第4話  サチ 2



 美術の課題が終わらずに居残りになったナオコを、放課後の空き教室で待っていた。

 ナチと教室の床に寝ころんで、窓の外の夏の空を眺める。

 青色をこれ以上はないくらいに濃縮した濃い空は、どこまでも広がっているように思えた。


 校舎には冷房が入っているはずだった。だけど、とても効いているとは思えない。

 じわりと首筋に汗が伝う。


 ナチに進路希望調査は出したのかと尋ねると、「ん」と短い答えが返ってきた。


 校庭からは運動部のわけのわからない掛け声が、窓を閉めているこの教室にまで届いてくる。


 進路はどうするのかと訊く。「一応、進学でだした」と返ってきた。わたしも同じだと答える。


 夏休みはもうすぐだった。


 床についた背中が熱くなり起き上がる。ナチはまだ寝ころんで目を閉じていた。


 黒い肩までの髪が床に広がる。白い耳たぶにはカットバンが貼られ、ピアスを隠している。


 夏休みには進学希望者を対象とした補習授業の予定があった。

 この学校に通うのも、その補習で最後になる。


 「夏休みの補習には出るでしょ?」


 「サチが出るなら」


 ナチは軽く答えた。


 ……嘘つき。


 ナチを見つめながら、寝ころんでほつれてしまった髪をほどいてゆく。

 目を開けた焦げ茶色の瞳と視線が合った。


 「なに?」とナチ。


 「うそつき」


 軽く返す。


 「なんで?」


 「カシワギが理科を教えるからでしょ?」


 視線をそらしたナチは両腕を上に伸ばした。


 「そこまでバカじゃないよ」


 嘘つき。


 「バカなくせに」


 「そんなにバカに見える?」


 「はたから見ればね」


 「ふん」


 ナチはそんなのはどうでもいいというように、鼻で嗤った。


 「サチだってバカでしょ?」


 再び視線が交わったまっすぐな焦げ茶色の瞳に、一瞬、どきりとする。

 絶対に見つからないと思っていた場所に隠していた、宝物を見つけられてしまったみたいに。


 ……どうして、カシワギなんだろう。


 ナチの瞳に吸い寄せられるように顔を近づけた。ナチの頬にさらさらと落ちる髪。陽光に透けて、我ながら炎みたいだと思った。


 途中でナチの両手が頬を挟んで、それ以上の侵攻を止める。


 「そういう迫り方はスーツにしなさい」


 そう言われて、そんなことになっていたと思い出す。


 ナチに彼氏はいないのかと訊かれたときに「いない」と答えた。すると今度は、気になっている人はいるのかと訊かれた。毎朝、駅の上りのホームでマイクを片手に声を上げている制服の駅員を思い浮かべた。


 『上りのホームの制服スーツの人』そう、答えた。


 「予行演習だよ」


 「バーカ」


 ナチが呆れたように笑った。


 「そうだね……。バカかもしれない」


 そう答えたわたしは、きちんと笑えていただろうか。





***




 オノとは小学校から一緒だった。


 ただ家が近所だというだけで、特別に仲がいいわけでもなかった。同じクラスになったこともある。だけど、会話をする機会は多くはなかった。幼馴染というほど気安くもなく、かといって顔を知っているだけというほど他人でもない。


 高校の入学式でオノの顔を見たときには、妙なことに連帯感のようなものを感じた。それはオノも同じだったらしい。たまに電車でったり、廊下ですれ違うと、軽く手をあげて合図を送り合った。


 オノから告白されたのは、夏休みに入る一週間ほど前だった。


 学校帰りに駅のホームに降りるとオノがいた。いつものように手をあげて合図をすると、オノは珍しく『話があるから、一緒に帰ろう』と言った。



 夏の夕暮れの商店街は夕食の総菜の匂いだった。

 オノが、ぽつりと『好きだ』と言った。

 わたしは驚きながらも『ありがとう』と答えた。






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