七「生徒会の真実」①

        七


 肌寒い風が大通りを吹き抜ける中、ペダルを漫然と漕ぎながら、金木家からの家路を進んでいた。信号で止まった時、ずっと黙っていた嵐士が口を開いた。


「いやー、驚いたぜ。何に驚いたって、俺達の通う辻工の生徒会で、あんな悲しい青春の秘密が隠されてたなんてな。そんでそれよりももっと驚いたのは、まさか春馬に探偵の才能があったとは」

「馬鹿にしてるのか」

「は? 全然! 寧ろ褒めてんだよ!」


 信号が変わった瞬間、また嵐士はペダルを漕ぎ出した。俺も並走する。


「確かに結果はさー、残念だったかもしれないけど、それでもお前は謎を解いた訳じゃん。それに今日だけじゃねえよ。ピアノの音の時も、消えた生徒会選挙道具の時も、お前は見事に解いてみせたじゃねえか」

「たまたまだし、全部ゲームだ。俺だけじゃなくて、金木も解いてるだろ」

「そうかな? でも全問正解はお前だけだろ。それに、俺が言いたいのは、春馬は変わったなって話」


 変わった? そうか。いや、そうだな。俺は変わった。非効率を嫌い、合理的に物事を進める癖があった俺が、折角の休日に何度も金木の手伝いをしている。それは紛れもなく変わったのだろう。


「いやー、俺は嬉しいな!」


 嬉しいのだろうか。でもそしたら何故俺は今こんなにも心が晴れないのだ。


「結果はどうあれ、新しい春馬に出会えたのは良かったよ」


 漕いでいたペダルの足が止まる。気づいた嵐士も、少し先で止まった。


「……本当に良かったのだろうか」

「なにが?」

「今回の事だよ」

「あー……なるほど」


 俺は今回の推理ゲームで、金木の祖父母について考えた。俺の出した答えは、これしか無いとさえも思ったのだ。金木からの願いと、希望の籠もった大切な内容でもあった。だが結果はどうだ。誰も幸せにならない。誰も求めていない。これの何処が良かったのだ。


「こんな事なら、解かない方が良かったんじゃないのか」


 俺の声はきっと暗いだろう。珍しく落ち込んでいるのだから。しかし、嵐士はいつも通りの声のまま答えた。


「さあ? それを決めるのは俺じゃねえよ」

「……今は能天気なお前が羨ましいよ」

「ハッハッハ! 馬鹿にすんなよ? 別に今回の事に何も感じてない訳じゃない」


 嵐士はそう言うと、ゆっくりと自転車も戻しながら俺に並んだ。俺は嵐士から視線を外し、前だけを見た。


「信じてるからな」

「は?」

「信じてるんだよ。春馬の事を」


 俺はすぐにその意味を聞き返そうとした。しかし、俺が横を見た時には既に嵐士は前に向かって漕ぎ出していた。急いで嵐士を追いかける。


「おい! ちょっと待って!」


 しかし、俺の足で全力で漕いだ所で到底追いつける筈もなく、いつの間にか嵐士と別れるコンビニの前に来ていた。既に嵐士は道路を渡って反対側にいる。


「春馬ー! 今度、産婦人科の婆ちゃんの所に挨拶行こうなー! 手伝ってくれた感謝をしにさー!」


 言うだけ言って、嵐士は颯爽とペダルを漕いで行ってしまった。息切れにため息が交じる中、俺は嵐士の背中を見つめるしかなかった。







 自宅のリビング。俺は荷物を床に投げ捨てソファに顔を埋めた。

 頭の中で嵐士の言葉を反芻する。

 信じてるからな、か。アイツは一体、俺の何を信じてるんだ。効率厨で合理的、面倒事が嫌いで、逃げ癖がついていた俺は消えた。こっち側の景色はさぞ楽しいだろうと思っていた。だが代わりに手に入ったのは、少女の涙が一滴。割に合わない。

 不意に、リビングのドアが開いて、人影が近づいてくる。


「あらら、どうしたのよ」

「……今は話しかけないでくれ」

「じゃあ自分の部屋に行きなさいよ。リビングにいて話しかけないのは無理よ」


 別に話しかけられたくてここにいる訳じゃないんだがな。ただ二階まで上がるのが面倒臭かっただけなんだ。しかしそんな事をこの姉に言った所で無駄だろう。なら多少は心を晴らす為にも、たまには話くらい聞いてもらって良いかもしれない。

 俺は顔だけソファから出すと、海荷の方を見た。


「……詳しく話す気はないが、今日友人を泣かせた。仕方のない事とはいえ、他に方法は無かったのかと、そう思ってただけだ」

「ふーん。友達泣かせたくらいで落ち込むなんて、春馬らしくないわね。……あれね? さては女の子でしょ」


 そんなのどうでもいいだろ。やっぱり話さなきゃ良かった。

 俺はまた顔をソファに埋めると、海荷はため息をつきながら言った。


「冗談よ。……泣かせた、ね。ふーん、後悔してるんだ」


 俺は答えなかった。答えたら、また金木の顔が浮かびそうになるから。


「でも大丈夫よ。きっと」


 海荷の声は、慰めるでもなく、憐れむでもない。いつも通りの聞き慣れた声だ。


「だって春馬は、何の理由も無しに女の子を泣かせる子じゃないもの。それに、きっと春馬なら、必ず良い結果に出来るわよ」


 もう結果は出ているのに、何を言ってるんだ。俺はもう一度、顔だけをソファから出して海荷を見た。海荷は濁りのない顔で笑っている。


「私は春馬の事を信じてるから!」


 そう言って、海荷はキッチンに行ってしまった。

 またそれか。二人共俺を買い被り過ぎだ。俺なんて大した事ない人間で、何も成すことは出来ない。

 俺はまたソファに顔を埋めた。ただ、頭の中では嵐士と海荷の声が、こだましていた。









 翌日、学校終わりに集まった俺達は、嵐士が聞き込みの時にお世話になったという元産婦人科医のところに来ていた。流石に故郷に行こうと言われなくて良かった。件のお婆さんは開業医らしく、割と近場にあるらしい。

 慣れた手つきで扉を開けて入っていく嵐士を先頭に、俺達も順番に入っていく。不意に金木の顔を見た。いつも通りの顔で笑っているが、やはり元気はないように思える。

 本当のところ、今日は金木と顔を合わせたくはなかった。だが二人して教室に来てしまったので逃げようが無かったのだ。適当に言い訳をしても良かったが、そんな気分でも無かったので仕方なくついて来ていた。


 嵐士は看護師に挨拶をすると、カーテンの奥に入っていく。流石に慣れ過ぎだろ。どんだけ来てるんだ。

 カーテンの奥は診察スペースになっていて、更にその奥の扉を開け、一回外を通ると、古い家屋が立っていた。鍵の壊れた門を抜け、庭に向かって歩く。嵐士の背中を追って歩いていくと、縁側に一人の年老いた女性が座っていた。

 嵐士が女性に声を掛ける。


「よ! 婆ちゃん、久しぶり!」


 嵐士の元気の良い声に、女性は静かに笑う。


「あら、良く来たわね」


 淀み無く喋る女性に、俺は驚きを隠せなかった。聞いていた話では一〇〇歳かそこらだったはず。背中こそ多少曲がっているが、それでも真っ直ぐな方だ。こちらの声をしっかりと聞き取り、スムーズに話すなんて想像してなかった。

 どうやら金木も驚いていたようで、同様に立ち止まっている。そんな俺達にお構いなしに、嵐士は俺達を指差して言った。


「そーだ、婆ちゃん。この前言ってた友達。連れてきたぜ! ほら、こいつらだよ」


 婆ちゃんって……。懐きすぎだろ。

 嵐士に指示されるように、俺は女性の前に立った。


「はじめまして。園原です」


 同じように、金木も俺の横に立つ。


「はじめまして。金木花蓮です」

「あら、ご丁寧にどうも。忍田しのだ清美きよみといいいます」


 そう言って微笑む忍田には、確かな品格と、どことなく子どものようなあどけなさが残っているように感じた。俺は何となく次の言葉が見つからず、頭を軽く下げた。そんな俺を嵐士はニコニコと笑ってみてやがる。

 数分程、四人で他愛もない世間話をしていたある時、俺は忍田の様子に違和感を感じていた。俺や嵐士と話す時は、優しそうに微笑みながら言葉を交わす。ただ、金木の時は少し違った。というより、金木を見る目が少し違うのだ。


 懐かしい人を見るような、遥か遠い昔を覗いているような、そんな顔をする。金木もどうやら違和感に気づいているようで、チラチラと俺の顔を見てくる。

 まさか、俺にどうにかしろと? 確かに嵐士は全く持って違和感に気づいていない。寧ろ何度も会ってるお前が気づけよ、とまで思うがそれを嵐士に期待するのは無駄というものだ。となったらここにはもう俺しか他に人がいないので、必然的に俺なのだろう。


 ……仕方ない。ここで放っておいてずっとチラチラと見られるのも、あまり楽しくない。効率的にいこう。

 俺は会話の途切れに、忍田に問うた。


「あの、さっきから金木の方を見てますが、何か気になる点が?」


 忍田は俺の問いに、少し戸惑いを見せながらゆっくりと答えた。


「あら、チラチラ見すぎたかしら。ごめんなさいね。少し、貴方が遠い昔の知り合いに似ていたものだから」


 そう言って忍田は微笑む。やはり、何だか切なく。


「もう、随分と会っていなくてね……。亡くなった事は風の噂で聞いたのだけれども」


 金木はすぐに聞き返した。


「失礼でなければ、その方のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」


 まあ、気になるだろうな。俺なら、へー、位にしか思わないが、金木や嵐士ならそりゃ聞くだろう。


「ええ大丈夫よ。私、故郷では小さい頃から一緒に遊んでたのよ。懐かしいわね……」


 幼馴染というやつか。俺にはいないから分からんが、きっと思い出すだけで懐かしくなるものなんだろうな。


「あの人……彼の名前は、金木一郎よ」

「え?」


 思わず聞き返した。その名前を聞くとは思わなかったから。金木と嵐士も身体が固まっている。


「わ」


 さっきまで落ち着いていた金木が、思わず声を上げる。


「私は、孫です! 金木一郎の!」

「あら? そうだったの。どおりで懐かしくなるわけね」


 やはり聞き間違いではなかったか。という事は、まさか忍田は件の金木一郎の幼馴染だというのか。待て、落ち着け俺。小さい村だ。幼馴染なら何人いてもおかしくはないはずだ。

 俺は恐る恐る忍田に問うた。


「あの、金木一郎とはどんな関係で?」


 俺の質問に、忍田は懐かしい記憶を取り戻すように語った。


「あの人、一郎さんとは幼馴染でね。生まれた時からずっと一緒に遊んだものよ。野山を駆け回り、一緒に勉強して、一緒に戦争から逃げた……。小さい頃は結婚しましょう、なんて約束もしたのよ? ふふっ、とても、大切な人の一人よ」


 この口ぶりに、エピソード。やはり件の幼馴染は忍田で間違いだろう。だがそうなると気になる点がある。

 俺の考えは間違っていたということか? 俺の読みでは、幼馴染は金木の祖母よりは学校に顔を出していたはず。だが忍田は産婦人科医だ。学校に顔を出す理由がない。つまり俺の推理の、金木一郎の想い人は幼馴染、という点は間違っていたのか。


 俺はすぐさま金木の顔を見た。金木はまだ驚いた顔のまま固まっている。

 本当は、金木の祖父の事は無闇やたらに言うものではない。だが今のままではあまりにも金木が報われない。ならば、俺に出来ることは決まっている。俺は訊いた。


「あの、実は忍田さんに聞きたい事があるんですが」

「あら、何かしら」


 俺は一度軽く息を吸った。そして、一拍置いてから、俺達のこれまでの数日について説明した。

 説明の途中、金木は嫌な顔は一切せず、俺の話を黙って聞いていた。本当なら今回の件は思い出すのもつらい筈なのに、静かに。





「これが、俺達が考えた『金木一郎の遺書』の全貌です」


 一度口にしたことだからか、俺は驚くほど整理して話す事が出来た。時間も殆どかかっていない。

 俺が話している間、忍田はジッと口を閉じていたが、その様子は少し怒っているように見えた。終わった後すぐに、口を開く。


「本当は、私がこんな事を言う資格なんてないのだけれども。あの人の想いや、人柄が、汚されたままなのは許せないわ」


 忍田はそう言って、金木の顔を見てから、言った。


「私が一郎さんの想い人だった、なんてあり得ないわ。それこそ、他の誰でもあり得ない。何故なら一郎さんは、優子さんのことを、貴方のお祖母さんのことを、本当に愛していたのだから」


 そこから、金木一郎の青春時代が語られた。俺はただ、自分の考えとの乖離を考えていた。もしかしたら、『金木一郎の遺書』の真実に辿り着けるかもしれないと。

 そして何よりも、今度こそ金木の望む通りの結果になってほしいと。












────第七話① 完

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