1-12 綱渡り

 中津川駅に戻ると2番のりばにワンマン普通 松本行きが俺たちを待っていた。滞在中に後続の快速で誘拐犯が追ってこないか心配したが、多治見駅での落雷による信号故障があったようで名古屋方面の列車は運転見合わせ中となっていた。早めに北上してきて本当によかったと安堵する。

 草津線以来のボックス席を確保し、定刻通り14:15に中津川を後にした。


 夏帆がトランプなどの様々なカードゲームを持ってきてくれたので、ババ抜きなどを遊びながら先へと進む。3人はすっかりゲームに夢中になっていたが、俺は外の風景を眺めながらゲームを楽しむ。

 南木曽を過ぎると渓谷沿いを走り、眼下に見える川は濁流となって激しく流れている。

 途中、野尻と上松では通過待ちや対向列車の待ち合わせが目的だと思われる10分前後の停車時間があり、停車中に1ゲームが終了することもあった。結局これらの列車は運休になったので、大雨のなか無意味に時間調整で待たされるのはとてももどかしい気分だった。


 木曽福島では特急しなのが運休になった影響なのか、中山道の宿場町を巡った年配客や外国人らしき観光客が次々と乗ってくる。空席が目立っていた2両編成の車内に立ち客が出始め、冷房が付いているはずなのに蒸し暑い車内の湿度がより一層高く感じた。その先も足を進めるにつれて風も強くなり、天気は悪化していく一方だ。


 そして、ついに恐れていた事態が発生した。


『お客様にお知らせ致します。この先の区間で大雨の規制値を超えましたため、この列車は奈良井駅でしばらく停車致します。新しい情報が入り次第お知らせ致します。お急ぎのところ申し訳ございませんが、発車までしばらくお待ちください』

 

 運転士からのアナウンスが流れ、山奥の無人駅での足止めに車内がどよめく。自分の都合を伝えるべく、どうにかならないかと詰め寄りに行く客も数名見られた。


「安全面を踏まえて停まっているんだから、言うだけ無駄だと思うけどな」

「このまま運転打ち切りもあり得る?」

「可能性としてゼロではないかな。ここまで来たなら、ちょっとでも動いてほしいところだけど・・・・・・」


 奈良井宿も中山道の宿場町の1つとはいえ、この大荒れの中を歩き回って宿探しをするのは勘弁だ。管轄がJR東日本に変わる塩尻まであと5駅。直通先の篠ノ井線の計画運休は18時以降を予定しているので、それまでに進んでもらいたいと願うばかりだ。

 1時間以上カードゲームで遊び疲れて全く動かない車窓にも見飽きたのか、稔は美柚の腕時計に目を向けて話しかけた。


「美柚ちゃんの付けてる時計、凄くいいじゃん。ブランドものじゃない?」


 彼女の左腕を遠目に覗きこむと、ベルトや文字盤は白を基調として秒針と数字は鮮やかな金色だ。時計に詳しくない俺でも、高級なものだと一目でわかった。


「ありがとうございます。高校生になる前にお父さんが誕生日プレゼントで買ってくれたもので、形見なんです」

「そうなんだ・・・・・・大切なものなんだね」


 美柚は少し俯いて話す。


「・・・・・・はい。お父さんは2年前の冬、家への帰宅途中にスリップ事故を起こして死んじゃったんです。なので、お母さんが一人で頑張って私を育ててくれました。お母さんは繊細な性格なので、お父さんがいなくなってしまったときは立ち直るまでかなり時間がかかりました。なのに、私がこんな目に遭ってしまって、仕事もできずに病んでしまったら・・・・・・」


 美柚は声を震わせて再び涙を浮かべる。なんとしてでも無事に家へと送り届けてあげたい。そう考えていると、稔が何か思いついたようで提案してきた。


「すぐにでもお家に連絡してあげようよ。美柚ちゃんの声を聞けば、少しは安心するんじゃないかな」

「そうですね・・・・・・でも私、今スマホ持っていないですし、番号も覚えていないです・・・・・・」


 美柚が困っていると、今朝のネット記事の写真を思い出す。彼女の母親の勤め先は調剤薬局だ。自宅の番号がわからなくても、勤務先にかければ安否の確認ができるかもしれない。


「お母さんの職場って薬局なんだよね。そこへかけてみたらどうかな?」

「頭いい!さすが春哉!」


 トランプを片付けて記事を再確認すると、店の名前は『ライラック薬局』だということが分かった。地図アプリで検索すると同じ名前の店舗が全国あり数件ヒットしたが、北海道旭川市にあるのは1件のみだ。ここが美柚の母親の勤務先に違いない。美柚に確認してもらった上で、薬局の電話番号を控えた。


「今ここでかけるのは厳しいかな?」

「うーん、車内では迷惑になるし、外は豪雨だからやめたほうがいい。早くかけたいのは山々だろうけど、せめて松本に着いてからにしたらどう?」

「わかった。営業時間が18時までみたいだから、それまでに着けばいいけど・・・・・・」

「近所のクリニックの診察時間が伸びたら、そのぶん遅くまで開いているので大丈夫だと思います。そこまで考えてくださり、ありがとうございます」


 美柚は安堵の表情を見せた。母親へ早く連絡したいからなのか、彼女は落ち着かない様子で出発を待つ。すると、運転士からのアナウンスが流れた。


 『お待たせいたしました。間もなく発車いたします。なお、この先は徐行運転を行うため、今後も遅れが増えることが見込まれます。お急ぎのところ申し訳ございませんが、ご了承いただきますようお願いいたします』


 遅れが発生してでも、目的地に向けて動いてもらえるのは本当にありがたい。奈良井で約30分の足止め後、体感的には時速30kmほどの徐行運転で豪雨の中を進んでいく。


 塩尻で乗務員が交代しても徐行運転は続き、終点の松本へ着いたのは定刻より約1時間遅れの17:43だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る