を示さない。うちに来た初日に町田母娘からもらった服と、その日に買った化粧品を今も使い続けている。

 今日はどんな案件を持ってくるのだろうか。彼女のトレンドを知ることができるのも楽しみである。

 「ねえ、私、旅行に行きたいの」

 「旅行? どこに」

 「東京」

 「東京はこないだ行ったばっかりじゃん」

 「行っただけで観光やショッピングはしてないじゃん」

 「そりゃそうだよ。だってロビー活動が目的だったんだから」

 「でしょ! だから今度はゆっくり観て回りたいのよ、東京を」

 旅行は想定していなかった。

 なんだかんだ言ってもやっぱり女の子だから、華やかな大都会への憧れは持っているのだろう。

 「渋谷とか原宿を歩きたいの? それともテーマパーク?」

 「汐音はそんなミーハーじゃないよ!」

 妙なプライドを持っているのは家人に似てきたのかもしれない。

 「じゃあどこに行きたいの?」

 「神田神保町」

 「神田神保町? なんでえ」

 「古本屋さん街で本を探して歩きたいの。それと御茶ノ水でレコードも渉猟したい」

 やはり同居人の影響をかなり受けてきている。神田神保町と御茶ノ水は私の大好きな場所だ。東京滞在時には必ず立ち寄る。定宿が古本屋街の入り口という徹底ぶりだ。

 そう言えば私も東京の定番観光地には興味が湧かない。

 東京タワーやスカイツリーには未だに行ったことがない。そもそも高所恐怖所だからハナから訪れようと思わない。

 そもそも観光目的の旅は小学・中学・高校生時代の修学旅行くらいだ。

 汐音が観光スポットに興味を示さないのは、私の影響が少なからずあるのかもしれない。

 それにしても心配だ。行かせないための理由が何かないだろうか。

 「今はわざわざ行かなくても、欲しい本やレコードはネットで探せるんじゃない?

 まあ、足で探さないと手に入らないモノも沢山あるから、一度は買い漁りツアーを一緒にしてもいいかもね。

 事前に日程が判れば私はスケジュールを押えられるけど、ほかに誰か誘う人がいるの? みのりちゃん?」

 「ひとりで行くよ。ひとり旅がしたいの」

 「ひとりたびい⁉ まだひとりっきりで家から半径十キロより遠くに行ったことないだろう。乗り換えとかホテルのチェックインをひとりでやらなきゃならないんだよ。できるの?」

 「大丈夫! 時刻表の見かた、知ってるもん」

 「そりゃ時刻表は読めるだろうけど、宿を予約したり、行った先での食事場所を見つけたりだとか、なんだかんだで事前の準備が大変なんだぞ」

 「心配ないよ、おとなだから」

 「おとなって……設定年齢は二十二歳だけど、君の実年齢は〇歳だよね」

 「見た目がおとななら世間は認めてくれるんですっ!」

 「いや、まあ、そうだろうけど……でも初めての泊りがけ旅行がひとり旅とは。

 みのりちゃんを誘ってみたら?」

 「みのりちゃんは料理の勉強で忙しいよ」

 「みずほちゃん、みずほちゃんなら一緒に行ってくれるんじゃないの。訊いてあげようか?」

 「みずほちゃんは専門学校があるから無理です。

 もう、仕方ないなあ。

 じゃあダメ元でみのりちゃんに一緒に行ってくれないか頼んでみる」

 「そうしなさいそーしなさい。ダメと言われても着いて来てもらいなさい! 旅費は出してあげるから」

 みのりちゃんが同行を了解してくれるならとりあえず安心だ。

 汐音が自室でさっそく電話をかけている。

 事情を説明してみのりちゃんを納得させるのに時間がかかるだろうと思ったら、わずか一~二分で通話が終わった。

 ニコニコしながら戻ってきた、ということはみのりちゃんの承諾を得たのだろう。

 「一緒に行くって! 急いで計画立てなくちゃ」

 「良かったよかった。お土産なんていらないからね」

 「それ、大好物の東京バニラをたくさん買ってきてっていうフリでしょう。はいはい、わかりました」

 パスポートが取得できるようになったから、いつかは海外にも旅行に行きたいと言いだすだろう。

 それに比べれば東京旅行など散歩みたいなもの。心配ばかりしていては、いつまでも彼女が独り立ちできない。

 その上、みのりちゃんが付いて来てくれるなら鬼に金棒だ。

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