第四章 自然の摂理 2.旅立ち --13年5ヶ月経過--

 今日はこの橋の下で鮭の燻製を作りながらビバークしよう。

 夕方、遡上する鮭を網で捕まえた。イクラを取り出してサッと熱湯に通して醤油に漬ける。本によると食感が多少落ちるものの、アニサキス対策としては万全らしい。夢も希望もないからいつ死んでも良いんだが、寄生虫でのたうち回って苦しむのはごめんだ。

 アウトドア用クッカーをたき火にかけて玄米を炊く。炊き上がったらクッカーのまま、少し冷ましてから上にいくらをかけていくら丼の完成だ。酢飯でないのがちょっと残念だが久しぶりの丼物だ。


 人がいなくなって10年もすると、こんな川にも鮭が上ってくるようになるんだな。すごいことだ。

 たき火をしながら鮭を燻製にする。もう冬だし、2日ぐらいは食べられそうだ。海に行く前に海魚…… 鮭って海魚かな? まあ良いか。いつもの川魚と違うものが食べられて満足だ。


 待てよ、鮭の季節には遅すぎるんじゃないか? なぜ今遡上している?

 気温が測れるアウトドア用腕時計で測定する。結構暖かいな。あれか? 地球温暖化か? 人間が活動を止めても結局温暖化は止まらなかったってことか? ますます虫と植物が繁栄するな。

 あと、アレだな。温暖化してるとすると、冬だと言っても爆弾低気圧とかは気をつけないといけないかな。


 もう無線はノイズしか聞こえない。機械が自動で発信しているデジタル音も聞こえなくなった。

 気象衛星NOAAの信号も受信できなくなった。NOAAの電池の寿命が尽きたのかな。軌道が低いから薄いながらも空気抵抗があって寿命が短いのかも知れない。天気の予想ができなくなったのでとても不安だ。

 GPSはまだ全滅していないが、正常に稼働している衛星の数がだいぶ減ったようだ。最近はナビを起動しても『受信確認中』の表示が出て地図が表示できないことが多くなった。

 ただ、受信状況表示画面で時刻というか日付が解るので助かっている。

 GPSが弱ってると気づいてから、毎朝カレンダーに印をつけて日付を忘れないようにする習慣を作った。カレンダーはパソコンで100年分作った。インクが劣化したら100年後に読めるかどうか解らないがな。だいたい俺がそんなに生きているはずはないが。


 そう、50歳までカウントダウンに入った。昔は人間五十年って言ってたそうだ。結構頑張って生きたな。ここまで一人でよく頑張ったよ。ホントに。




 電気製品はどんどん使えなくなった。太陽光発電パネルも出力が落ちた。蓄電池も弱ってすぐに電気がなくなる。

 たった10数年で? いやいや、俺が使って13年だ。製造年はもっとずっと前だからな。中古だから利用できる期間が短いのは仕方が無い。


 乾電池も使えるものが減った。未使用なのに液漏れを起こしているものが多いんだ。

 ガソリンもほとんど無い。駐屯地のガソリンは使い切った。古い車から抜いても劣化していたり、雨水が混じっているようで上手くエンジンがかからない。水抜き剤とか使ってみたが、そもそもこの水抜き剤も相当古いぞ。

 ガソリンスタンドのタンクから頂戴しようかと思ったが、やり方が解らなかった。電気なしでどうやって地下のタンクから汲み上げれば良いのか、さっぱりアイディアが浮かばなかった。いくつかのスタンドを回ってみたが、マニュアル類も見つからなかった。お手上げだ。


 住んでいたホームセンターにあったカセットガスは全部使い切った。一時期、他の店からも調達していたが、中身が半分ぐらいに減ってたり、錆びてる缶を見てから使うことを諦めた。

 プロパンガスも手頃なサイズのボンベは使い切った。大きいのはまだあるが、運び方がよく解らない。むかしテレビで回しながら運んでいるところを見たことがあるが、うろ覚えで自分ではできなかった。


 5年目から屋内農場の収穫は減っていった。原因はよくわからなかった。連作障害って奴かもしれないし、肥料が強すぎたのかもしれない。9年目には何かの幼虫に根っこを食われていた。あの関東大震災? があった年だ。気づくのが遅れて大量に枯れてしまった。外で土作りしているときに紛れ込まれたんだろうな。

 去年はいろんな虫が大量に発生して外はパニックになった。屋内農園にも入り込まれて作物は全滅した。当然、外の畑も全滅だ。


 遠くの農協やホームセンターまで遠征して種とか種芋とか、種籾とかをかき集めた。10年寝かせた有機肥料も調達した。虫の死骸で詰まった農業用水のパイプとホースも掃除したり交換したり頑張ったよ。

 そして今年の春、屋内農園を再建した。そして半年、収穫を楽しみに備蓄と川魚だけで食い繋いだ。だがなぜかほとんど実らなかった。照明が暗いからかな? 素人の俺には原因なんかわからないし、究明しようなんて気力も沸いてこなかった。


 何か農業再生の糸口はないかと、手当たり次第に本を読んだ。そしたら、古気候の本に興味深いことが書かれていた。


『同じ面積の土地であれば、狩猟採集のほうが維持できる人口は少ない。その代わり、人口が少なく自然が豊かでさえあるなら、狩猟採集民の方が少ない労力で多くの食料を得られる場合が多いらしい』

(人類と気候の10万年史 中川毅 講談社)


 サバイバルを始めた頃に一度読んだ本だ。そのときは農業をするっていう先入観があったから、『農業するとたくさん食料が手に入るんだ』って解釈したけど、今なら解る。俺1人しか居ないんだから、農業なんて苦労が多いことしなくても、食べ物探して移住すれば良いんじゃん。

 もっと早く気づけよ。


 そういうわけで、俺はホームセンターという楽園を捨てることにした。もう農業はできない。やる必要も無かった。備蓄も尽きる。人類の英知、長期保存食も限界を超えた。エネルギーは遠からず尽きる。原始的な狩猟採集生活で生きられそうだから、それで良いだろう。


 そう考えたら多摩に住み続ける必要も無いと気づいた。生まれ育った土地だから愛着はあるが、もっと自然の食料が調達しやすい場所に移住しよう。

 動物はいないから、狩猟の対象は魚だ。川魚はもう飽きた。海に行こう。


 海ならどこがいい? 船は操縦できないから沿岸漁業になる。漁業って行っても釣りと銛とちょっとした仕掛けぐらいだろうな。

 広い砂浜では漁がやりにくそうだ。ある程度岩場のようなところの方が良いだろう。

 そうすると、茨城と千葉の太平洋側、それに湘南はないな。茨城には原子力施設もあるしな。

 三浦半島も自衛隊と米軍の基地があるからいつ爆発するか解らん。原潜とか原子力空母があったら放射能漏れも時間の問題だ。いずれ東京湾は汚染されるな。


 思いついたのは熱海とか伊東、伊豆の東海岸だ。魚もたくさんいるし、温泉がある。山が多くて平地が少ないから、バッタのような虫は少ないんじゃないだろうか。そんな淡い期待を抱いて。




 そんなわけで俺は今、伊豆を目指して旅をしている。虫がいない、台風が来ない、汗をかかない冬を待って旅に出た。


 移動手段は自転車だ。大きな荷台を付けて旅に必要な道具と食料と水を積んでいる。荷物で一番多いのはCDとDVD、ブルーレイだ。

 大概のものは道中でも、行った先でも調達できるだろう。代用品でも良いい。プレイヤーも探せば状態の良いものが手に入るだろう。

 だが、気に入ったソフトは同じものが手に入るとは限らない。特に、80年代ロックとか、フルトベングラーのワーグナーとかはどこの店にでもあるってもんじゃない。だいたいCDショップが少ないしな。


 そうそう。思い出した。

 戦時中、南方の島で貸本屋をやって食いつないだ部隊があったって話を聞いたことがある。

 隊長は補給が入らないことに気づいていたらしいんだな。日本を出るとき、部下に装備品を全部捨てさせて、ありったけの本を持たせたらしい。他の部隊の兵に本を貸して、代金として食料をもらって食いつないでいたそうだ。食料って言うのはアレだ。現地で調達する動物、果物、芋、魚なんかだ。

 結局、人間って言うのはこういう文化って言うか、娯楽って言うか、そういうものが無いと生きていけないのかも知れないな。大事な食料と交換で本を借りるなんてな。


 あ! もう一つ思い出した。

 団地の部屋に大事なソフトを長期保管したんだった。今から取りに帰るのもなー。ま、いっか。忘れていたぐらいだからな。この10年ぐらいで好みも少し変わったしな。


 自転車は乗ると言うよりは荷車代わりに押している。三輪車や荷車ではなく自転車を選んだ理由は、事故を起こした自動車で道が塞がれているからだ。二輪の自転車ならばわずかなスペースで通過できるだろうと考えたからだ。

 だがちょっとしくじったかも知れない。自転車を押すときは、自転車側に体が傾くんだよな。なんか変な疲労感とか痛みがある。いつも自転車の左側に立っていたが、最近は日替わりで右側にも立っている。だが、右側に立つっていうのは慣れてなくて推しにくい。結構辛い旅だ。


 道はひどいものだ。どこの道もアスファルトにヒビが入り、草が生えている。マンホールの蓋の縁とか、縁石のつなぎ目とか、そこかしこから草が伸びている。この草の根がさらにアスファルトやコンクリートを割っていくんだろうな。

 そして土埃と落ち葉、枯れ草が積もっている。その上に新しい草が生える。あと数年でどこが道か解らない、完全な野原になりそうだ。

 沿道の建物も崩れていたり、植栽がはみ出したりしていて、歩道ですら通れないところがある。『戻って迂回』は常にやっている。


 もう一つ心配なのが工場周辺の汚染だ。保守されていない設備が大小の地震や強風でどんどん壊れていろんな物質が漏れ出していると思う。だから、今回の旅も遠回りを覚悟で工場が多い地域を避ける道を選んでいる。

 それでも意外なところに工場とか産廃処理場があるものだ。何の工場なのかいちいち確認しないが、そういう所はマスクとゴーグルを付けて早く通り過ぎるようにしている。今のところ健康被害はない。


 道の確認も大変だ。紙の地図で現在地を確認しようにも、ランドマークが見当たらない。

 時々地図が表示できることがあるからDVDナビを持ってきている。それで確認したら平均して1日10km程度しか移動できていない。ホントに大変な旅だよ。


 なぜそこまでして行くのか? 温泉だよ。温泉! あと海魚も食べたい。エビとかカニが食えないかな。貝も良いな。

 得意の妄想をエネルギーに変えて俺は新天地へ行くのだ!

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