六「生徒会の推察」①
六
選挙活動が始まって数日。俺は未だに慣れない所作で、登校してくる生徒達に挨拶を交わす。自転車に乗る生徒、友人と一緒に歩いてくる生徒、堂々と正門前でタクシーから降りる生徒。多種多様の生徒達からは基本的には挨拶は返ってこない。しかし、ごく偶にしっかりと俺と目合わせながら、会釈とともに挨拶を返してくる生徒もいる。そういう時は俺はいつもより更にぎこちない笑顔を作って手を振るしかなかった。
疲れる。人生の中でここまで表情筋を使う日々はなかっただろう。胸に刺さったアネモネの花はどうみても似合っていない。肩からかかったタスキも何だか浮いている様な気さえする。
あれだけ嵐士と金木と一緒に作戦を考えたのに、やはり本番が始まってしまうと慣れないものだ。
唯一この活動において楽なのは、生徒達の過半数が生徒会選挙などには興味が無いことだ。もしも生徒会選挙に活発な学校に入学していたら、俺は断罪されても然るべきではないか。何故なら初日から今日までで明らかに覇気が失われていっているから。
暫くして、徐々に登校する生徒達の数はまばらになり始めた。腕時計を覗けば既に時刻は八時三十五分を指していた。
俺は米田の号令で身体に装着されている選挙道具を外し始める。嵐士と金木も同様に片付けを始めている。不意に、金木が俺に目配せを送ってきた。
分かってるよ。
俺は一度頷くと荷物を肩にかけ、嵐に近づいた。金木も俺と同じ様に嵐士に近づいていく。
「嵐士、少し良いか」
「ん? どうした?」
俺は一度だけ金木の顔を見た。意図は伝わったようで金木は頷く。
「実はお前に、頼みがある」
何故俺がこんなにも嵐士に畏まった形でお願いをするのか。わざわざ金木の顔を伺ってまで強制じゃない挨拶運動に参加するのか。ことはあの日の土曜日に遡る。待望の『生徒会月報』を手に入れ、その中に金木の祖父『金木一郎』の手掛かりを見つけ、そして更なる真実を求めて追求していこうと決意したあの日。
今すぐにでも調べようと逸る金木を落ち着かせる為、俺は妥協案を提示した。いよいよ本気で過去の真実に辿り着こうというならば、二人だけじゃ心許ない。猫の手も借りたいとはこの事だ。祖母との約束を反故する事になるかもしれないが、せめて嵐士にだけは協力を求めないと成功は覚束ないと言ったのだ。
すると意外にも金木はすぐに首を縦に振った。
「まあ、四橋くんなら別に大丈夫よね」
祖母との約束は金木にとってとても大事な事だろうと、二、三度は嵐士のプレゼンをしないといけないと思っていた俺は拍子抜けした。流石に金木も人手の足り無さを感じていたのか、嵐士が俺の思ったより信用を勝ち取っていたのか、そこまでは俺には判断できない。とにかく今日、俺達は嵐士に助力を求めに来たのだ。
一拍を置いて、金木は俺にした話をかいつまんで話し、その上で、
「だから、私とゲームしない?」
と誘った。
嵐士はそれを受けて、無表情のまま金木に尋ねる。
「良いのか? 俺にそんな話して。力になれるか自信がないんだけど」
しかし、金木は首を横に振る。
「ゲームだから。あんまり重く考えなくていいのよ」
すると嵐士はジッと一瞬だけ俯いた後、いつも通りの慣れた顔で笑うと、
「おっけー。隠された真実の愛、過去と現在を繋ぐ『
と、参加を表明した。
不意に金木の顔を見ると、どうやら嵐士の参戦に喜んでいる様で、珍しくガッツポーズなんて見せている。一応嵐士から見えないような位置でやるのは、矜持か無意識か。俺は嵐士にだけ聞こえる声で、ありがとう、と伝えると、教室に向かった。嵐士からの返答は多分下らない事を言ってるので、聞こえないフリをした。
その週の日曜日。俺は嵐士の家と自分の家の丁度中間地点にあるコンビニにて、肉まんを頬張っていた。
そろそろ来るか。
俺は残り半分程の肉まんを口に勢い良く詰めると、道路方向に目を送る。すると、建物の影から自転車に跨り、凄い勢いで嵐士が俺の直ぐ側まで突っ込んで来るではないか。
思わず回避して逃げようとしたが、嵐士の運動能力ならば俺に当たることはないと踏み止まり、代わりに俺の横で丁度止まった嵐にカウンター気味に蹴りをお見舞いした。しかし、その蹴りは華麗に躱されてしまう。
「うおっ。何だよ、時間通りだろー?」
そんな事は分かってる。嵐士は俺との約束など簡単に破るし、遅刻するし、言い訳をする。俺も当然そうなのでそこに異論はない。しかしその間に誰か別の人物が挟まれた時、嵐士が約束を反故した事例は未だ嘗てないのだ。
だから余計にむかつく。
俺は再度蹴りつけたが、やはり華麗に躱された。まあ元より俺の蹴り程度が嵐士に当たるとは思っていない。わざとらしく肩を竦める嵐士に鼻を鳴らし、俺は自身の自転車に跨った。
川沿いをとりとめのない会話で快走する。嵐士の自転車はロードバイク。日頃から貴重なる日曜日を使ってまで未知の土地に出掛けるのが趣味な嵐士が、少ない小遣いを使って中学の時に購入した愛器だ。丁寧に整備されたフレームは所々塗装が剥がれているが、きっと明日にでも新しく塗られる事だろう。運動能力に優れた嵐士は、この愛器に跨って県外に出ることも少なく無いという。それなのに出掛ける手段の半分は徒歩というのは、最早、運動好きを通り越してマゾなのでは。
因みに俺の自転車はママチャリだ。籠がついていて買い物にも使用できるのだから当然のことだ。
川沿いを抜けると、一度大通りを通り、再度川沿いに入る。ここからはサイクリングロードになっていて、数多くのサイクリスト達の休めるベンチがあり、一旦休憩を挟む事にした。鞄から水を取り出して一飲み、二飲み。
面倒臭い。折角の休日に汗をかくなんて面倒この上ない。もう冬が近いというのに、何故人は運動をすると汗をかくのだろう。必要か? そんな機能。早く車の免許をとって涼みながら目的地に向かいたいものだ。
「嵐士、あとどれくらいだ」
嵐士はハンカチをポケットに仕舞うと、代わりにスマホを取り出し、答えた。
「あと……十分くらい? ま、そんなに遠くねえだろ」
それから爽やかに汗を振り、
「いやー、気持ちいいなー! 金木家に向かうのに汗かけるなんて最高じゃん!」
逆だな。人の家に上がるというのに汗をかいていくのは失礼じゃなかろうか。俺はその言葉を飲み込んで、もう一度水を口に含むと、サドルに跨った。
走り出すと、すぐに道案内役の嵐士が先行した。本来ならもっとスピードを出すんだろうが、幸い今日は俺達以外に誰もいない。数回並走を繰り返し、いつの間にか田んぼの横を走っていた。
「嵐士」
「ん?」
「良かったのか?」
嵐士は俺の方など見ずに元気よく言った。
「何がよ。あ、サイクリングの事? 別にサイクリングなんていつでも行けんじゃん。それよか誰かの役に立った方が楽しいしな!」
「……お前はいつも楽しそうだな」
俺の言葉に漸く振り向いた嵐士は、いつもと同じく笑っている。心無しかスピードはさっきより落ちていた。
「そうね。楽しいよ。俺は人と話す、関わる事が大好きだからな」
「俺には理解ができないな」
「だろうよ。てか春馬だけじゃなくて、誰にも理解されようなんて思っちゃいないからな」
「人と関わるのが好きなのに、理解は求めてないのか? 変な奴」
俺の声は息切れとともに棒読みに、感情も籠もらなかったが、嵐士はそのまま続けた。
「アッハッハ! 別に人との関わりと理解は比例してねえよ! 俺は誰に感謝されなくても人を助けるし、逆に助けを求められても助けない時もある」
「不遜だな」
「違いねえや!」
そう言い、嵐士は再度大きな声で笑うと、続けた。
「俺は気分屋で脳筋だからな。細かい事は考えず、目の前の事象にただ対応するのよ。面倒くさい上下関係とか、必要のない柵とか、ぜーんぶ俺はいらない。求めても返ってこないなんて、面倒くさいだろ」
「…………」
「春馬だって同じだろ? 自分にとって利がない人間に、貴重な休日を使ってやる奴じゃないだろ」
「俺はそこまで利己的じゃない」
「そーね! お前は面倒くさいもんな!」
そう言うと嵐士は白い歯を見せつけ、黙った。
面倒くさい、か。まあここ数日の自分の行動に理由をつけろと言われても、俺は白旗を上げるだろう。それだけ自分でも意味が分からない。だが何故だか、俺は……。
いや、止めておこう。これ以上はきっと、俺のモットーを変えることになる気がする。そしてそれは俺の望む所ではない。
俺はため息をついた。そしてほぼ同時に、嵐士は笑った。
「着いたぜ! ここが金木家だ!」
高い塀に囲まれ、白を基調とした壁面はその潔白さで圧倒される。家と思われるものは門から離れた位置に見え、その間には長い草原の道と、鯉が踊る池があった。遠目に見えるあれは、テニスコートか? まさか一個人の自宅にそんな物が許されるのか。
「うおー。噂には聞いてたが、やっぱりすげえな」
気の抜けた言葉を吐く嵐士も、やはり目の前の光景に圧倒されている。屋敷というより豪邸と形容した方が適正なそれは、最早、目の前にあるのを信じ難いくらいだった。
「なあ、金木はお嬢なのか?」
俺の質問に、嵐士はこちらを見ないまま答えた。
「知らないのか? 金木って『
なるほどな。どおりでこの豪邸。というか常識なのか? その情報は。
だが漸く納得がいったかもしれない。病院で金木の祖母の話を聞いた時、アイツは家族にも秘密と言った。だが今思えば少し不自然だ。何故、金木の祖母は自分の息子にさえ、祖父の話を隠したんだ? よほど仲が悪くなければ、金木が言わずとも自分の息子くらいには言うんじゃないのか。そう、疑問に思っていた。
だがその息子が政治家というなら話がつく。きっと気を使ったのだろう。有名な政治家の親が実は不仲、もしくは別に想い人がいた、なんて話は本人の邪魔になりかねない。俺は政治に詳しくは無いが、こんな豪邸を構えるくらいならばそこそこ有名な筈。母からの気遣い故に、父の真相を隠したのだ。
何だか切ないが、俺にはわからない世界の話。それを金木に言うほど野暮じゃない。
「早く行こう。金木が待ってる」
「おー……なあ、春馬」
「どうした」
「メイドとか、いそうじゃね?」
俺は無視して呼び鈴を鳴らした。
「……はーい!」
暫くして自動で門が開くと、少し先に待っていたのは金木本人。残念だったな、と嵐士に言おうとしたものの、その奥にはメイドらしき人物も見えたので言わない。金木の装いが、短い黒髪と白い服が似合っている事も、俺は言わない。
「さ、入って入って」
金木に誘導される様に、俺達は池の横を歩いていった。
――――第六話① 完
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