1-10 きっかけ

 俺の実家は代々高学歴で小さい頃から嫌でも勉強をさせられ、習い事を幾つもさせられた。弱音を吐こうものなら親に叱られ、問題集が解けるまで食事も与えてもらえなかった。

 親の機嫌を取るために必死に勉強し、それなりの成績をおさめて鳥取県内でも有数の進学校へと入学した。

 しかし、自分がこの先何をしたいのかは不透明なままだった。


 そんなときに出会ったのが、鉄道旅だった。


 自宅の最寄駅から高校まで、片道30分ほどかけて通学で利用していた山陰本線。毎日同じ風景の変わり映えのない列車だったが、自分をどこか違う世界へと誘う感覚に感動を覚え、この線路の先にはどのような世界があるのだろうかと期待に胸を膨らませた。


 幸い、学校行事が絡むとお金や門限の口出しをされることはなかった。そのおかげで、東京や大阪の大学へオープンキャンパスに行く名目で米子から寝台特急サンライズ出雲に乗ったり、特急スーパーはくとで関西方面を満喫したり、すっかり一人旅をするようになっていた。


 ローカル線から見る日本の原風景だけでなく、その土地ごとの風景や美味しい食事に触れることで、あることを思うようになった。


 外国人が日本の魅力に惹かれて訪れるのにも関わらず、なぜ日本人は南国リゾートや温泉、テーマパークという場所に行きたがる人が多いのか。

 海外に足を運んで他国の文化に触れることも大事だと思うが、少子高齢化が進む日本はこの先衰退に向かう一方だ。

 他の地域のことを知ってより愛することができれば、自分自身だけでなく社会全体を変えるためのきっかけを掴めるのではないだろうか。

 自分が実際に見て感じたことを、鉄道旅と併せて他の人にも届けて共有したい。そんな気持ちが強くなったのだ。


 しかし、両親は俺の気持ちなど知る由もなく、昔から医者や弁護士といったエリートコースの将来ばかりを望んでいた。

 旅行業界の就職に有利な観光学科のある大学への進学を希望していたが、なかなか自分の気持ちを伝えられずに時間だけが過ぎていった。


 結局、共通テストが終わり出願の迫ったタイミングで、意を決して両親に伝えることにした。当然、両親からは強く反対された。将来性が見込めない職業に就くなんて我々には考えられない、エリート一家に生まれたあなたがそんな道を選ぶなんて!と酷い言われようだった。反抗したものの、母親が暴挙に出た。


 俺の断わりもなく、勝手に京大の医学部に出願してしまったのだ。


 似たような状況として、人気のアイドルや役者が「元々興味はなかったが、小さい頃に親が勝手に応募して、偶然受かったから」と言っている人がいる。

 しかしその場合、才能があるからこの子は向いているかもしれない。あるいは、新しい環境に飛び込むことで弱点を克服できるかもしれない、と親が本人のことを想っての行動と言えるので、俺の場合とは異なる。


 自分のやりたいことがはっきりと決まっているのに、正面から否定されて全く違う道を押し付けられるのは耐えられない。


 憤怒した俺は、思わず手を出してしまった。


 よほど俺の胸の内にある不満が溜まっていたのか、母は頬骨を折る全治1カ月の怪我を負ってしまった。それを受け、父親から容赦ない暴力をされるようになった。


「お前のことを思ってやっているのに、そんなに私たちの言うことが信じられないのか!お前はこの家から出ていけ!二度と帰ってくるな!」


 自室の荷物を玄関から放り出され、俺は家から追い出された。あの時は実家を追い出された悲しみよりも、俺の気持ちを分かってくれなかった悔しさが勝り、喧嘩を買うように家を出て行った。

 雪の降りしきる寒い夜で、一段と強く感じた頬の痛みは今でもはっきりと覚えている。


 無断で出願された二次試験は放棄し、1年を棒に振らざるを得なかった。高校を卒業するまでは友人の家で居候させてもらったものの、その友人も広島の大学へ進学するに伴い家を離れることになった。帰る場所を失った状態で浪人生活を送ることになり、本格的に深刻な事態だと察した。


 身内がいる場所からはとにかく距離を置きたい。俺は故郷を離れて希望していた観光学科のある大阪の大学近辺で生活しようと考え、ネットカフェを転々とする生活をしていた。

 そのとき、今のアルバイト先の心優しい店主さんに拾ってもらい、勉強する環境が整ったことで、1浪したものの現在の大学に合格することができた。


 長期の休みに入ると、実家に帰省しないのか、と店主さんから頻繁に聞かれる。俺にとって両親はもう赤の他人も同然なので、お盆だろうが年末年始だろうが帰るつもりはない。正直、心の落ち着く帰る場所がある3人が羨ましいのだ。


 特に美柚はこの数か月、思いがけない犯罪に巻き込まれて、縁もゆかりもない土地で強制労働をさせられていたのだ。

 命からがら逃げてきた美柚のクシャクシャになった今朝の表情を思い浮かべると、地元愛が強く母のもとへ帰りたいという気持ちがひしひしと伝わってきた。

 身内と縁を切った以上、稔や夏帆の分も罪を背負って犯罪者呼ばわりされても構わない。美柚が愛する故郷へ送ってあげるのが、今の俺に課された使命なのだ。




・・・・・・昔のことを思い返しているうちに周囲は段々と緑が深くなり、低い雲に覆われた山々の中を列車は進んでいた。すやすやと眠る3人を起こし、終点の中津川へ13:08に降り立った。

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