不完全令嬢の運命劇④

「ですから、お姉様のお父様と私は共犯関係にありますから」


 そう言いながら、彼女は国際電話にかけたスマホを私の口の近くに近づけてくる。


 もっとも、今の私は手錠をされっぱなしなのでこうでもしないと電話を出来ないので、彼女の行動はありがたいと言えばありがたいのですが、その行動の隅には余裕のようなものが漂っているようにも見えて大変に気分が悪いのです。


『あ。ケイカだ。おはよう。元気してる?』


「……っ、お、お父様……」


 父の声を、スウェーデン語を、久々に聞いた気がします。


 ほんの数日離れていただけだというのに、懐かしい声を聞いて安心を覚えますが、そんな感傷に浸るよりまず先に聞かねばならないことがある。


 父に、安国寺雪鶴のことについて聞きださなければ。


 私は久々に日本語ではなく、スウェーデン語で父と電話をする事にした。


『おはようございます! そんな事より何ですのあのクソ女は!?』


『あ、もしかしてユヅルさんのこと?』


『ですわよ! 否定して欲しいのですが、お父様が今回の件を安国寺雪鶴に頼んだというのは本当ですの!?』


『あぁ、うん。それは確かにユヅルさんに頼んだよ?』


『お父様!? 何を勝手なことをやらかしになられておりますの!?』


『いやだって、ケイカのことだからそういうのを提案してもやろうとはしないだろう?』


 流石、私の父親をやっているだけあって、私の性格を重々承知しているようでございました、ク……いえ、流石は私の父親。


 私は人一倍負けず嫌いなところがありますので、無理だろうから止めなさいと言われてもやってしまっては自爆してしまうという悪癖が昔からございます。


 ですので、留学する前に入れ替わりの話をされていても、私の事だからどうせ否定していたに違いなかったのですから、悔しい事に父の目論みは外れていなかったのです。


『やる訳がないに決まっておりましてよ! お父様! ご自分が何をやらかしになられたのか気づいてないのですか!? お父様もあの女も頭が狂っておりますわよ! 何を考えたらこんなことをしでかそうとお思いになられるのですか!』


『まぁ、いいじゃんいいじゃん。確か、何だったかな……? あぁ、そうそう! 父の言いつけに背く娘は死刑とする! そうそう、この台詞だった!』


『……のイジーアスのような台詞を言わないでくださいまし』


『だって、その台詞だったからね。でも、今の君たちは取り替えっ子チェンジリングが原因で仲違いをしているオベロンとティターニアのようじゃないのかな?』


『では、何ですか? 私は最終的にはこんな頭がおかしい狂人と仲直りする訳ですの?』


『ならないの?』


『なりません!』


 父と話すとやはり疲れてしまいます。

 相手にペースを握らせないようにのらりくらりと話す様は、まるで目の前にいる安国寺雪鶴に似ているなと不思議に思いますし、父と彼女が秘密裏にこういう事を企画したのも、こうして波長か何かが合ったからというのも関係しているのかもしれない。


 そう思うぐらいに、と感じたのは……何故なのでしょうか。


『あぁ、そうだ。僕の口座は好きなだけ使っていいからね。口座番号は覚えているよね?』


『あのですね、お父様。家族とは言えそんな大事な個人情報を言うべきではありませんわよ』


『ケイカの生年月日だよ?』


『私の稼いだお金で生活しますので結構ですッ!』


 ……やはり、この人の相手は疲れます。

 しかし、父の声音はいつもよりも高いような気がするのは気のせいではなく、恐らく、久々の一人娘との会話で嬉しくて興奮でもしているのでしょうか。


『でもね、ケイカ。君にはのんびりする時間が必要だと思うんだ』


『のんびり? こんな女とのんびり一緒にいてそんな感情が芽生えるとはとても思えませんが』


『まさにそれだ。最近のケイカは年中苛々しっぱなしだ。気持ちは分かる、痛いほどにね。母さんもその時期があった』


『……お母様も?』


『ブランクという訳じゃない。そういう出来ない時期が来てしまうというのは母さんから聞かされている。全盛期の自分を観客に魅せられないもどかしさ。観客の期待を裏切ってしまったという不安。慌てて、余裕がなくなって、苛々して、絶望して……まるで悪循環だ。そしてその悪循環の先に娘の自殺しようとしていた時の父親の気持ちが君には分かるかい?』


『……それは、本当に……申し訳ありませんでした』


 実を言うと、私はスウェーデンにいた時、演劇をまだやっていた3年前に自殺を試みようとしていた事がございました。


 結果は自殺未遂に終わったものの、それをきっかけに私は学業に集中したいという建前で演劇を休業することになったのが事の顛末。


『……過ぎた事だ。こうして1人暮らしをさせるぐらいには僕はケイカの事を信頼しているつもりだよ。だが、どうしても信頼しきれない自分が胸の内にいるのも確かだ。それは分かってくれるかな?』


『……そこで安国寺雪鶴という訳ですか』


『その通りだ。もっとも、最初は監視の意味合いで同棲させるだけに留めるつもりだったんだが……どうも編入試験に向かう際にトラブルがあったとユヅルさんから報告を受けてね。それで替え玉受験させることを僕が決めた。どうせサメ映画でも見て寝不足だったたんだろう?』


『そ、そんな訳ないじゃないですか! それにそんなことでこんなにも心配するだなんて、お父様は相変わらずの親バカですわね』


『親バカ? 大いに結構。娘の死に顔を見るぐらいだったら、娘の笑顔を見た方がずっと良い』


 父は軽い口調で言っておりますが、その一言一句が余りにもまだまだ幼い私には重すぎた。


 ……あの頃の私は本当に考え無しでした。 


 最愛の人である妻を失って、一人娘の面倒を頑張って見ていたというのにその娘が自殺しようとしていたと聞いて、父にはどんな感情が芽生えたのでしょうか。


 ……想像なんて、出来るはずもない。


 そんな事を私は父に体験させてしまった。

 そういう負い目があるからこそ、私は父に対して、あまり強く言い出せないのです。


 替え玉なんてやりたくないという意思は変わりませんが、どうしても父に向かってその事を言える勇気が湧いてはこなかったのでした。


『それにこれは私のワガママなんだが、母さんが所属していた演劇部が廃部になるのが嫌でね』


『……我儘わがままですわね』


『あぁ、ワガママだ。だが、その部活があったから母さんは役者をやって、それのおかげで僕と出会って、僕はケイカと出会えた。僕にとっては母校ではないが、思い入れがないと言えば噓になる』


 私は黙りながら、父の話に耳を傾ける。

 父の言う通り、確かにその件の演劇部がなければ私という命はこの世には生まれてこなかったのでしょう。


 私が母の思い出の詰まった演劇部を見殺しにしていると思うと、チクチクと胸が針で刺されたような痛みが今更ながら知覚してしまう。


『だから、母さんの御妹様の娘の願いをどうしても叶えたくてね。他人事とは思えないし、そもそも他人じゃないし、親戚だし』


『……つまり、演劇部を復活させる協力をする代わりに娘を助けろという密約をこの女としたのですわね?』


『言い方に容赦がないなぁ。私はただ娘の友人が1人増やせるように計画を練っただけさ』


『なるほど。物は言い様ですわね』


 私にとって……いや、母にとって演劇部が大事な場所であるというのなら、私はその場所を守らなければならないのでしょう。


 10年前、私は母の命を奪ってこの世に生き残ってしまったのだから、母の代役をしなければならないのです。


 本来であれば、死ぬはずだったのは私で、役者としての名声を受けるべきだったのは母であるはずなのだから……であるのであれば、だから、私は母の代わりに、母が大事にしていた演劇部をまもらなければならない。


『……君がその呪縛から解き放たれる事を心から祈っている』


『呪縛? ……お父様、いきなり何を仰いますの……?』


『あー、いやなんでもない。最後にそうだなぁ……そうそう、ユヅルさんはいらっしゃるかな?』


『え? えぇ。代わりますわね』


『いや、このままでいい』


 父は電話の向こうで咳払いをしたかと思うと、本来であれば聞こえるはずがない言語を音にして発してみせて、この場にいる私とクソ女の度肝を抜いて見せたのでした。


「――にほんご。つまと、むすめのために、おぼえました。へたですが、すこし、はなせます。……ゆづるさん。むすめを、よろしく、おねがい、します」


 父はたどたどしい、本当に下手クソで、だけど無視なんてとても出来る訳がない言葉を口にしてから電話をお切りになられた。


 電話が終わった後、この部屋はなんとも言えない静寂に包まれる。


 やかましい彼女もこういう時に限って静かですし、こういう時に限って私の目頭は熱いし、どうすればいいのか本当に分からなかったのです。


「……ねぇ、貴女」


「……何でしょうか、お姉様」


「貴女、この私の代役が務まると本当に思っていて?」


 他の人に私の役を譲り渡せるのなら、とっくの昔にやっていたはずです。

 ですが、長年に渡って、私を超えうる演者はついぞ現れなかった。

 

 だからこそ、観客の多くが名優の復活を望んでいる。

 新しい名優の誕生を望んでいる。

 過去いた名優の代わりを望んでいる


 それが現状です。


 だから、代役を……新たなる名優をプロデュースさせてあげるというのもかつての名優がやる務めの1つなのかもしれません。


 その務めが終わって、ようやく私はこの世から去れるのかもしれないのですから。


「出来ます。やらせてください」


「どこかの劇団に所属または参加したことは?」


「一度もありません」


「……意外ですわね。だとしたら、才能ありますわ、貴女。ですが、そんな経歴でよく入れ替わりをしようと思い至りましたわね」


「――芝居をやるのに経験の有無は問題ではない。問題はできるかできないかだ」


「……それは」


「はい。お姉様の自伝の148ページ6行目にあるインタビューの受け答えです! ちょっと待ってくださいね……ほらここ! お姉様の深すぎるお言葉が! ここに……! ふひひぃ……! 私の100個ある座右の銘なんですよこれぇ……!」


 熱中症による疲労がまだ残っている所為なのでしょうが、目の前の厄介オタクが余りにも気持ち悪くてほんの少し立ちくらみを覚えました。


 そう言えば、どこかの劇に参加した後にそんな事を言った記憶はありますが、口から出まかせの適当な発言でしょうに、よくもまぁ、そんな事を記憶しているものだと感心しなかったと言えば嘘になります。


「……よく勉強していますのね」


「では! 演りましょう! 替え玉しましょう! 取り替えましょう! そうしよう! そうしましょう!」


「その前に、ですわ。貴女の実力を知るのが先です」


 そう言って、私は咳払いを1つしてから彼女の実力を見極める為のお題を提出する事に致しました。


「エチュード。日本語で言うと即興劇。役者にとっては基本中の基本ですわ。なので、私を唸らせるほどのエチュードを見せることが出来れば、入れ替わっても構いません。……出来なかったらこの話はなかったことにさせて頂きます」


「え。お姉様を唸らせる……ですか?」


「えぇ。睡眠不足と熱中症のなりかけで倒れたとはいえ、私はスウェーデンの名優と呼ばれた人間。同年代の役者を何人も天性の才能と鍛え上げた実力で叩き潰してきました。その私の影武者になろうと言うのです。――その意味はもちろんお分かりですわよね」


 流石の彼女と言えども、多少は動揺するようでした。

 私はまだ15年しか生きていない若輩者ではありますが、それでもそこらの人間よりかは濃い人生を送ってきたつもりでございます。


 たったの15年。されど15年の名優の重みを彼女にぶつける。 

 ですが、彼女は意を決したように口を開いて見せた。

 かつての名優と演技で勝負しようという私の挑戦に彼女は応えてみせたのでした。


「……題目は何でしょうか」


「そうですわね。では実演販売をしてもらいましょうか」


 実演販売。

 簡単に言うのであれば、昼過ぎのテレビでやっているような商品を実際に取り扱って説明しながら、観客が買いたくなってしまうような小粋なトークをする事でしょうか。


「何の、実演販売でしょうか」


「それはどうぞご自由に。生活必需品でも、ブランド物でも、何なら人間を売っても構いませんわ」


 もちろん、只の実演販売をやらせるはずもありません。

 自由にやれというのは、何をやるのかという選択肢が無数にある状態であるということを意味します。


 何を売るのかどうかが決まっていれば、それをどういう風に売るのかどうかだけを考えていればよいのでしょうが、何を売るかの選択するのかどうかを考える時間が加わります。


 素人であればあるほど、無難で面白みのない即興劇を展開し、かと言って慣れている演者はついつい面白くあろうと先走って変に凝り過ぎた商品を実演し、他者が求めているものから遠ざかる演技を展開してしまう。


 故にこそ、演者の実力やスタンスを見極めるにはうってつけの内容と言えるのでした。


「思考時間は3秒。時間が経過すれば失格とみなします」


「分かりました。では私はメヒカリちゃんを売ろうと思います」


「……え? メヒカリ……ちゃん? 何ですのそれ……?」


 聞き慣れない単語に対してつい反射的に疑問を口にしてしまいましたが、思わずはっと我を取り戻し、わざとらしく咳払いをして聞き流します。


 今の私は彼女の演技の力量を見極める為の存在……いわば審査員であり、批評家であり、観客。


「ふっ。では示しなさい。貴女の演技を。私の代役になれるかどうかの実力を」

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