五「生徒会の会議」③

 辻沢市民図書館は我が家から歩いて三十分程の場所にある。しかし、その道は決して平坦などではなく、長い長い坂を上って行かなくてはならないのだ。


 普段、俺は学校に向かう時はバスを使っている。学校方向に向かうバスの本数は少ないが、道路自体も空いているので、乗り遅れなければおおよそ予定通りに着く事が出来る。しかし逆方向、つまり市民図書館に向かう時は違う。何故か市民図書館方向に向かうバスは二時間に一本程度しか出ていないのだ。しかも道路もこちら側の方が混みやすい。理由は知らん。だが出ていなければ、車を運転できない学生の移動手段は自ずと歩きか自転車になる。そして誰か一緒に向かうのであれば、自転車は使えない。つまりこの長い長い坂を徒歩で上る他ない。


 故に俺は図書館に行きたく無かったのだ。疲れるから。

 心の中で言い訳を続ける俺を置いて、金木と嵐士は少し先を歩いていく。同じ歳なのに何故こうも体力に差が出るのか。俺も普段から家事に奔走しているのに、使ってる筋肉が違うのかな。

 不意に、坂の頂上付近で嵐士が振り向いた。


「おーい! 平気か春馬ー!」


 またしても嵐士は大きな声で俺を呼ぶ。きっと周りの視線とかは気にしないんだろうな。全くもって止めて欲しい。

 微かに見える嵐士の顔は笑っていて、それに更に苛ついたが、無駄な事はしない。俺は嵐士を無視してゆっくりと歩を進めた。

 次に同じく頂上付近にいる金木も、俺を見て言った。


「だらしないわね。もう着くわよ。早くして」


 人の心とか無いのか? どう見ても俺は風前の灯火だ。俺が息切れを起こしながらやっと歩いているのを見て、返答を求めているのか? 頼むから黙って待っててくれ。

 俺は祈りを届けと願いながら、二人の待つ場所へ歩くしかなかった。






 二重の自動扉が機械的に開く。俺はゆっくりと扉のすぐ近くにある冷水機に向かった。コップに水を入れ、勢い良く飲み干す。


「生き返った……」


 思わず口にしてしまった。だが本当に良かった。家から出て三十分間をほぼ坂を上るだけに費やしたので、俺の喉はカラカラだったのだ。

 嵐士も流石に疲れたか、水を何杯も飲んでいる。いや、コイツの場合は疲れたというよりも、喉が乾いただけだろう。現に息切れの一つも聞こえてこない。流石の体力馬鹿だ。

 ふと受付に目を送ると、金木が何やら話していた。きっと生徒会月報のバックナンバーの在り処を聞いているのだろう。流石の行動力。

 俺はもう一杯だけ水を飲むと、受付と話す金木の方へ向かった。


「あったか?」


 俺の質問に、金木は首を傾げる。


「それが……ちょっと園原好みじゃないかも」


 なんだと? 不意に受付の女性を見ると、金木と同様に首を傾げている。何だか面倒臭そうな匂いがプンプンする。

 俺は仕方なく受付の女性に訊いた。


「あの、辻沢工科高校の生徒会月報のバックナンバーを探しているのですが」


 女性は何故か申し訳なさそうに首を傾げながら、パソコンを操作し、答える。


「……実は、高校の生徒会月報や記録などは、書庫に保管されているんです」

「書庫?」

「はい。歴史保全の関係から、学校関連の書類は市民図書館に保管される、という決まりはあるのですが、殆ど読まれる事はないので全部書庫に入れるんですよ」


 何ということだ。市民図書館の書庫といえば当然、かなりの大きさを誇ると相場が決まってる。しかも受付の言い方から察するに、結構適当に保管してるんじゃないか? いや、今はそんな事はどうでもいい。問題はどうやってバックナンバーを見つけるか、だ。

 俺は受付に向かって軽く頭を下げ、少し離れた場所に待つ嵐士の元へ行った。金木も同様に頭を下げ、ついてくる。


「よ、それであったのか?」


 水を飲んで更に元気を増大させた嵐士に、俺は事情を説明した。流石の嵐士も、次第に表情が重くなる。


「うへー。じゃあ、あの中から見つけなきゃいけないって事かー」


 そう言いながら嵐士は、図書館の奥にある書庫を見つめた。

 辻沢市民図書館は市内で一番の貯蔵数を誇る図書館だ。当然、その大きさも相当のものだ。入口から最初に見えるのは児童書関連。そこから奥に進むと受験生向けの参考書類があり、左手には漫画コーナーと続く。そして二階と三階にも様々な本が多種多様に並べられているのだ。

 そしてその一番奥に位置するのが問題の書庫。書庫というより倉庫の方が正しいか。あまり借りられる事の無い本や、古くなった本をまとめて置く場所だ。つまり管理していると言っても、基本的には司書さえ殆ど触らないのだ。


 その中から探すだと? 一つ一つ物色して? 無茶を言うな。ヒントも無しに乱雑に並べられた無数の本から探すなど、非効率に極まりない。それにいくら時間があっても足りないではないか。

 思わずため息が出た。本来ならここで諦めて帰っても良いが、一度金木に手伝うと言った手前、諦めたくはない。それにここで逃げ出すのは合理的じゃない。しかし、効率的な探し方は一つも思いつかなかった。


 仕方なく、俺達は入口から一つずつ探していこうと、手分けをする事した。しかしその時、俺は突然後ろから肩を叩かれたのだ。

 普段から好んではホラー作品を見ない俺は、決して怖いものが苦手と言う訳ではない。しかし人間というものは咄嗟の時にはどうしても反応してしまうもので、それはきっとどんな屈強な人間でも同じ事だろう。つまり、俺がここで急に驚いて腰を抜かそうが、それは通常なのである。


「うおっ!」


 突然の肩への感触に、思わず仰け反ってしまった俺は床に膝をついた。多分腰も抜けている。嵐士はそんな俺の様子を、熟練の武士の様に即座に反応すると、何故か臨戦態勢を取った。お前は命でも狙われているのか?

 俺は首を小刻みに揺らしながら後ろを振り向くと、そこには我らが生徒会長様、米田亜沙美が立っていた。横には見慣れた金髪が目立つ、谷根結菜の姿もある。


「ご、ごめん。そんなに驚くとは思わなくて……」


 俺の反応は米田にも予想外だった様で、申し訳なさそうにこちらを覗いている。そんな米田を横目に、隣に立つ谷根はプルプルと身体を震わせながらお腹を抑えて俯いている。

 そんな感じなら思いっ切り笑って欲しい。

 俺の想いが届いてしまったか、谷根は一回フッと吹き出すと、思いっ切り大きな声で笑ったのだ。


「アッハッハッハ! 何だお前、ダッセェなー!」


 谷根の大声に、図書館中の視線が集まる。しかし、それでも谷根の笑いは止まらなかった。


「アッハッハッハ!」


 コイツこそ人の心とかないのだな。俺はいっそ笑うだけ笑ってくれと、抜けた腰を抑えながら座っていた。





 漫画コーナー近くにあるカフェスペース。俺達は笑いの収まらない谷根を連れて、一つのテーブルに座っていた。

 未だ腰を擦る俺に、米田が頭を下げる。


「本当にすまない! まさか君がそこまで怖がるとは思わなかった!」


 いや、怖かったのでなく、驚いただけなのだが。しかし、ここで即座に訂正すると言い訳に聞こえかねない。俺は、平気ですよ、と言う代わりに手を振った。それを見た米田は漸く頭を上げると、俺達三人の前に缶コーヒーを差し出す。


「それで、君達はどうしてここに?」


 それはこちらの台詞だが。まあ良い。効率的にいこう。俺は言った。


「俺達は辻工の生徒会月報のバックナンバーを探しに来たんです」

「バックナンバー? おかしいな、四橋くんに渡した筈だが」


 不思議がる米田に、俺は事情を説明した。すると米田はスッと頭を抑えると、またしても申し訳なそうに、笑った。


「それはすまなかった。てっきり全部あると思っていたよ。まさか一部はここにあるだなんて」


 やはり米田は知らなかったのか。米田の性格上、知っていたら嵐士に言っていない筈はないと思っていたが、知らなかったなら仕方がない。


「別に問題ないです」


 俺はそう言って捜索に戻るため、腰を上げようとした。何故ならここで先輩達と話す理由などないのだから。しかし、そう考えたのは俺だけだったようだ。

 俺が立ち上がる前に、金木は米田に向かって口を開いた。


「米田会長達は、どうしてここに?」


 金木の質問に、米田はいつも通りの雰囲気で答える。


「勉強をしに来たんだ。元々私達はここを勉強するために良く使っていてね。静かだし、調べ物もすぐ出来るから楽なんだ」


 試験も終わったばかりだというのにご苦労な事だ。俺ならまず間違いなく、試験後一週間は自主勉強はしない。

 嵐士も同じな様で、感心した顔を見せている。


「へー、すげえッスね。俺はまだ勉強する気にならないなー」


 嵐士の気の抜けた言葉に、米田はフッと上品に笑った。


「習慣だからね。試験後とかは別に関係ないんだ」


 最早感心よりも恐怖が勝つ。何故そこまでして勉強するのに、辻工に入ったのだ。しかしそれを聞くと長くなりそうなので、俺は心の中で飲み込むと、金木に向かって言った。


「早く探すぞ。時間がいくらあっても足りないんだから」


 俺の言葉に思い出したように金木は勢い良く立ち上がった。


「そうだった! すみません、コーヒーありがとうございます。私達バックナンバーを探さないといけなくて!」


 そそくさと手荷物をまとめ、金木は椅子を仕舞う。嵐士も俺達に倣うように席を立った。

 不意に、米田が呟く。


「なら、私達も手伝おうか」


 思わず振り向いてしまった。目を丸くする俺に、米田は表情を変えないまま、続ける。


「さっき驚かせてしまったお詫びだよ。これだけの中から探すんだ。人手が多いに越した事は無いはずだ」


 その通り。人が多ければその分見つかりやすいだろう。大変助かります。

 だが本当に良いのか? さっきの話では勉強をしに来ていた筈だ。米田も俺達の手伝いが相当に時間が掛かる事は気づいているはず。本来の目的を捨ててまで人を手伝うなんて、俺には考えられない。

 しかし、米田の横に座る谷根は違ったようだ。あからさまな嫌な顔をすると、米田の肩を掴んだ。


「ちょっと、会長! アタシも手伝うのか? 嫌だよメンドクセー」


 当然だ。米田と一緒に来たという事は、似つかわしくないが、谷根も目的は勉強だろう。それなのに後輩の、ましてや面倒臭そうな手伝いなど御免なのだ。俺でも断わる。

 しかし、米田はまた上品に笑うと、谷根の目をジッと見つめた。


「結菜も思う存分笑ったろう? それに可愛い後輩の為だ。一肌脱ごうじゃないか」


 最早付き合いの短い俺にも分かる。きっと米田は金木と似ている。いや、金木よりも自由かもしれない。周りがなんと言おうと関係ないんだ。こう、と決めたら一本道。例えそれが他人を巻き込んでいようとも。

 俺と同じ境遇に見える谷根は、諦めた表情を見せると、渋々立ち上がった。

 俺の事を睨みつける。


「……すぐ見つけるぞ」


 俺を睨まれても。






 二時間程経っただろうか。明らかに集中力をなくした谷根と嵐士が、意気投合してカフェスペースで交流しているその時、金木は叫んだ。


「あった!」


 声を聞きつけ、俺は金木の所へ急いで向かった。俺を待っていたのか、金木は本棚の影から現れた俺を見て、パアッと顔を明るくした。


「あった、あったわよ!」


 そんなに言わなくても分かってる。俺は数回頷きながら金木に近づき、手に持った紙を受け取る。A4の紙が二、三枚の冊子になっていて、二つのホッチキスで止められている。俺の家に持って来られた物も、同様の作り方をされていたのでこれで合ってるのだろう。


 学校の簡単な便りの様なものだと思っていたが、丁寧に表紙までついている。しかし表紙と言っても文字しか無い簡素な物だが。

 そしてその文字は、表紙の上の部分に古くさく明朝体で、『躍飛丸 第四 一月号』と書かれていた。発行は一九六〇年。やはり古いな……。


「やくとまる……」


 これが題名なのか? いや、今思えばしっかり見ては無かったが、嵐士が持ってきたバックナンバーにも同じ表紙があった筈だ。


「変な名前だな?」


 咄嗟に横を見た。そこにはいつ来たのか嵐士の姿があった。

 同じ様に俺の肩越しに金木が覗き込んできて、


「ええ。意味が分からないわね」


 と同意した。

 この様子を見るに、二人共さっきは中を見るのに夢中で、あまり表紙を見ていなかったのだろう。

 しかしやはり気になる名だ。『躍飛丸』、たぶん読み方は、やくとまる、で合ってる筈だ。意味をそのまま考えれば、空を飛ぶ、飛び越えるという意味だろう。だがそれなら、飛躍と書いて『ひやくまる』じゃないか? 何故、躍飛、なんだ。


 だが現時点で、俺には、『躍飛丸』と『金木の祖父』には何の関連性も見いだせない。

 表紙を指差し、俺は嵐士に問うてみる。


「これ、どういう意味だと思う」

「これって、表紙? うーん。躍飛丸ねー、普通に飛ぶとか頑張るとかじゃねえの? 何だろ、わかんね」


 まあそうだろうな。だが俺も概ね同じ考えだ。

 一方金木はどんな顔をしているかと思えば、喜怒哀楽のどれでもない、不思議な表情をしていた。まるで、魂でも抜かれたかの様な。

 俺は訊いた。


「これがどうかしたのか」


 訊くと、金木は俺を隅に引っ張っていく。


「多分これよ。この生徒会月報が、おじいちゃんの"想い"に繋がる、そんな気がするの」


 ほう。


「何か、祖母の話でも思い出したか?」

「うぅん。そういう訳じゃない。けど、何となく大事、そう思うの」


 さいですか。だがこういった時の勘、というのは意外にも馬鹿には出来ない。俺は金木の顔を見てから、手に持ったそれを一枚めくった。

 そこには当時の一ヶ月間の生徒会活動が記されていた。




 十二月一日  生徒会役員正式決定。初顔合わせ

 十二月五日  初仕事。図書室整理

 十二月十四日 初会議。球技大会の意見交換

 十二月二十日 球技大会正式決定

 十二月二十六日 今年度最後の生徒会




 何ら不思議な所はない。ありふれた生徒会の活動史だ。多分、ここはあまり関係無いはず。俺は再度金木の顔を見てから、もう一枚めくった。一枚目より更に細かく書かれた生徒会の活動史。その中で、一際目を引いたのは、二枚目の端に書かれた文章だった。




    教諭記述欄


 我が青春の地は遥か彼方に。しかし、彼らと触れ合う事で、やっと青春を取り戻す事が出来た気がする。


 私は恵まれた。きっと、彼らに出会わなければ、機会すら訪れなかっただろう。


 最早言葉は綴れない。しかし伝えたい。貴方への想い。


       一九六〇年 十二月十二日

               金木一郎    いちろう




「何だ、これは……」

「ここに書いてあるのは今から大体、六十三年前。最後の名前は、私のおじいちゃんの名前よ」


 やはりそうか。しかし、この文章はどういう意味だろうか。単純に考えれば、まるで……、


「……恋文、みたいよね」


 だろうな。俺もそう思っていた。創刊から、この号までの教諭記述欄にはこういった文章は書かれておらず、この号から約二十年間程、同じ様な文章が綴られていた。そして三枚目には来月の活動予定が書かれているだけだ。

 ふと金木の顔を覗く。その表情には、少し、陰りの様なものが見えた。

 俺は思わず訊いた。


「どうした? 何かあったか?」

「……分からないの。これがもし、誰かに向けた恋文だとしたら、おじいちゃんは誰に向けて書いたの? 何で生徒会月報に載せたの? ……全然、分からないのよ」


 くぐもった声の響きは、鼻声か涙声なのか。

 ふむ……。


 俺は言った。


「覚悟はあるか?」

「え?」


 金木が俺の顔を覗く。


「もし、これを更に調べていって、お前の望む結果にならなくても、それでも知りたいと思うか? 知らなくて良かった事を、調べる覚悟はあるのか?」


 冷たい声ではなかったと思う。

 夕陽の陰る金木から受け取った生徒会月報には、奇妙な文章と、六十年前の事が書かれていた。

 そして多分それは、金木の知りたい祖父の真実に、確実に迫るものだと、俺は確信していた。

 だから訊いた。覚悟の有無を。


「でも、もしもおじいちゃんの想いが、おばあちゃんに無かったら、私……」

「それでも調べるべきだと、俺は思う」

「……」

「知りたいんだろう?」


 怯むな。俺は自分を鼓舞する。


「なら知るべきだ。お前の祖母の為に、そして金木自身の為にも」

「でも、私……怖い」


 金木の声は、表情は、暗いままだ。

 怖い。それは金木の心の中に隠していた想いだろう。もし辿り着いた真実が、祖母も、自分も傷つく内容だったら、そう思ったら怖いのは当たり前だ。

 だからこそ俺に言える一言。金木の背中を押せる一言。


「……俺には両親がいない」

「……」

「昔、小さい頃に交通事故で亡くしたんだ。急な事だったからな。両親はまだ若かったし、遺書なんてものは当然、無かった。だからこそお前が知りたいなら、知るべきだし、知ってほしいと思う。きっとそれは、大事なものだから」


 俺は言い終えると、笑いを作った。無理に笑ったから、多分引きつってる。そんな俺に、金木はフッと、同じ様に笑いを作った。


「……良いのかな」

「もう六十年も前のことだ。時効だよ」

「……そっか。時効か」


 そう言うと、金木はまたしても笑った。さっきと違い、自然な顔で。

 手伝うと決めたのだ。最後まで付き合うさ。幸いまだ時間はある。

 俺は本棚に寄り掛かると、ジッと陰った窓辺を見つめた。








――――第五話③ 完

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