第6話  オノ 2

 


 コミネはどちらかというと華奢な体格だ。

 それなのに。

 ぱあんと乾いた力強く高い音は廊下にまで響いた。

 クラスが一瞬、しんと静まり返る。廊下で見ていた俺も唖然とした。


 直後に休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 これからどういうことになるのか、結末まで見届けたかったが、後ろ髪を引かれる思いで自分のクラスへともどる。胸の奥がどきどきとしていた。


 ……やるじゃんコミネ。


 そのあと、どうなったのかは詳しくは知らない。だけど、それ以降はコミネへの嫌がらせはんだらしかった。しばらくの間は、コミネが頬を張った話が水面下で回っていた。






 高校の入学式。


 陽に透けると燃えているようなオレンジ色。そんな茶色の髪を見た。コミネだ。


 俺はといえば、第一志望校にものの見事に玉砕した。

 親に「私立はムリ」といわれた二次試験での入学組。


 まさか、コミネがここにいるとは思わなかった。

 コミネは成績が良かったから、てっきり進学校に進んだものとばかり思っていた。


 そのあとコミネとは、なぜか軽い挨拶のような合図を交わすようになった。無視をするのは気まずく、かといって気軽に話しかけるほどの間柄でもない。たぶん、コミネもそう考えたのだろう。


 だけどそれはなんだか、ふたりだけの秘密を持ったようなくすぐったい感覚だった。俺とコミネだけの合図。


 いつからか。


 コミネを目で追うようになっていた。




***




 「そうそう、コミネさんのとこ、お祖父さんの国に移住するんだって。お母さんね、昼間、そこの商店街でコミネさんのお母さんに会って。そしたらね、もうすぐ引っ越すからって挨拶してくれたの」


 「……なにそれ? なんの話?」


 ぼんやりとテレビを見ながら聞いていたせいもある。

 キッチンで夕食の支度をしていた母さんが話したことは、なんのことだかよくわからなかった。


 「ほら、高校も一緒のコミネさん。一家で外国に移住するんだって」


 「は? ……コミネが? え?」


 「なんかね、お祖父さんの親族が経営してる会社をね、コミネさんのお父さんがあちらに移って本格的に引き継ぐんだって。けっこう前から決まってたらしいわよ」


 「え……」


 「なに? あんたは聞いてないの?」


 「……」


 「まあ、別に、あんたにわざわざ話すことでもないか……」


 「いつ?」


 母さんの言葉を遮った。


 「いつ越すって?」


 包丁を動かす手を止めて、俺の勢いにすこしばかり驚いていたようだったけど。


 「……ああ、ええとね、夏休みに入ってわりとすぐだったと思うけど」


 そう教えてくれた。




***




 『ありがとう』の意味はすぐに解った。

 そのまま、伝えた好意への感謝だけ。


 生まれて初めての告白は、あっさりと終わった、のだろう。たぶん。


 『好き』以上のことは言わなかった。

 それ以上のことはないのを、なんとなく理解していたからかもしれない。


 ただ、気持ちは伝えたかった。

 こんな衝動は自分でもよくわからなかった。


 気持ちを伝えたあとに訊いた『引っ越すんだろ?』。


 コミネは態度をへんに変えずに、普通に話してくれた。気まずくはなりたくなかったから、そこはありがたい。

 そんなところがやっぱりコミネだなぁ、と思ったこと。それと、全然意識されてもいなかったんだと、改めて告げられたようにも感じたことに、ほんの少しだけ苦く思ったことは憶えている。


 コミネと別れたあとに、ドラッグストアで髪のブリーチ剤を買った。 


 ワイヤレスのイヤホンから流れていたのは、ウェットなギター音。ベースと一緒になってグルーヴを刻むドラム・ビート。ハスキーボイスで歌い上げるボーカル。




 コミネはこんな音楽ロックなんか聴かないんだろうな。


 なんとなく、そう思った。





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