不完全令嬢の運命劇④
「分かりました、それでは……よろしくお願いします」
彼女がそう言うのと同時に彼女の雰囲気が一瞬にして変わってみせる。
あくまでもほんの一瞬。
一秒にも満たない短すぎる時間だけで、彼女はこの空間を支配してみせた。
「……?」
動かない。
私を見たまま、固まってしまったかのように雪鶴は動かない……否、動こうとしないのです。
まさか、こんな土壇場で臆してしまったのでしょうか?
――いや、まさか。
彼女の眼は私ではなく、私の後ろを見ていた。
後ろには当然、誰もいない。
だというのに、目の前の彼女は後ろに誰かがいるように振る舞ってみせたのです。
「――ッ!?」
だから、彼女の視線に合わせられて何もいないはずの後ろに目を向けさせられてしまうのです……強制的に、無意識的に、反射的に。
この部屋には私達以外の存在などいやしないというのに、私は視線だけで彼女の演技の術中に嵌まってしまったのです。
「お姉様! 私が売ろうと思うのはメヒカリちゃんです! ほら、今お姉様の後ろに立っているでしょう?」
背後に向けた視線を彼女の方にへと向き直すと、そこにあったのはためらいのない自信に満ちた目。
噓偽りを述べているような目ではないくせに、堂々と彼女は嘘をついていた。
「あぁ、すみません。メヒカリちゃんは気配を隠すのが得意でしてね。私とは10年もの間友人関係だったんですよ。俗に言う私だけのイマジナリーフレンドですね!」
――ありえない。後ろには何もない。何も来ない。何も見えていない。
だというのに、私の後ろの空間に何かが生まれてくるような予感が――恐怖心と好奇心が私を支配してしまっていたのです。
「メヒカリちゃんは宮崎県で穫れる深海魚であるメヒカリの仲間でしてね! 何ですって? メヒカリを知らない? なんとそれは勿体ない! あれは唐揚げにすると本当に美味い! ほろほろと崩れる白身に、火傷してしまいそうなほど旨味が凝縮された脂! それに宮崎県産の柑橘類であるへべすをかければ絶品なんですよこれが!」
彼女がメヒカリちゃんとやらの存在を話すにつれて、私の後ろに何が蠢いている錯覚が段々と濃くなっていく。
何故? 彼女はただ喋っているだけではありませんか。
人前で演説するかのように両手を動かしているだけでその場から動いてすらもいないし、表情にも変化は見られていないというのに、私は彼女の演技に魅せられてしまったのでした。
「ところがですね、メヒカリは小さい! とても小さい! 1匹あたり人差し指ぐらいのサイズでしてね。もちろん、小さいことによるメリットもございますが、大きいことに越したことはございません!」
……目だ。彼女の目が動き回っている。
表情はセールスマンが浮かべるような愛想笑いだが、彼女のせわしなく動き回る視線の一挙一動が彼女だけの空間を作っている。
知らず知らずのうちに私は彼女の動き回る視線を追いかけている間に、彼女が支配する空間に迷い込んでしまっていたらしいのです。
「ですので! そんな問題を解決するのがこちらの商品! 私のイマジナリーフレンドのメヒカリちゃん! 人差し指サイズのメヒカリを人間大サイズにした商品でございます!」
――何かが、私の後ろで蠢いた気配がした。
再度振り返って後ろを確認してみるが、そこにはやはり何もいない。
……いや、それはおかしい。
だって、私が目に見えていないだけでその空間には絶対に何かがいる気配がしているのだ。
――何かが、いる。
物理的には存在しえないはずなのに、何かがいる。
いるとするならば、それこそ彼女の言う人間大サイズのメヒカリちゃんと呼ばれる存在に他ならないでしょう。
「まぁ、商品的な欠陥はございます。というのも、通常のメヒカリと比べてメヒカリちゃんは生命力が人間並み! 簡単に死にやしません……が! どうかご安心を!」
彼女がそう言うと、手に持っていた銃を私の方に向けて――撃った。
いきなりの銃音で意識が持っていかれそうになると同時に、私の頭の中は疑問符で埋め尽くされる。
「たかが人間程度の生命力! 頭を撃たれれば簡単に死にます!」
「――は?」
おかしい。
彼女はいつの間に銃を持っていたのでしょう?
いや、そもそも、あの銃は本物なのでしょうか?
本物ではないはずだ。
だって白煙が出ていない。
であるのであれば、先ほどの鳴り響いた銃音は幻聴とでも言うのでしょうか?
「……なるほど。そういう事ですか」
数秒の間考えて、私は彼女のトリックに気が付いた。
先ほどの芸当は恐らく視線誘導。
私が後ろの気配に気を取られている間に彼女は銃を何らかの形で用意したのでしょう。
聞こえるはずがない銃音に関しては恐らく……足で鳴らしたもの。
私が彼女の上半身に意識を奪われている間に、見えていない下半身の足で思いきり床を踏みつけることで銃音のような音を再現したのでしょう。
もっとも、床を踏むだけでそんな音が出るはずもないのですが、これに関しては、彼女が手にしていた銃という小道具による存在が大きいと予想がつきます。
何かしらの大きな音が出たから、脳がそれを銃の音であると短絡的に考え、私はそう錯覚したのでしょう……タネさえ分かれば、なるほど簡単な手品としか言いようがありません。
だが、その手品を即興で組み立てられる人間が一体この世界に何人いるのでしょう?
そして、それをたったの数秒で構築してみせた彼女の演技のセンスに私は興味を覚えていたのです。
「いや、驚かせてすみませんね。後、難点を言うとすれば解体が面倒なことでしょうか。実際この包丁で切らないと難しくてですね」
……私が彼女のトリックについて考えている間、彼女は既に銃を手放して魚でも解体するのか包丁を手にしておりました。
もちろん、その包丁は演劇にも使われるような模擬包丁で本物ではありません。
それにタネさえ分かってしまえば、彼女の視線誘導による演技の面白味は半減するもので、実際、今度は彼女の銃と包丁を入れ替えるその瞬間を目の当たりにすることが出来てしまって、いささか興醒めではありましたが……さて、次は何を魅せてくれるのでしょう?
まさか、あれだけで終わる訳がないでしょう?
「さてさて! ではこれから解体ショーに移りたいと思います! 世にも珍しいメヒカリの解体! 人間大サイズの解体ですので、飛び散る血だけにはどうかご注意を!」
彼女はそう言いながら、すたすたと私の後ろの方にへと向かっていく。
何をするつもりでしょう?
ただ解体する演技をするだけでは、余りにも面白くもありません。
私は知らず知らずのうちに、彼女が何か奇想天外な事をやらかしてくれるのではないのかと期待し始めていることに気付いていて……内心で舌打ちをしてしまっていた。
「さて、それでは私のイマジナリーフレンド! メヒカリちゃんの解体です! 解体中はどうかお静かに! 手元が狂ってしまって大惨事になっても知りませんので!」
ざくざくと彼女は包丁を何もない空間……彼女だけに見えているのであろうメヒカリちゃんを切り込んでいた。
目は狂気的にぎらぎらと輝き、動揺でもしているのか瞳孔が大きく揺れている。
セールスマンのような愛想笑いが張り付いた仮面のようであり、機械のように正確な解体の鮮やかさは恐怖をも感じさせるのは何故なのでしょう?
……汗をかいている。
見ている私だけでなく、演技をしている彼女も。
恐らく、死に際で抵抗しているメヒカリちゃんを手で抑え込んでいるからでしょう。
どんな動物でも、死ぬ前……いや、殺される前には抵抗して当然。
だから、彼女の腕は青筋が立てながらメヒカリちゃんの抵抗をあざ笑うように抑え込んで、容赦なく解体しているのでしょう。
だが、彼女が汗を流す理由はそれだけではないと思えたのです。
何故なのでしょう……そう考えて私は1つの答えに辿り着きました
――人間を、イマジナリーフレンドである友達を殺したからだ。
人殺しをしておいて、友人を殺しておいて、何の感情も抱かないようであればそれはただの機械であって、人間ではないのです。
故にこそ、こうして生命を殺した彼女は以前の彼女には元には戻れない。
……イマジナリーフレンドを販売した彼女は、その友人を殺して昂っている彼女は、もう二度と愛想笑いを浮かべて商品を売る存在には戻れない。
人を殺した人の感情なんて分からない。
だって、
そんなものに共感出来る人間なんてそうそういてたまるものですか。
だというのに、彼女の噓偽りは殺人現場を目撃しているかのような錯覚を覚えさせる。
人を殺すことはこういう事を意味するのだと、彼女は無音で雄弁に語っていたのです。
――だから、目を離せない。瞬きが出来ない。
固唾を飲んで、目の前で起こる殺人が終わるのを見守ることしかできない。
私は彼女を見極めるという役割すら忘れて、彼女の演技に魅入ってしまっていたのです。
「……はい! これで解体は終わりです! 見てくださいこの白身! 美味しそうでしょう? 味も一級品! お値段も一級品……といきたいところですが、ここだけ! ここだけの話です! えぇ! こんな私の実演販売に付き合ってくれたお客様だけの特別です! 10万円の価格をなんと! 1万円! 1万円で販売致します!」
この少女は本当に人を殺して、それを演技に取り入れたのでしょうか?
そう思わせるぐらいに、彼女は人型の解体に手慣れて……いえ、手慣れ過ぎていたのです。
本当に、劇団に所属したことがない?
本当に、人を殺したことがない?
嘘です。ありえません。
絶対に彼女は嘘をついている。
もし、それが本当に嘘でないとすれば、彼女は正真正銘の怪物としか言いようがないのです。
「……化け物……」
こんなにも蒸し暑い真夏の夜だというのに……この真冬の夜のような、首元に刃物を突き立てられたような冷たすぎる錯覚は何なのでしょう?
もしや私は今、目の前の少女に恐怖しているとでも言うのでしょうか?
何年も舞台の上に立ち、幾人もの演技を見てきたこの京歌・エークルンドが、あんな人間に――?
自分の頭が彼女の演技についてこれない。
即興劇なんて何度もやったし、何度も見てきた。
そんな私が彼女の演技についてこれていないのです。
彼女がやろうと思っている行動を冷静な感情で見極めることが出来ていない。
恐怖が。驚きが。興奮が。嫉妬が。
複数もの感情が真夏の太陽の熱気のように私の身体を包み込んでいて――私は手錠をされたままだという事も忘れて拍手をしてしまっていた。
ぱちぱちと自然的に発生してしまった拍手を受け、演技をしていた彼女の動きを鈍らせ、ついには彼女の纏っていた雰囲気を脱ぎ捨てさせてしまっていたのです。
「――え? あの、その……まだ演技中なんですけれど……あれ……!? もしかしてもうやるなってことですか!?」
「――あ。ち、違いますわよ!? これは、その、えぇと……下手過ぎてつい拍手が……う、う、噓ですわ! でも、私の方が演技が上手いに決まっていますわ!」
苦し紛れの言い訳を口にして、私は彼女と入れ替わってもいいのかもしれないと認めたのでした。
……本当は認めるしかなかったと言うのが、実のところ一番正しいのですけれども。
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