1-9 少しでも先へ

 8番のりばに停車していた中央本線の快速 中津川行きの車内の様子を伺うと、階段からやや離れた車両に美柚が乗っているのを見つけた。乗り込んだのが比較的新しい車両ということもあり、新車独特の香りが車内に漂っている。


「やっと見つけた。急に走ってびっくりしたよ」


 夏帆が声をかけると美柚は一瞬ビクッとしたが、俺たちの顔を見ると怯えながら口を開いた。


「・・・・・・あの、乗るまでの間に怪しい人はいませんでしたか?黒縁の眼鏡でヒゲが濃くて、真っ黒なポロシャツを着ていた小太り体型の40代くらいの人です」


 車内やホームを見渡すものの、それらしき人物は見当たらない。特にいなかったと伝えると、彼女は胸をなでおろした。


「よかった・・・・・・さっきコンコースで見かけたその人が、私を誘拐した犯人です」

「ええっ!」

「美柚ちゃんを連れ戻すために、遥々名古屋まで来たってことか?」

「だとしたら、どうしてここにいるって分かったのかな?」

「わかりません。スマホはあの犯人に没収されてしまったので、GPSで私たちを追うこともできないでしょうし。なぜ居場所が分かったのでしょうか・・・・・・?」


 美柚が逃走したことを知れば、本来なら近場を当たって探すはずだ。

 大阪から名古屋までは新幹線や近鉄特急を使えばすぐに駆けつけられるとはいえ、犯人からしたらまるで俺たちがここに来ることを知っていたかのようだ。

 新幹線が運転見合わせになる前に来たとすると、事前に名古屋へ先回りしていたのだろうか。


「とりあえず、いま動いている路線がだいぶ限られているとはいえ、俺たちの動向をどこかで探られなければきっと大丈夫だ」


 その後も犯人と証言する人物が乗り込むことはなく、無事に11:45に名古屋を後にした。車内は東海道本線の振替で乗った人もいたため隣の金山まで乗車した客も多く、大半の客は街の中心部に近い千種ちくさまでに降車していった。


「犯人も美柚ちゃんを狙ってきているのに、この列車を選んだってことは、何かいい方法があるの?」


 千種ちくさで横並びの席が3人分空いたため先に座らせると、夏帆が今後の経路を問いかけてきた。


 現在乗っている中央本線は名古屋から長野県に向かって北上すると、途中の塩尻から南下して新宿、東京へと至る路線だ。大回りになってしまうが急がば回れと言うし、新幹線も東海道本線が止まっている現状ではこのルートを選ぶのはやむを得ないだろう。


「まあ、あのまま名古屋で足止めされて、美柚ちゃんが狙われるよりはいいんじゃないか?」

「今日の首都圏の路線は既に計画運休が決まっているみたいだし、とにかく進めるところまで進もう」

「よかったね、美柚ちゃん」

「はい、少し安心しました」

「このまま終点まで乗り通すみたいだし、少し休んだらどう?目をつぶるだけでもだいぶ違うと思うよ」

「そうですか?それじゃ、お言葉に甘えて少し休みます」


 目をつぶって程なくして、彼女は寝息を立て始めた。


「・・・・・・やっぱり疲れていたんだな」

「なあ、終点まで俺も寝ていいか?」

「ああ。荷物は見てるから、夏帆も休んでいいよ」

「春哉は?」

「俺は電車の中だと車窓や走るモーター音が気になって、眠れないんだ」

「ふーん、なるほど。それじゃ私たちも寝てるね。着いたら起こしてね」


 俺に言われるがまま席にもたれると、残りの2人もすぐに眠り始めた。名古屋の郊外はベッドタウンとして住宅街が広がっており、少しずつ乗客を降ろしていく。通り過ぎる街並みを眺めながら、悪気なく美柚に聞かれた質問を思い出し、胸に刺さった感覚を思い出す。


 ―春哉さんも、この夏は帰省されるんですか?


 実家に勘当された俺に、帰るべき故郷はないのだ。

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