三「生徒会の奇遇」①

         三


 緩やかだった回転音がにわかに嵐のように高まる。眼前では旋盤に設置されたアルミが徐々に指定の形に変わっていく。

 俺は旋盤のスイッチを切ると、息を吐きながら周りの掃除を始めた。周りも徐々に片付けに入っている様だ。すると突然、座学スペースから大きな怒号が飛んできた。


「おらあ! はよ片付けろぉ!!」


 大きな図体に似合ったデカい声、やはり保田やすだか。


「ちんたらしてんなあ!!」


 ドカドカと俺達を見張る様に保田は実習室内を歩き回る。保田は所謂、学校の嫌われ者。直ぐに怒鳴り、怒り散らし、中身の無い説教をする、機械科で一番有名な教師だ。その奇行は他科にも及んでいて、嵐士なんかは運動好きで目立つので結構、的になっている。


 だが最近はやけに機嫌が良かったはずだ。今日になって突然、とは一体。まあでも片付けは早くやろう。より効率的に、だ。

 俺が保田に諭されない様に静かに片付けをしていると、不意に後ろの生徒のヒソヒソと話す声が聞こえてきた。


「また保田かよ……いつもいつもよー」

「なあ、聞いたか? アイツ奥さんと娘と喧嘩したらしいぜ。だから機嫌悪いんだよ、きっと」

「まさかそれで? クソ、俺ら関係ねえじゃねえか」


 なるほどな。そういえば入学してから何度か愛妻家と聞いた記憶がある。そんな男が愛する妻と娘と喧嘩したとなれば、まあいつもより機嫌が悪いのも分からんでもない。だからといって俺達には関係ないが。

 俺は黙々と片付けをした。途中、保田は流石に生徒達の白い目を感じたのか、鍵閉めとけよ!と、捨て台詞を吐いて消えてしまったが。助かります。

 保田が消えた後も黙々と片付けをしている中、不意に後ろに気配を感じる。俺は振り返ることはせずため息をついた。


「へー、機械科の実習室ってこーなってんだなー!」

「そうね、結構広いというか……。機械も大きいし」


 やはりお前らか。別に迎えに来てくれとは頼んでないんだがな。

 俺は自分の向きを変えないまま、自分の担当箇所の掃除を終わらせ、纏った作業着から着替えることにした。

 二人が実習室に着いてから十数分程経った所で、漸く俺は二人の前に姿を現した。


「遅えぞ!」

「仕方ないだろ。機械科は作業中に出るゴミも多いんだよ」


 嵐士の悪態に引くこと無く俺は出口に向かって歩いていく。


「まあいいわ。それより早く行きましょ。先輩達が待ってる」


 そう。今日は生徒会立候補の期日翌日。つまり立候補者全体での初めての顔合わせなのである。

 何事もなく終わればいいな、なんて嵐士が口にしたのを無視しながら、俺達は実習室を後にした。







 嵐士が勢い良く生徒会室の扉を開け放つ。


「よろしくお願いします!」


 なんてことはない元気いっぱいの挨拶。

 流石は嵐士だ。今日は生徒会長以外の先輩達は、絶対に知らないはずなのにその感じでいける。最早恐怖すら覚えるな。


「あぁ!?」


 そんな嵐士の元気いっぱいの挨拶に最初に反応したのは、見間違いかと思うほど綺麗なブロンドの髪をなびかせ、およそ凡人なら後退りするであろう程のメンチを切ってきた女だった。


「すみません、間違えました」


 俺は思わず扉を閉めた。

 扉の横に貼られている文字を再確認する。ふむ。生徒会室ではあるな。

 俺達がそれぞれ状況を整理している時、扉はもう一度開け放たれた。


「間違いじゃない! 合ってる合ってる!」


 即座に顔を出したのは背の高い大きな声の女だった。




 背の高い方に連れられて、俺達は生徒会室の奥に入っていく。中にはさっきのメンチ女と、もう一人男の姿があった。

 背の高い女は俺達に椅子を出すと、屈託のない顔で笑ってみせた。


「あははは、ごめんね。彼女の事は気にしないでくれ。目付きが悪いだけなんだ」


 背の高い女の名前は米田よねだ亜沙美あさみ。先日会った生徒会長だ。最初の印象通りに教師ウケが良さそうだな。長い髪を後ろに束ね、力強い真っ直ぐな目が特徴的な為、少々たじろいでしまう。

 次にさっきのメンチ女は、


「アタシは谷根たにね結菜ゆうなだ。よろしくな」


 との事。これまた分かりやすい位にグレているな。しかも去年の生徒会会計らしい。流石は工業高校の生徒会だ。人材豊富だな。


「……あんだよ」


 流石に見すぎたか。俺は自然に目線をずらし、最後の男の方を見た。


「はじめまして。僕は縦石たていし賢二けんじって言います。これからよろしくね」


 短く丁寧に切り揃えられた髪は清潔さを際立たせ、後輩にも敬語を使える姿には一種の格を感じる。縦石も去年の生徒会副会長らしく、三人とも連続で生徒会役員になるのだとか。

 凄いなあ。俺なら絶対に一年だけしかやりたくない。

 俺達は先輩達に続くように自己紹介を終わらせ、気づくと全員が真ん中の机に集まっていた。


「じゃあ改めて。これからここにいる人達が生徒会選挙を通して、その後生徒会役員として働いていく事になる。全員が信任投票だから、まあ半分以上は決まっている様なものだね」


 そういえばそうだったな。一年生徒会の定員は三名。あの後一人でも来てくれれば俺はここにはいなかったのだが、人生そう上手くはいかないものだ。

 俺が誰にも諭されない様にため息をついていると、金木はゆっくりと手を挙げて、言った。


「あの、それで今日はどんな話を? ただの顔合わせですか?」


 金木らしい素直な質問だ。だが確かに俺も不思議には感じていた。顔合わせと言うには生徒会担当の教師も来ていないし、ホワイトボードも必要ないだろう。まあ多分大したことではないだろうが。


「顔合わせは顔合わせ何だけどね。今日は先生の予定が合わなかったから、本題は別の用事なんだ」


 米田はそう言うと、ホワイトボードに何かを書き始めた。

 会長、二年副会長、会計にはそれぞれ先輩達の名前が。一年副会長には金木、広報には嵐士の名前が順番に書かれていく。

 ん? 俺の名前がないな。他にも書記、議長、庶務と書かれたが、誰の名も書かれていない。

 当然俺はその疑問を米田に訊いた。


「あの、俺の名前がないんですが」


 しかし米田はそれが問題なのだと言わんばかりに答えたのだ。


「それなんだよ、今回の目的は」


 ……と言われても。現時点では俺だけ仲間外れになっているだけだ。米田はきっと優秀なんだろうが、合理的ではない。次の俺の言葉など待たずに続けてしまえばいいのだ。面倒この上ない。

 仕方なく俺は返答を待つ米田に訊いた。


「……俺だけ役職が決まってないんですか?」

「そうなんだよ! 実は他の二人には出願書提出の時に教師が聞いたらしいんだが、君の時だけ忘れてしまったらしい。だから今日は顔合わせついでに、君に希望の役職を聞こうと思ってね」


 なるほど。まったく迷惑極まりないな。しかし聞かれた記憶もないし、仕方ない。

 そんな納得していた俺を横目に、嵐士はニヤけた顔で言ったものだ。


「多分さ、春馬が立候補すると思わなくてビックリしたんじゃねえの? 先生の気持ちも分かるわ」


 大きなお世話だ。だがそれに反論できる程これまで優秀だったとは思えないのも事実。俺は黙る事で肯定も否定もしなかった。

 黙った俺を嵐士は更にニヤついた顔で見つめている。そんな俺達を横目に、米田は何の気なしに言った。


「それで、希望はある? 決選投票だと大変になるから空いてる役職がおすすめだけど……別にどの役職でも平気だよ」


 ……正直どれも細かい仕事がわからん。ここは先輩に教えてもらった方が効率的か。

 俺はそのまま訊いた。


「じゃあ簡単に。会長は主に前に出る仕事で、副会長はその補佐だね。書記は記録、会計は部活や行事の予算の管理かな。庶務は全体的に手伝ってもらう所謂いわゆる雑用係で、広報はその名の通り広報活動で中心に動いてもらう。議長は生徒会以外の委員会との会議で纏め役をしてるね。うん。こんな所で平気かな?」


 なるほど。とても丁寧でそして簡潔な説明だ。なんて俺好みな回答だろう。やはり優秀なのだな。

 俺は心のなかで感謝の意を伝えながら、ホワイトボードを見つめる。

 まあ決選投票は面倒なので、空いてる役職なのは当然だろう。そうなると庶務、議長、書記。どれも面倒だがその中でもマシなのは……書記だな。


「じゃあ書記でお願いします」


 人をまとめるのは好きじゃないし、雑用などもっての外だ。なら書くだけの仕事がベスト。多分毎回仕事があるだろうが、許容範囲である。


「分かった! じゃあ園原くんは書記に立候補ということで決まりだね。よかったよ~、もし決選投票でも良いって言われたらどうしようかと……」


 まあ十中八九、会長の仕事は増えるだろうと思っていた。互いの面倒臭さを回避した自分に乾杯。

 これで今日は帰れると、俺は安堵した。しかし、神様はとことん俺が嫌いらしい。その時、事件は起きた。


「……あれ? 無いぞ?」


 先程まで大仏かよってくらいにニコニコしているだけだった縦石が、突然叫んだのだ。

 全員の視線が縦石に集まり、米田が不思議そうに尋ねる。


「どうしたんだ、賢二?」

「それが、無いんです。ここに置いてあった選挙活動道具が!」


 選挙活動道具? 大方、タスキとかそのへんだろうか。さほど慌てるような物には思えないが。

 さぞ心配性なのだなと、俺が縦石を見ていると、いつの間にか隣に並んでいた米田も突然叫んだのだ。


「もしかしてアネモネもか!?」


 アネモネ? 更に分からなくなってきた。何故ここで花の名前が出てくるんだ。

 金木も疑問に感じたようで、また手を挙げてから訊いた。


「あの、アネモネってなんですか?」


 なるほど。アネモネと聞いたら俺はすぐに花だと思ったが、同じ名前というだけで花とは分からない。なんですか? と聞くのは良いかもしれない。

 金木の質問に、米田は慌てた様子で答えた。


「アネモネっていうのは、選挙活動に使う造花なんだ。辻高では毎年、選挙活動中に左胸に刺すっていうのが伝統的でね。あれがないと困るんだよな……」


 へー。まあ辻高も歴史は長いと聞くし、伝統くらいあるか。しかし俺達が今探さずとも放っておけばいつか見つかるだろ。俺はゆっくりと立ち上がり、鞄の位置を確認した。

 しかしその時、ほぼ同時に嵐士が勢い良く立ち上がったのだ。


「じゃあ今探しましょーよ! いつか見つかるかもしれないけど、今見つけたほうがいいでしょ!」


 屈託のない笑顔で笑う嵐士に視線が集まる。

 よ、余計な事を。何よりも一緒に立ち上がった俺まで同じ気持ちみたいになってしまったではないか。

 未だ焦った顔の縦石が嬉しそうに笑った。


「ほ、本当かい? 助かるよ……!」


 ……どうやら探すしかないようだ。ならばすぐに取り掛かろう。時間は有限、効率的に、だ。

 俺達は総出で生徒会室内を探し回った。






 三十分程経っただろうか。疲れた様子で谷根が椅子に腰を掛けた。


「どこにも無いじゃねえかよ……」


 谷根の言葉に全員の動きが止まる。

 確かにおかしい。これだけの人数で、大して広くもない部屋を探したのに見つからない。そんなことがあるだろうか? ならば考えられるのは、この部屋には無い、ということだ。

 俺は俯き、思案した。その時、不意に金木が俺の横に顔を並べた。俺にしか聞こえない声で囁く。


「……ねえ、ゲームしない?」


 こんな時に? この女は何を言っているんだ。


「……ふざけてないで探せ」

「ふざけてなんかないわよ。どうせこのままじゃ埒が明かないし、どうせなら遊びながら探した方が早いと思わない?」


 全く思わないな。だがもしやそれで金木のやる気が出るのか? ……面倒な女だ。なら致し方ない。


「……わかったよ。だが先輩達にふざけてると思われたくない。今回は俺達二人だけで、だ」

「分かったわ」


 そう言うと、金木は喜々として米田に近づく。


「先輩、一旦状況を整理しません?」


 ああ。俺にはこの女の負けず嫌いを止める手立てはないのかもしれない……。










――――第三話① 完

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